はみだしミニーチェ『自己肯定』
ニーチェの思想には強い自己肯定が求められる。
「他に惑わされるな、己を信じて突き進め」みたいなマッチョなことを言われても、なかなか人はそう簡単に突き進めるものじゃない。
おまけに自分というものがないバカがルサンチマンを抱くんだとひどいことを言う。
では、そういった肯定を出来ない弱者はどうしたらいいのか。
そういった現実で上手くいかなかった人間が求めるものこそ、天国であったり来世であったり、現実以外の夢なはずなのに、ニーチェは「そんなものない!」と一刀両断する。
もう現実に苦しんでる人は八方塞がりだ。
しかしそんな人間の生きる指針こそ、ニーチェ自身が体現している言ってもいい。
大学教授になったものの本を書いたら散々な評判でクビになるし、心の友だったワーグナーと仲違いしちゃうし、最高の恋だと信じた女性は全然振り向いてくれないし、妹はヤンデレだし、しかも差別主義者と結婚するし、頭も痛いし、本は書いても書いても評価されない。
はっきり言って、ニーチェの人生はなかなか肯定するのが難しいくらいに上手くいってない。
それでもニーチェは不遇な人生を生きた者も自己を肯定する道はあると言う。
ニーチェとルー・ザロメとの恋はとてもじゃないけど上手くいったとは言えない。
現代における恋愛という尺度からすれば、何も始まっていないと言える。
しかし1882年5月、ニーチェはルー・ザロメと二人きりでデートをしたのだ。
丘を散策しただけであったがニーチェはこのことを「人生で最も恍惚だった時」と述べている。
それこそが大事なのだ。
この世は永遠回帰する。
つまらない人生だと絶望しても、あの世を夢を見ても、同じことがまた繰り返される。
しかし、一瞬でもきらめく瞬間を持てたならそれは何度でも起こりうる。
それはまた永遠なのだ。
たった一つの夢のような思い出を握りしめてニーチェは自らを肯定して生き抜いた。
たとえ不遇な人生であっても、苦悩の中で生きざるを得なくても、恍惚となる瞬間、デュオニソス的な快楽を求めて生き抜いていく。
それこそがこの世を儚んで来世に望みを託すキリスト教的なルサンチマンにならない生き方なのだと。
現代においても自己肯定というのは非常に重要視される感情である。
ネットで他人の言動が見えやすくなったために、どうしても他人と比べて落ち込んでしまったりする。
そもそも自分が得意ではないことなどを、わざわざ他人と比べて劣等感を抱いたり、嫉妬してしまうこともある。
そんな時にニーチェは「まず自分の好きなものを求めろ! そしてそれを求めている自分を褒めろ!」と背中を押してくれる。
やりたいことやったもん勝ち、青春なら
そうさ100%勇気、もうやりきるしかないさ!
そんな忍たまイズムをニーチェは19世紀から歌っていたのである。
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