第23話 そこで不幸な逆転が起きる、本当は自分の嫉妬心が先なのだ
前回までのあらすじ
ファーブルを呼び出したところに運悪く畜群のエリートが襲ってきた。
リストとニーチェは超人となり畜群を撃退する。
そしてファーブルはその戦いの中で心を開いていった。
誰にも助けを求められず、孤独の中で彼を
☆
「そ、そんなことで? そんなつまらない一言、言った方も忘れてますよ」
ニーチェが声を上げると高杉が肩を強く掴んできた。
振り返ると彼にしては渋い表情で首を振っている。
「そりゃ、他人が言っていいこっちゃない。どんなにつまらないことに思えても本人にとっちゃ苦しみの大厄災じゃ。取り消しぃ、ニィちゃんのためやぞ」
「ごめんなさい」
高杉に言われて考えてみれば、確かにそうだった。
自分にだってそういった感情はある。
そしてそれがつまらないことだという自覚もある。
だからと言ってどうにもできないのが心というやつだ。
振り返るとリストも沈痛な顔をしていた。
「この私は、どちらかというと、そのつまらない一言を言ってきた方かも知れん……」
「まぁ、吐いた言葉は飲み込めん。これから気をつけることじゃの」
「そうなのだが。貴様に言われるとちょっとむかつくな」
話を聞いていたファーブルは顔に巻いていたボロ布をとった。
その下の顔は、不気味そうな印象とは打って変わった、少し気の弱そうな中年男性だった。
「虫の毒は痛いんだ……」
眉を下げてそう呟く。
顔に包帯を巻いていたのは虫に刺されたからだったらしい。
「あなたも学徒となりたいのですか。プロイセンはどうだか知らないがフランスでは学位を獲るのにも金がいる。すべてが金です。私はただ広く教えたいだけなのです。この素晴らしい昆虫の世界を。昆虫から見える世界の輝きを」
「上手くいかないものですね。確かにお話を伺っていると興味深い部分は多いです」
「人は昆虫を知ればもっと美しく生きられる。ただそれを知ってもらうすべがない。だから短絡的なことを思い描いてしまった。リストさんの言う通り、孤高に生きる覚悟が足りなかったのかも知れない」
高杉がファーブルの袖を引く。
「先生。おぬしは日本っちゅう国を知っとるか?」
「知りません。昆虫のこと以外はさっぱりで。日本? 国ですか?」
「東の果てにあるちっぽけな国じゃ。わしゃ、ここに来るまでフランスをビャーっと駆け抜けてきたんじゃがの。こう言ったら気が悪いかも知れんが景色が代わり映えせん。ようやっとここに来て山が見えてきおった。その点、日本はえらいぞ。山のすぐ隣に海がありよる。盆地も沼も岩場も川も。オマケに地震雷火事なんでもおこる物騒な場所じゃ」
「ろくでもない国だな」
リストが呟いた。
「いや、しかしそういう場所なら……」
「そう。虫はようけおるぞ。それこそ色んなのが。それに米づくりには虫の声を聞かにゃいけんし、虫の糸で儲けとる村もある。案外先生はそんな場所で好かれるかも知れんのぉ」
「突飛な話ですね。見たことも聞いたこともないような国で、このフランスでも無名な私の話が受け入れられるとは」
「虫にとっちゃ、国なんぞハナから気にしちゃおるめぇ」
「そのとおりです。そんな途方も無い大ぼらを信じてみるのもいいな。人の営みなど小さいもの。広く長い目で見れば私の研究が輝く時と場所があるかも知れない」
もうファーブルが敵対することはないだろう。
安堵したニーチェはあたりを見回して言った。
「ところでスキットルズは……」
「あなたたちが逃したんじゃないのですか?」
「ボクたちが来たときにはもうもぬけの殻でした」
「実はあの籠には鍵などかかってなかったのです。というのも、そこに入ると言い出したのは彼女でして」
「ひゃっひゃっひゃ。面白いのぉ。先生を
「お恥ずかしい」
ファーブルは顔を赤らめた。
