第41話 たとえそれが悪手であろうと、指さないという手はないのだから

前回までのあらすじ


 畜群に攫われたオスカー・ワイルドを追うフランツ・リストとフリードリッヒ・ニーチェは、ついにルサンチマンの本拠地である古城までたどり着いた。

 入り組んだ造りの古城にはパズルが仕掛けられており、二人はそれぞれの知恵と経験でそれを突破していく。

 そして囚われていた多くの女性たちを開放した。

 その中にはオスカー・ワイルドや、彼と同じくらいの年頃の少女までいた。

 襲いかかってくる畜群をリストとニーチェは超人になって撃退する。

 やがて行き着いた場所には、リストとニーチェの到着を予見していたルサンチマンがいた。

 ガッチリとした筋肉質なルサンチマンを倒して進むと、さらにずんぐりむっくりなルサンチマンが現れ、それを倒すと細身の女性、肉付きのいい女性のルサンチマンが現れる。

 何度となくルサンチマンと戦い疲労を背負いなんとかたどり着いた部屋には今まで倒してきたルサンチマンたちが勢揃いしていた。






「この形はチェスの駒を模しています。全員がルサンチマンと言うけれど、キングはただ一人。それがあなたです」


 ニーチェは長身で痩身の男を指差した。


「見事です。私が、そう。チャールズ・ドジソン。数学者です。もっとも、この不思議の国の中では違う名前で通っています。もっとエレガントな名前。そう。ルイス・キャロル」

「あなたがこの件の黒幕なんですね」


 ルイス・キャロルはニーチェの問いかけに答えず、落ち着き無く視線を漂わせる。


「質問をすれば何でも答えてもらえると思いこんでるのですね。哀れです」

「わかりました。あなた方がルサンチマンだと仮定します。あなた方にも理屈はあるのでしょう、全く理解できませんが」

「わからないのですか? わかろうとしないだけでしょう。考えた振りをするのはやめましょう、考えるのです。そう。理論上そうすべきだからする、それ以上の答えはありえません。以上、証明終了です」


 リストが胸を張っていう。


「このフランツ・リスト、女を攫うような者に容赦はしない」


「音楽の天才らしいが、音楽とは数学だとピタゴラスの時代から証明されているます。そこまで愚鈍なら音楽の才もたかが知れているでしょ」


 ニーチェはその言葉に反発してキャロルに喰いついた。


「フランツ・リストを愚弄するな。間違いなく、天才だ」

「従者にそう言うように仕込んでいるのですか。手の混んだことです。そういう演劇じみたやり方で人気をとってきたのでしょうね。そう。人気とは幻想です。虚構です。そして幻想を信仰するものは危うい」


 キャロルが片手を上げると、ニーチェと同じくらいの年の少年が駆け寄り、キャロルにガラス板を渡した。

 キャロルはそれを大仰に掲げた。

 そこにはどこかからか隠し撮ったフランツ・リストの姿があった。


「知っていますか? 写真を撮ると魂が抜かれるという話があるのです。あれは正確ではありません。正しくは魂を分割するのです。今ここにフランツ・リストの魂の何分の一かがあります。おっと……」


