第43話 感情は、記憶の倉庫のインデックスである
前回までのあらすじ
ルサンチマンことルイス・キャロルに操られた超人フランツ・リストと戦うために超人になったフリードリッヒ・ニーチェ。
戦えば戦うほど、リストの凄味に気づかされる。
それでもリストから受けたものをすべて出し、戦いは拮抗する。
そんな中でニーチェはリストの理性の欠片に気がついた。
精神を支配されようと、フランツ・リストはフランツ・リストであるために戦っていたのだ。
☆
「ショパンは、幻滅するでしょうね」
リストの放っていた超人の輝き方が変わった。
爆発的に飛び散るような無軌道な輝きがやがて穏やかな包み込むようなものへと変質していく。
「あなたはフランツ・リストです! 天才音楽家、超絶技巧のリスト! 今までも、そしてこれからも、音楽で世界を変えていく。こんなところで朽ち果てる存在ではない!」
リストの身体は強くのけぞり倒れる。
やがてリストは頭を振って身体を起こした。
「気がついたんですね。リストさん」
「すまなかった、フリッツ」
「いいえ。ボクは信じてましたから」
「強くなったな……」
リストのその言葉に、ニーチェは「あなたたちのおかげです」と答えたかったが、あまりにも真っ直ぐにこちらを見てくる目に気恥ずかしくなり、照れ笑いで返した。
「ルサンチマンを追うぞ」
リストはそう言いながら、ニーチェの肩を借りて立ち上がった。
ニーチェとリストの戦いの最中に古城の奥の間へと逃げていったルイス・キャロル。
ずんぐりむっくりな体型の弟と思われる人物が「遅れちゃう、遅れちゃう」と言いながらバタバタと駆けていく後ろ姿が見えた。
ニーチェたちがそれを追いかけると見たこともない部屋へと入り込んだ。
数十人のルイス・キャロルが落ち着き無く視線を迷わせながら言う。
「ところがこれも計算通りなんです。ようこそ、鏡の国へ」
大小形のさまざまな鏡が反射をしてニーチェを映し出した。
それだけで自分がどこに立っているのかわからなくなり、不安でリストに近づこうとしたら、鏡にぶつかった。
さっきまで隣りにいたはずのリストも、本物がどこにいるのかわからない。
「こんなことをしてなんになるんですか! ボクはわかろうとしている。たとえわかりあえなくても、わかりあうとする姿勢だけが解決を導くことを知っているから」
ニーチェが声を上げると、数十人のキャロルが応える。
その声は背後からのようにも頭上からのようにも聞こえる。
「あなたが納得するような理屈などありはしません。人が人を殺すのはなぜです、どんな理屈があります? それをでっちあげることを理屈というのです。実際はそんなものはありません。殺した人がいて、死んだ人がいる。そう。それだけです。面白かったから殺すことも、悲しかったから殺すことも、怒っていたから殺すことも、何も考えていないから殺すこともあるでしょう、そのすべてだとう言うこともある。その人の理論に従っただけです。他人が他人の行動を理解した気持ちになるためにでっちあげられるのが理屈です。そう。私の行動もあなたにはわからない。わかりようがない。だから勝手に理屈をつけるとよいです」
会話ができているはずなのに、話ができない。
コミュニケーションの圧倒的な拒絶。
それだけにルイス・キャロルの生み出す自分自身の世界は深い。
彼の言葉がわからないわけでもない。
ニーチェだって世界を豊かにしようと思って生きているわけではない。
ただ妹を無事に取り戻したくて。
そしてリストとともに旅をするのが楽しくて。
自分の中で新たな感性が芽吹くのが刺激的でいただけだ。
ひょっとしたらルイス・キャロルの思い描いている世界のほうが百年後には正しいとされているのかも知れない。
正しさや間違いは、人が判断できるようなお手軽なものではない。
ニーチェの心の中にあるもの。
それはルイス・キャロルへの断罪ではなく、なぜそのようなことをするのか好奇心だけだった。
それすらも叶わないのか。
そう思いかけた時に、古城が大きく揺れ何枚かの鏡が倒れて砕け散った。
ニーチェのすぐ後ろの鏡が割れ、長身のリストの背中がぶつかった。
「な、な、何が起こったのですか?」
キャロルが甲高い声を上げる。
それをかき消すように爆発音が響き、地面が揺れる。
美しさすら感じさせながら割れていく鏡。
そして石造りの部屋に男の声が響いた。
「拙者は東狂仮面、義によって馳せ参じた!」
目の周りを覆うマスクをつけてボーラーハットをかぶった背の低い男が、わざわざちょっと高い場所から現れた。
「高杉さん!」
「人違いだ。拙者は怪傑東狂。はじめまして、どうぞよろしく」
「さっきは東狂仮面って名乗ってたのに……」
「いちいち細かいこと言うのぉ」
キャロルはドミノ倒しのように砕けていく鏡を見ながら呆然としていた。
リストは胸を張り、キャロルを見下ろして言い放つ。
「どうやら計算通りとはいかなかったようだな。お前は知るまい、やることなすこと想定外の迷惑男がいることを」
さらに爆発が起き、ニーチェもリストもふらついて倒れそうになる。
高杉は妙な身のこなしで器用にニーチェの元へ降りてきた。
「高杉。もういいぞ。止めてくれ」
「東狂マスクじゃと言っちょるのに。どの時にワシだとわかったんじゃ?」
高杉がマスクを外しながらこぼす。
リストは口の端を持ち上げて答えた。
「こんな時に助けに来てくれるやつは一人しかいない」
さらに爆発音が続き、いよいよ古城の揺れも激しくなってきた。
ニーチェは爆音にかき消されないように叫ぶように言った。
「高杉さん、これ! 止めてくださいよ!」
「すごいじゃろ? これは北欧から来た発明家から貰ろうたその名も『ノーベルさんの安全火薬』じゃ」
「すごいのはわかりましたから!」
高杉は真顔に戻ると、リストとニーチェを手招きし耳打ちをする。
「実はな、これを貰ろうた時一つだけ注意されたことがあったんじゃ」
「なんて言われたんですか?」
「未完成だから絶対使うな、って」
その瞬間、連続して爆発が起きて石壁が崩れ始めた。
「貴様というやつは! どうして毎回そうなのだ!」
リストの怒声に高杉が答える。
「今は犯人探しをしとる場合じゃない。はよぅ逃げんと!」
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