はみだしミニーチェ『人間的』
ニーチェの著書に『人間的、あまりにも人間的』というものがある。
ニーチェの思想の中期を代表する作で、後期のニーチェ著作に見られる独特の文体はこの辺りから現れた。
この著作の中でワーグナーに幻滅し別離を決意し、ショーペンハウアーの思想とも離脱し始める。
『力への意志』という概念はこの頃に現れた。
後期のニーチェの思想の根幹となる力への意志は、抑制や罪悪感などから開放され、思うままに生きることが重要だと考えられている。
しかしそこにふと単純な反論を思い浮かべてしまう。
「誰もが欲望のままに行動したら無秩序になるのではないか?」
ニーチェの力への意志の観念からすると、無秩序や暴力などを制しようという力も自然と生まれてくるのだろうが、利益のために人を傷つけたり、ただ人を傷つけることを快楽に思う人などの存在を知っていると、ちょっと厳しいんじゃないかと思ってしまう。
その結果訪れた混沌が本来の状態であり、秩序という正しいと思われてるものは幻想であるという結論ともとれるが、ニーチェもここまで発展した人間社会をまったく無意味だと断じるつもりはないだろう。
ニーチェの著作は、慣れてない者にとってとにかく読みづらい。
なんらかの結論が順序立てて導かれるわけではなく、寓話じみたアフォリズムの羅列によって蒙昧とした印象から語り始める。
もっと言えばニーチェは文章の中に唐突にサンスクリット語を紛れ込ませたりして、わざと難解にしてるきらいすらある。
そこにはやはり何らかの意図が込められているのではないだろうか。
例えば難解な文章を乗り越えて真意が伝わったものに自分の思想を伝えたいとか。
表現者にとって誤解は恐怖であり、できる限り誤解のないように伝えたいと尽力するものである。
ニーチェはとにかく人から理解されない人生を送ってきた。
理解者と思われたワーグナーもやはり違った。
真の理解者を求めるあまりあえて誤解だらけの文章を露悪的に書いてしまったと考えるのは穿ち過ぎだろうか。
ニーチェは決して楽天家ではない。
どちらかと言えばシニカルに世界を捉えようと奮闘している人間だ。
ニーチェの届けたかった思想、それが届いた人ならば世界の破滅に近づくような決断はしないだろうと信じたかったのではないか。
ニーチェの文章の端々から、人間に対する絶望と、それでも信じたいという希望が感じられるのだ。
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