第53話 自由であろうという精神こそが不自由なのだ

前回までのあらすじ


 アメリカに渡ったニーチェ、リスト、高杉たち一行はアメリカの北東部へとたどり着いた。

 自分の名を誰も知らないことを落胆したフランツ・リストは、自棄になって場末の酒場のピアノで腕を披露する。

 そこで声をかけてきたダニエル・ウェッソンとホール・スミスの二人組に気に入られ、一行は服を取り替えることとなった。

 アメリカ風の装いに銃を下げた一行は、ナイチンゲールの紹介を頼りヴァンパイア・ハンターの元へと向かった。






 人通りの多い街中に構えられた事務所。

 そこにヴァンパイア・ハンターはいるという。


「怖い人だったら嫌ですね……」


 ニーチェが事務所のドアを叩こうとするとリストがそれを制した。


「心配は無用だ。相手は戦いに明け暮れていたヴァンパイア・ハンター。恐らく政治的な駆け引きなどできやしまい。この私は王侯貴族、権力者や政治家の間で背筋の凍るような心理戦の中で生き抜いてきた自負がある。交渉というものにはやり方があるのだ。相手の欲望を刺激し、求めさせる。そして向こうから差し出させる。こっちが欲しいと悟らせてはならない」

「さすがリストの旦那じゃ。頼りになるのぉ」

「うむ。任せ給え」


 そう言ってリストは懐に手を伸ばして俯いた。


「この匂い……! え? それ、お酒を飲んでるんですか?」

「カハッ。案ずるな。この小瓶も社交界での習いのようなものだ。多少酒を飲んだほうが円滑に話が進む」

「リストの旦那、ひょっとして緊張しちょるんじゃ?」

「バカを言うな。見ていたまえ。この私が本物の社交というものをみせてやる」


 そう言ってリストは事務所の扉を開いた。


「ヴァンパイア・ハンターのエイブという者はいるか?」


 椅子から立ち上がった長身の人物がリストの前に出てきた。


「何者だ?」

「この私はリスト、フランツ・リスト。音楽家で、あの……。ナイチンゲール女史からエイブさんを紹介してもらってだな」

「吾輩がエイブラハム・リンカーンだ。残念だが、今はヴァンパイア・ハンターをやってない。お引取り願えるかな」


 驚いたことにエイブラハム・リンカーンはリストよりも背が高かった。

 普段から人と比べて頭一つ大きいあのリストが顎を出して見上げている姿を、ニーチェは初めて見た。


 リストは振り返ると肩をひそめて胸元から酒瓶を出した。


 高杉がキョロキョロと落ち着き無く歩き回って言う。


「えらい忙しなく働いて、繁盛してるのぉ。ここは何をしとるんじゃ?」


 その言葉にリンカーンは首を折り曲げ彼を見下ろして言った。


「選挙事務所だ。この我輩を知らないのか?」

「すまんのぉ。ワシャアメリカに来たばっかりで、待っちょれ今当てちゃる。その身体からしてプロレスラーじゃな?」

「今はプロレスラーもしていない。今度の選挙で大統領になる男だ」

「大工の棟梁!?」

「大工は父親だ!」

「立派なもんじゃなぁ。父親が大工っちゅうのは立派になると決まっちょる。イエス・キリストさんもそうじゃ」

「大工の息子が世界に何人いると思ってるんだ!」

「大きな声を出しなさんな。今うちのとっておきが交渉っちゅぅものを見せちゃるから。リストの旦那、お望み通り政治家じゃ、それも大統領」


 そう言って振り返った高杉に、ニーチェは大きく首を振った。


「ダメです。リストさん、ぐにゃぐにゃになってます!」


 顔を赤くして酒臭いリストがニーチェの肩にもたれかかっていた。


「なんでそんなに飲んだんじゃ!?」

「わからないですけど。自分より大きな人を見て驚いたのかも」


 高杉は振り返ってリンカーンを見上げる。


「確かにデカい。玄瑞げんずいよりデカい人間がおるとはな。じゃがそれほど怖くもないな。優しそうな顔しちょる」

「それは威厳がないということか?」

「ないな。気は良さそうじゃ」

「威厳は、……やはりないか」