 ルイス・キャロルの手から写真が映し出されたガラスが落ちた。

 ガラスは石床に砕ける。


「別にどうということはない!」

「そうでしょう。何分の一が消えたところで人の心は揺るぎません。しかしそれがある閾値を超えるとどうなるでしょうか」


 キャロルの元に新たにガラス板が運ばれる。

 ガラスに映し出されたリストの写真が何十枚と並べられた。

 写真というもの自体が珍しいのに、同じ人物が少しずつ違う角度で映されていると、まるで動いているかのように思える。

 それはまるで命が宿っていると言われても信じてしまうほどの光景だった。


「ふはははは。このフランツ・リスト、人気がありすぎてファンサービスが大変だったのだ。これだけあればさぞ喜ばれるだろう、まったくありがたいことだ」

「そうですね。まるで本当に生きているようです。イボまで鮮明だこと」

「イボのことは言うな!」


 キャロルはニヤリと笑って、その中の数枚を叩き壊した。


 ニーチェは自分の写真でなくても、それが失われると心のどこかに大きな喪失感があった。

 リスト自身にはどれほどの精神的ダメージがあるのか計り知れない。


「やめろ! そんなもので魂はすり減りはしないが、気分は良くない。お前がルサンチマンであるのなら、すべてを終わらせる」


 リストが声高に宣言すると、キャロルは口角を上げた笑みのまま言う。


「私もあなたも変わりはしない。あなたはキチガイです。そうに決まってます。なぜって、ここに来たのだから。ここに来るものはすべてキチガイですから。あなたもキチガイ。私もキチガイ。この世にないものに価値を見出す者はみなキチガイです。そう。音楽も。思想も。数学も。食事と睡眠とエロスに酔いしれる動物こそが真っ当。世界はキチガイなんですよ」


 リストは吐き捨てるように言った。


「お前はキチガイと呼ぶのか。この私は違う。これを超人と呼ぶ」


 ここまで勇気を出してついてきてくれた救われた女性が、リストに向かって嬌声を上げた。


! 超絶技巧、超人フランツ・リスト!」


 キャロルは両手を掲げる。


「計算通りです。それを待っていたよ」


 キャロルの合図で背後にいた筋肉質なルサンチマンがクランクハンドルを回す。

 そして別の中背のルサンチマンが重厚なレバーを下ろした。


 その瞬間、リストに向かって閃光が放たれた。


「ぐわぁ!」

「リストさん!」


 火花が散りリストから破裂音がする。

 リストはぐったりと動かなくなり、身体から煙が上がった。


「何をした!?」

「あなたたちはいつもそうです。理由を聞くくせに、説明しても理解しない。伝える義理もありませんがね」


「兄さん、あたし言いたい!」


 キャロルの元にまだ少女のルサンチマンがやってきてまとわりつく。

 キャロルは満更でもなさそうなハニカミ笑いを浮かべていた。


「フランケンシュタインを知っている? あたしが生まれる前に大流行したお話なんだよ。フランケンシュタイン博士が人造の怪物を生み出す話なの。あの話は幻想なのだけど、優れた幻想には一握りの真実が含まれているんだよ。兄さんはその理論を応用したの。一時的に写真で魂を薄めたところに電気でショックを与えて性質を書き換える。これは催眠ヒプノシスという最新の科学なんだって。今そのおじさんの心は幻想世界を漂ってるの。もうすぐあたしたちの仲間になるんだ」


「そんなことはさせない。リストさん、しっかりしてください!」


 ニーチェは焦げ臭い煙をたてて倒れているリストを抱き起こす。


「やめてくれないか、従者くん。フランツ・リストは音楽家だそうだね。抽象世界の美を愛するものは催眠ヒプノシスで操りやすいのです。そう。自分たちと同じ世界の住人ですよ。従者くんはどうやら違うようですね。帰っていただけるかな?」


「リストさん」


 ニーチェの呼びかけに、リストのまぶたが痙攣で答えた。

 リストは深く呼吸をして目を開いた。


「フランツ・リストさん。彼が邪魔をして困ってるんですよ。助けてくれまいか?」


 リストが身体を起こし、ニーチェを見る。


 そしてゆっくりと近づきニーチェの胸ぐらを掴んだ。

 あの、ニーチェの家でピアノを盛大に弾いた、長い腕だ。

 何度もニーチェの背中を押してくれた大きな手だ。

 そしていつも憧れを持って見上げている長身だ。


 リストはそのまま無表情でニーチェを投げ飛ばした。


 石畳の床をすべり壁まで飛ばされたニーチェは、身体の痛みに耐えながら立ち上がった。


「リストさん。あなたと戦うなんて考えられない。しかし、あなたが世界を滅ぼすことはもっと考えられない。


 絶望こそがニーチェのトリガーなのだから。

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