第47話 傲慢は己の中に、謙虚は己の外に

前回までのあらすじ


 爆発で崩れ去る古城からニーチェたちはからくも逃げ出した。

 捕らわれていた女性たちはスキットルズの手によってすでに助け出されていた。

 そしてニーチェは、最後に逃げ遅れていたルイス・キャロルとその兄弟に手を差し伸べた。

 古城はノーベルさんの安全火薬によって崩れ去った。

 幸い誰も死ぬことがなく、怪我を負った者たちは近くの看護学校に運び込まれた。

 そこでルイス・キャロルは己の行いを告白する。

 それはニーチェが予想していた答えとは全く異なるものだった。

 人が意識をなくすという伝染病。

 それは畜群が撒き散らしているのではなく、静かに世界中に蔓延しているらしい。

 そのまま世界が滅亡するのを止めようとしたキャロルは、意識をなくした罹患者を畜群として覚醒させ、未来に子供を残すために女性たちを攫って匿うつもりだったのだ。







「飛ぶこともできず、逃げることもできないドードー鳥は人によって絶滅させられます。だからこそ、私は世界を閉じたかったのです。世界の急激な流れはやがてあらゆるものを殺します。そう。この思いも、あるものも、全てを殺していく。そ、そこから隔離した世界。シ、シェルターを作って、永遠を創り出すしかなかった。殺されない世界を生み出したかった。――」


 ルイス・キャロルは吃りながら話し始めた。

 ルサンチマンとして古城で構えてきた時とは、別の人物かのように憔悴しきっていた。


 はじめからそう言ってくれれば。

 ニーチェはそう思わなかったわけではない。


 しかしこの世界をなんとかしようともがいていた彼にとって、外からそれを邪魔しようとする存在は恐怖だっただろう。

 それに負けないよう、己を奮起してギリギリの緊張の中で戦っていた。

 ニーチェですら、どこかでルサンチマンは悪だと決めつけていた部分もある。


「――私がしたことは、非道です。そ、それは批判されるのが当然で。許されないことです。そ、それでも私は何度生まれ変わっても同じことをすると思います。信念とはそういうものです。人の意識を乗っ取る忌まわしき人体実験。誰かに止めて欲しいと思っていました。しし、しかし、そんな者が現れることすら諦めていた。そう。世界はやがて、意志薄弱な死んだような者たちで溢れることとなると」


「キャロルさんは食い止めようとしたんですね」


「食い止めることなどできなかった。ただ私は意識の亡くなった人を利用しただけです。新しい未来の希望たる若い女性を守れば、いつかきっとこの病が亡くなった時に人類はまた増えることができる。それが今ある、し、し、幸せな生活を壊すことだともわかっていました。だから許されなくていい。そう。私は許されず、地獄に落ちていい」


 誰よりも自分自身を責めるルイス・キャロルの姿を見て、ニーチェはそれ以上追求する気にもならなかった。

 全貌が見えていれば、他に方法があったかもしれない。

 しかし人間が自分の主観で出来事を判断している限り、最良の判断などできるわけがない。

 その主観で、できる限りの誠意を見せる、その行為自体が他のものからしたら厄災のように思えることもあるだろう。

 それを批判する権利は、人間にはない。


 呼吸を荒げたルイス・キャロルは看護師によって別室に運び込まれた。


 掃除の行き届いた清潔感のある病室。

 シーツも洗いたてで白く、かなり高級な施設であることがわかる。


 たまたま運び込まれた病院ですらない場所でそうなのだから、この国がそれだけ繁栄しているということだろう。


 リストも高杉もニーチェも、多少の擦り傷はあるものの、目立った怪我などはなかった。


 リストが身体を伸ばしながら言った。


「あれはこの私が知った時には畜群と呼ばれていた。ルサンチマンという者のせいだという情報も、幾所で聞いたものだ」

「つまり、そういう名称をつけた者たち、その存在に気づいていた者がいるわけですね。そこに黒幕がいるのかも知れません」


 そう言ったニーチェの声に、ひび割れた声が答える。


「それなら心当たりがあるねぇ」


 ドアが勢いよく開き、逆光の中のシルエットが浮かび上がった。


 シルエットがこちらに向かってくると、明かりによって車椅子に乗った中年女性の姿がはっきりとした。


「あなたは?」


 そう尋ねたニーチェに、そばにいた看護師が叱責するように言う。


「学長です。クリミアの天使、フローレンス・ナイチンゲール!」

「お止め、品のない。自分を大きく喧伝するなんて恥ですよ。それに今は動けない妾よりも貴方たちのほうがよっぽど天使です」


 看護師は背筋を伸ばした。

 怒られるよりも褒められる方が効果は高いのだろう。

 そこまで考えての発言に思える。


「ナイチンゲール女史、なにかご存知ですか?」

「おや、随分と背の高い紳士だこと。妾は戦争帰りなので最近のことはとんと知らないんですけどね、ただまだ妾が娘の頃。あれは1838年だったと思います。ブレーメンに多くの犠牲者が出た疫病が流行りました」

「ブレーメンに?」

「ご存じない? 当時は相当にぎわせたようですけど、幸いそれはすぐに治まったのですが、その病を運んできた者というのが噂になりましてね」

「誰なんです?」

「トランシルヴァニアから来たノスフェラトゥ伯爵、俗に吸血鬼だと言われてます」

「吸血鬼!? なんですかそれは?」

「人の生き血を啜る狂った悪魔ですよ。もちろん今はいません。ただ、昨今話に聞く意識を失う病、それとよく似た症状だったと。誰かが人為的にそれを広めているとしたら」

「それが黒幕ということですか」

「妾がとった統計によると、その病の広がり方は海から来ているらしい。そしてその大本はここ」


 ナイチンゲールは地図の左側を指した。


「……アメリカ?」

「それ以上は遠すぎて正確な統計が取れなくてね。でもそこから来ているのは間違いありません」

「アメリカか……食い詰め者や罪人が送られる地じゃないか」


 三人の中で一番火傷を負い包帯で巻かれていた高杉がようやく嬉しそうな声を上げる。


「ちょうどええ、ワシャここじゃお尋ねもんじゃ。そこなら羽を伸ばせそうじゃ」


 非常識で破天荒な行動ばかりする高杉ではあるが、追われる身であるという自覚は強く、ここに運び込まれても身を小さくしていた。

 恐らく彼なりにニーチェやリストに迷惑がかからないように気を使っているに違いない。


「ボクは行きます。ここまで来たら」


「妾の古い知り合いのヴァンパイア・ハンターがアメリカにいる。そこを尋ねるといい」


 リストだけが眉をひそめ、顎を長い指で撫でながらつぶやいた。


「このフランツ・リスト、一つだけ懸念がある。アメリカに、音楽はあるのか?」

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