スキットルズがなぜそのようなことをしたのかは理解の及ばないところにあるが、あの温泉地での騒動の元凶となったはた迷惑な言動を思い返せばそれが嘘ではないことがわかる。
「なんなんですか。一体あの女の目的は」
「フリッツ、よく覚えておくといい。女という生き物はよくわからないところが可愛いものなのだ」
「リストさん、結婚するんですよね?」
「まだしてない。世界中のすべての女性はまだこの私と恋に落ちる権利を有している」
「それを言うなら、ワシもそうじゃの。まだ結婚前じゃ」
「貴様は自分がどれほどおかしなことを言ってるのかわかっているのか?」
「それを言うならリストさんもですよ」
ファーブルはいずれ肖像写真を撮りにナダールの元へ向かう約束をした。
ニーチェはファーブルが手紙を書くのに使った紙の中に、ボロボロになった新聞の記事を見つけた。
「リストさん、高杉さん。あの畜群とかいう者が残した写真と言葉を覚えてますか?」
「もちろん! ……なんじゃったかな。ここまで出かかちょるんじゃが」
高杉が手を喉のあたりで振る。
それを見てリストは大きく嘆息した。
「貴様という男はまったく哀れな男だ。この私はここまで出かかっているぞ!」
そう言って手を額のイボのあたりで振った。
「そこまでいったなら出してくださいよ。いいですか? 確か『優れたものは世界が選ぶ』そして写真のガラス板に掘られた『神の
「確かにのぉ。そのことだけはさすがのワシも気づかんかった」
「神は百年ごとに足場が揺らぐ。コペルニクスの地動説、ニュートンの万有引力、そして今、もっとも神の存在を危うくしている人物こそがイギリスに住むチャールズ・ダーウィン。進化論のダーウィンです」
ニーチェはボロボロになった新聞らしき記事を開いて見せた。
そこには大きな文字とダーウィンの風刺画が描かれていた。
リストと高杉がその記事を覗き込む。
「よく気づいたなフリッツ、大手柄だ」
「ワシも褒めたいが、読み書きができんからまったくわからん。ダーウィンちゅぅのは何者じゃ?」
「まったく、貴様という男は。よかろう、フリッツ説明してあげたまえ」
リストは高杉からの質問を華麗に受け流してニーチェに渡した。
ニーチェも専門家ではないので詳しいことはわからない。
しかし、昨今何かと話題になる科学者の一人だ。
ダーウィンは進化論という、それまで与太話のように考えられていたものを、研究により突き詰めた。
それによれば人間は、はじめから人間だったのではなく、他の動物が変化していった動物の一種であるという。
当然その考えは教会から一笑されている。
人は神が自分に似せて作った生き物であるべきだからだ。
人間も猿もネズミも元は似たような動物だったと言われて冷静でいられる者のほうが少ないだろう。
「ニィちゃんもリストの旦那もよう知っとるのぉ。さすが西洋の学問は面白いことを考えよる」
次の目標が決まったこととに湧き上がり礼を言うとファーブルは口を開けたまま呆れ気味に言った。
「あの畜群を見て
「それでもボクたちがやらなければ。超人であるボクたちが」
ニーチェはリストを見る。
彼はニーチェに向かって力強く頷いた。
「幸運を祈ってこれを差し上げます。エジプトでは太陽の神とも崇められている昆虫です。きっとあなたたちを守ってくれるでしょう」
「丸くて妙ちきりんな虫じゃのぉ。何を食うんじゃ?」
「主にうんこです。フンコロガシですから」
ファーブルの差し出した甲虫はリストからニーチェ、ニーチェから高杉の元へと渡された。
「高杉、よかったな」
「よかったですね、高杉さん」
「悪いのぉ。ワシがもろうてええんか?」
リストとニーチェは力強く頷いた。
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