第61話 叩く前に扉を開け
前回までのあらすじ
サンフランシスコに足を踏み入れたニーチェ一行は、その不気味な雰囲気に気圧されていた。
街はすでに吸血鬼の魔力により支配されており、操られた人たちはある男を皇帝として祀り上げていた。
☆
「高杉さん! 大丈夫ですか?」
「どえらいのぉ。さすが親玉じゃ」
皇帝の攻撃をなんとか受け流した高杉は、ロックフェラーの肩を借りて立ち上がった。
「余こそアメリカ合衆国皇帝ノートン1世、ジョシュア・ノートンであ~る!」
演説するように崖上から声を響かせるノートンにリストが下から声を上げる。
「卿がこの世界を滅ぼそうとするものか」
「否! 余は世界が滅びないために、行動を起こす者である」
「世界に蔓延る病は卿の仕業か?」
ノートンはクリスマスの朝の子供のように嬉しそうに笑った。
「拙速であるな。あと一年はかかると思ったが。優秀。さすがである。もちろんそれは余の所業である」
「ならば違いはない。我々はそれを止めに来た」
ノートンは片手を広げ前に出す。
ニーチェが振り返ると、周りにはノートンの部下らしき者たちが武器を収めようとしていた。
すでに囲まれていて、あのまま襲われたら大変なことになっていただろう。
「なぜ? そなたたちは生きている。選ばれたのだ。優秀な者たちだ。最高ではないか」
「妹が病で苦しんでます」
ニーチェは岩肌にすがりつくように叫んだ。
「そういうこともあるだろう。人は死ぬ。それはどのような世になろうと避けられぬ事実だ。ならば人の死を意義あるものとしなければならない。そうではないか? 人が死んでいく、その悲劇をただ悲しむだけで消費するなど、命に対する冒涜だ。そなた共にも受け入れられない死があるだろう。それをただの犬死にしてよいのか? その死を糧としてよりよき世界にしなければなるまい」
「なにを言ってるんですか。あの病は何なんですか?」
「長い時間を掛けようやく目処が立った。それがバカを殺す病である。この病は能力の低いものを殺す。知能が高いものは生き延びられる。精度はかなり高い。これに感染してもバカでない限りは死なぬ。バカは動けなくなりやがて死ぬ。罹患した者の中には愉悦により精神のリミッターを解除できるようになる者もいる。わかってるであろう? そなたたちが言う超人だ。そなたたちがありがたがってる能力はこの病の副作用にすぎない」
ニーチェの周りを取り囲む者たちがノートンを称える声を挙げる。
その声は規律正しくまとまり、地面を揺らす。
「なぜそんなことを!? 皇帝だかなんだか知りませんが、人の生き死にを個人が決めようというのは思い上がりだと思います」
ニーチェの精一杯の叫びは、ノートンを称える吸血鬼たちの声によってかき消された。
ノートンが片手を挙げると大音声となったシュプレヒコールが一斉に止まった。
「超人になるものよ。ここに来るまで世界を見てきたことだろう。どうだ? 今や世界は冬の枯山だ。一度火がつけば誰も止められなくなる。このままでは世界中に紛争が起きるであろう。このアメリカだけではない。ヨーロッパも、辺境の島国とて似たようなものだ。人が人に耐えきれなくなる。それがこれからの時代だ。バカはくだらない諍いにエネルギーを割く。そっちの方がいいのか? 人の生き死にをバカが決める世界のほうが素晴らしいとでも言うのか?」
ノートンの言葉に再び鬨の声が挙がる。
ニーチェは自分が正しい信念を持っていると思っていた。
しかし、この圧倒的な音の前にそんな信念はなんの意味もなさないような気がした。
「もちろん余とて人の死は止められない。吸血鬼と呼ばれようと、神になったわけではなし。そなたたちの言う超人の力を一足早く身に着けただけのものだ。しかし余はこの吸血鬼という名称を誇りに思っている。人が血を流すことを躊躇せずに改革に取り掛かるものだけが受け取る名である!」
高杉が銀の斧の柄で背中を掻きながら言う。
「エイブの旦那の言った通りじゃの。吸血鬼っちゅうのも無敵じゃない。ただどっちも正しいと思っちょる。理屈では決着はつかんじゃろ」
リストがコートを跳ね上げて言った。
「そのようだ。この私たちの旅は理屈で決着のつかないことしかなかった。しかし、それを乗り越えてここまで来たのだ」
世界が苦しんでいる現状があり、その解決の道が目の前にある。
「そなた共は病に罹患しなかった選ばれた者である。しかし選ばれた者が常に正しい判断をするとも限らない。物事を変えるには白を黒というわけにはいかない。システムを変革する。そして運用しながら辛抱強く調整を重ねる。余は夢想家ではない。為政者であるからな。その道は聞き心地の良い物語でないことくらいはわかっておる。そなたたち選ばれた者を抹消するのは辛いことだ。しかし清濁併せ呑むのが真の皇帝であ~る!」
周りを取り囲む吸血鬼の群れは自らが上げた鬨の声に興奮して、もはや一刻も我慢ができないようだった。
「三千世界に!」
「かく語りき!」
超人になるニーチェ、高杉。
リストに声をかける女性がいればよかったが、もうこの場ではどうにもならない。
そう思った時。
「きゃー! リストさん素敵~!」
「ゆりかごから墓場まで!」
上空から降ってきた女性の嬌声によりリストも超人になった。
ニーチェが見上げると、雲の中から巨大な影が降りてきた。
それは飛行船だった。
「超人スキットルズ!」
「超人ナダール!」
「超人ジュール・ヴェルヌ!」
「超人ジャン=ジョゼフ・エティエンヌ・ルノアール!」
「超人アンリ・ファーブル!」
光り輝く超人たちが舞い降りてきた。
「来てあげたわ。他にも、ほら」
そう言ってスキットルズが海を指差す。
「リスト卿、吾輩の息子が世話をかけたようだな」
港に接舷した大きな船の舳先から威厳のある紳士が声をかけた。
「へっへっへ。リストさん。調律済みの素晴らしいピアノを持ってきやしたぜ」
「ベーゼン……ベーゼンなんとかのいいやつでさ!」
スネル兄弟が人足たちとピアノを運びながら言った。
「超人フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト!」
「超人オスカー・ワイルド!」
「超人アルフレッド・ノーベル!」
「超人フローレンス・ナイチンゲール!」
「超人ルイス・キャロル!」
船から超人たちも集結する。
「ニーチェさん、やはり私の目に狂いはなかった。人こそが財産ですね。超人ジョン・ロックフェラー!」
傍らで事態に震えていたロックフェラーもまた超人になった。
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