第13話

そんな時、編集部から声が掛かった。

「智子ちゃんのブログ見たわよ。結構、人気あるのね」と女性ながら編集長を務める人から言われたのだ。

「そうですか?料理が好きなだけです」智子は正直、人気の度合いなどには無頓着だった。ただ、好きでやってるだけで、それが母との思い出にも繋がるからだと思っていた。ところが智子は次の言葉に驚いた。

「どう?ブログの内容を書籍にしてみない?」

「え?私のですか?」書籍化が難しいことは智子にもわかっている。出版社は売れそうな作家を探す手段として、コンテストなどを実施するが、実際に売れる作家を探すのは容易ではない。そんな中で言われたのだから、智子は正直に驚いた。

「内容も良いと思うんだけどね。どう?やってみない?」智子は二つ返事で引き受けた。自分に自信の持てなくなっていた智子としては、売れるとは思ってもいなかったが、やり手と言われる編集長に折れる形で承諾した。仕事の合間をぬってはブログから抜粋した料理を書き写していった。ところが、いざ始めて見ると面白くて仕方がなかった。出版社に勤めている強みは遺憾なく発揮された。また社内の色々な人の助言もあり、少しずつ書籍として形をなしていった。智子は心から母に感謝した。もしも母が料理を教えてくれなかったら、今の自分は存在しないだろう。もしも幼い頃に絵本を与えてくれなければ、この職場にもいなかっただろう。そこで智子はふと思った。『母を料理好きに変えた人って?母が良く話してくれた人なのかな?』そんな思いに駆られたら、今度はそれが気になって仕方がなかった。『私を導いてくれた母、その母を変えた人物』智子の興味はそこに集中した。幸いにして書籍化は終わり、後は発売を待つだけになっていたからもある。ほかに集中することが欲しかったのかも知れない。『よし、調べよう』智子がそう思ってから丁度一年が過ぎた。それが今日という日だった。それから意を決したように墓前から立ち上がると、交換した枯れた花と水桶を持って、その場を離れた。その顔は凛とし、微笑みさえ浮かんでいた。


 智子がこの地を離れて半年ほど経ったころ、私の生活も元に戻りつつあった。

第一に、自宅でお酒を飲まなくなった。仕事上のミスもなくなった。それを察したのか、増えた従業員も他へを移動になった。大して親密になったわけでもなかったので、同僚との別れも特に問題はなかった。元のように私だけの職場になったが、それがかえって私には良かったようだ。黙って仕事をするうちに、だんだんと智子への気持ちが薄れていったからだ。そして元のように、思い出だけあれば良いと思い始めていた。確かに智子との出会いは衝撃的だった。けれども、智子が彼女に似ていなければ、こんな感情は湧かなかっただろう。やはり、彼女のことだけ思っていれば良いのだと、納得したからだ。あれから、喫茶店の店主とも会話をするようになった。店主も分かっているかのように、智子に関する話は出さない。短い世間話をするだけだが、それでも私は嬉しかった。資料館でこの地の歴史を見たこともあるのかもしれないが、やっとこの地に馴染めたように感じ始めていた。あの焼き鳥屋もたまには顔を出すが、いつも通りの対応で気分を害することもなかった。それよりも、気軽に声を掛けてくれる常連さんが増えたようにさえ感じた。少しでも、自分の居場所が出来てきたような気になり、小さな幸せさえ感じ始めていた。


 

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