第59話 いつか、という時はやってこない
前回までのあらすじ
エイブラハム・リンカーンから得た情報を元にニーチェ、リスト、高杉は西部への旅を志す。
だがアメリカの風土に慣れない一行は狡猾な詐欺に遭い全財産を失いかける。
それを救ったのはジョン・ロックフェラーという青年だった。
リンカーンのファンだというロックフェラーと意気投合し、共にアメリカ横断の計画を立てる。
アメリカを横断するのに必要なものは3つ。
知力・体力・時の運だという。
それを試すために祭りのパイの早食いコンテストに出場し、ニーチェたちのチームは優勝。
しかしその直後に高杉のズルが発覚し、逃げるように東部を後にした。
道中、トゥームストーンという地でニーチェたちが乗っていた馬を買おうという男が現れる。
持ち金が心もとないこともあり、金勘定に定評があるロックフェラーの意見を尊重した一行だが、西部の洗礼に遭いいざこざに巻き込まれる。
その結果、近くの牧場でニューマン・ヘインズ・クラントンと決闘をすることになった。
逃げることも出来ない状況の中で高杉がクラントンの前に進み出た。
勝負は一瞬でつき、高杉は一発も撃つ間もなく胸を撃たれて倒れた。
☆
縄に巻かれたフランツ・リストが芋虫のように這いながらやってきた。
「このフランツ・リスト、ここまでグルグル巻きになったのは生まれてはじめてだ! 高杉! 貴様……」
ニーチェは力の限り叫んだ。
「医者を! お医者様を呼んでください!」
ロックフェラーに縄を解かれたリストは、おぼつかない足取りで高杉の元に歩み寄る。
「おい。おいおい。どういうことだ? 何が起こったんだ? おい高杉。貴様何をしてるんだ……」
リストは横たわっった高杉の横にすがりつくように膝をついた。
うんざりした表情で砂を蹴って歩き出したニューマン・ヘインズ・クラントンの前にニーチェは立ちはだかった。
「どこに行くんですかクラントンさん」
「あ? 帰るんだよ」
「約束です。ロックフェラーさんに返してください」
クラントンは口をニチャつかせて笑い、ニーチェの足元に向けて銃を撃った。
響く爆音にニーチェは足の力が抜けそうになったが必死でこらえる。
「何を言ってんだ。あいつは死んだんだよ」
「約束は、勝負をしたら返してやるってことだったはずです。高杉さんは勝負をした。男らしく、逃げなかった!」
「それで死んだだろうが」
「でも、戦った!」
「いいんだ、もういいんだニーチェくん。やめてくれ」
ロックフェラーがニーチェの背中にしがみつく。
彼の声は震え、涙の暑さが背中に伝わる。
ニーチェは恐怖と悔しさと溢れ出る涙を必死で抑えて叫ぶ。
「よくない! 高杉さんは戦った! クラントン、お前は逃げるのか!」
集まってた野次馬の中からニーチェを援護する声が上がる。
やがてそれは合唱となった。
クラントンは空に向かって銃を二度発砲した。
響く銃声により、合唱は止まる。
クラントンはツバを吐き、野次馬の顔を見渡す。
「奪えるから奪うんだ。奪われないような力のないものが悪い。それはこの世界の唯一の掟だ」
自分の吐いたツバの上にロックフェラーの水晶の十字架を投げ捨ててさらに踏みにじる。
クラントンの去る背中が小さくなるまでニーチェは動くことも出来なかった。
「ありがとう、ニーチェくん。素晴らしい勇気だ。損得じゃない。人にこそ価値がある」
「お礼は、高杉さんに言ってください。ボクは……なにもできなかった!」
そう言ってニーチェはロックフェラーの胸に顔をうずめた。
涙も鼻水も止まらずに、ただ嗚咽だけが溢れてくる。
動かなくなった高杉の横にはリストが跪いていた。
「……誰も皆、この私よりも先にいなくなっていく。貴様はいつもふざけてばかり。この私はそれが不愉快でたまらなかった。また共に旅をするなんて悪夢のようだった。本当に貴様というやつは、最後まで。最後まで不快な思いをさせる。高杉、ふざけてみろ! またあの不愉快な悪ふざけでこの私を怒らせてみろ!」
高杉はむっくりと起き上がった。
「ワシは喜んどると思っちょったんじゃが」
リストは高杉に覆いかぶさり首を絞める。
「貴様、ふざけんなっ!」
「ンフガッ! ふざけていい言うたじゃろぅ」
高杉の胸元から弾丸を羽根で受け止めた甲虫がコソコソと這い出てきた。
ニーチェはその黒い甲虫を手で受け止めるとリストに見せた。
「これは! ファーブルさんからもらった、たしか……タカスギコロガシです!」
「弾丸がタカスギコロガシに当たったから助かったのか」
「ワシを糞扱いするのは百歩譲って構わんが、糞をワシ扱いせんとってくれ。世の高杉さんに申し訳が立たん」
弾丸が直撃はしなかったものの、衝撃は強かったらしく高杉はむせながらまた倒れた。
リストが高杉の首に手を回し身体を起こす。
「なぜ自らの命を大切にしないのだ?」
「勝てると思ったんじゃがのぉ」
高杉は頭をかきながら照れ笑いを浮かべた。
「貴様ごときが勝てるわけ無いだろ。この私よりも全然銃の腕が悪かったではないか」
「負けてすまんな。じゃがいい勝負じゃったんじゃぞ」
リストはニーチェとロックフェラーの顔を伺ってきた。
その目には疑いの光が灯っている。
ニーチェは自分の心に正直に、首をゆっくりと横に振った。
「いかん! ワシの命の恩人がどこか行ってしもうた」
「タカスギコロガシが?」
「しゃぁないのぉ! 主と朝寝がしてみたい」
その瞬間、高杉が光を放ち超人になった。
「貴様、超人になれたのか!?」
「みたいじゃの。フランスの辺りでやってみたらなれたんじゃ」
ニーチェはさっきまでの涙も全て止まり、呆れて言った。
「だったらもっとなるべき場面があったんじゃないですか?」
「そんなことないじゃろ。ここまでなんとかなったんじゃ。お、おったおった。ワシの命の恩人」
高杉はフンコロガシを大事に胸にしまう。
リストはそんな高杉を一瞥して肩をすくめる。
「まともにとりあっても無駄だ。いい加減死に場所を探すのはやめろ」
「それはもう止めちょる。ワシは異国じゃ死ねん。ただリストの旦那の指は人を生かす指じゃ、殺す指にするのは惜しゅうての」
高笑いする高杉の頭をリストは歪んだ表情で鷲掴みにした。
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