「威厳が欲しいんか? なんちゅぅかな、どうも痩せこけて見えよる。そうじゃ、ここは一つあれじゃな。モミアゲを伸ばしたらどうじゃ?」

「それだけは受け入れがたい!」

「試しに描いちゃる」

「や、やめたまえ!」


 高杉はリンカーンの背中によじ登ってじゃれ合う。

 なし崩し的に懐に入り込む高杉の妙な懐柔術により、リストは倒れたもののなんとか話をする流れになった。


「――そうです。ボクたちも戦うつもりできました。ヴァンパイア・ハンターの力を貸してください」

「事情はわかるが、近く大統領選挙が開かれるのだ」

「そんなことよりも吸血鬼ですよ」

「そんなことか……」


 リンカーンは大きく嘆息した。

 身体が大きいだけあって、一つ一つの普通の仕草すらダイナミックだ。


「――アメリカは今未曾有の危機だ。吾輩も長いことヴァンパイアと戦ってきた。どれほどの問題かはわかっている。決して甘く見ているわけではない。しかしそれ以上に人民の不満の方が問題なのだ。南部が独立をすると言い出してる。それをどうにかしなければいけない」

「吸血鬼の撒き散らす病によって人々が倒れているんですよ。人類が絶滅したら南部も北部もありません」

「すべてのことに対処することはできない。だから対処すべきものを選別する、それが政治というものだ」


 高杉は威厳がないと言ったが、ニーチェにとっては大人の大男が低く大きな声で諌めてくるともう何も言えなくなってしまう。


 リストも大きな男ではあるが、意見で威圧するような思いはしたことがなかった。


 それはリストがニーチェに対して抱いてくれていた情があったからだろう。

 当たり前のように思えたことも、異なる対象に出逢えば見方が変わる。


 天才音楽家フランツ・リストという人物の魅力は決して音楽だけにあるわけではないことに気づかされる。


 その当のリストは赤く歪んだ顔で身体を起こした。

 事務所の人が用意した水を大量に飲み、ようやく口を開いた。


「人は様々なステージで戦う必要がある。王侯貴族の間で演奏をする戦いもあれば、庶民たちの中で演奏をする戦いもある。どちらが優れているなどというのはナンセンスだ。どちらも音楽のためには必要なのだ。この私は長い間その事に気づかなかった。金持ちや有力者にちやほやされている自分が特別だと思い込み、他人を見下すこともあった。今はそのことを恥じている」


 リストにしては気弱な発言だが、酒のせいだけではないだろう。


 ニーチェは知っていた。

 彼はいつだって他人から見られる自分の像と自分自身とで戦っていたことを。


 真っ直ぐなリストの心はニーチェの心に響いた。

 さらに他のものにもその言葉は届いたらしい。


「我輩とて似たようなものだ。だからこそこれからの生き方を誤らなくてすむ」


 リンカーンはそういうと、リストと目を合わせて力強く握手をした。


「エイブの旦那が大統領になる前に、ワシらがヴァンパイアを全部倒しちゃるわ。これは人民のof the people闘いじゃからの」

「そうです。ぼくら人民によるby the people闘いですね」

「音楽と同じだ。人民のためのfor the people闘いだ!」


「なかなか良い言葉だな。これを受け取ってくれ給え」


 リンカーンは大ぶりの斧を差し出した。

 柄の部分にあった装飾は消えかけ、それが使い込まれた逸品であることを物語っていた。


 ニーチェには重すぎる。

 スミスとウェッソンからもらった銃を気に入ってたリストは、その斧を高杉に渡した。


「ええもんじゃな」

「銀の斧だ。これで幾多のヴァンパイアを葬ってきた」

「でもこれ、大切なものじゃないんですか?」

「なに、吾輩には新しい斧が待っている。代々アメリカ合衆国大統領に受け継がれる、ワシントンが桜の巨木を一刀の下に切り倒したという伝説の斧がな」

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