第13話 敗北せよ、そしてまた敗北せよ

前回までのあらすじ


 パリに住む写真家ナダールの元に向かう途中で盛大に迷う一行。

 そこにナダールの居場所を知っていると近づいてきた男はジュール・ヴェルヌと名乗った。

 一緒に行こうとする矢先ヴェルヌは地元の子どもたちにまとわりつかれ、冒険譚をねだられた。

 子どもたちが言うには、ヴェルヌは世界を股にかける大冒険家らしい。

 ヴェルヌは渋々冒険譚を語るが、それに対してヨーロッパ中を旅するリストと、東の果てから来た高杉が間違いを指摘をしていく。

 やがてヴェルヌは激昂して様子がおかしくなっていった。






 ジュール・ヴェルヌは落ち着き無い身振り手振りで言う。


「嘘ではない! 世界を股にかけた大冒険家ですぞ。あなたたちは世界のすべてを見たわけではないであろう! あなたたちの知らないところもあるのだ! 地の底、海底、さらにその下にある世界を見たわけではないだろ!?」


 ニーチェはその無駄に大きい声での喧伝けんでんを煩わしく聞いていた。


「このフランツ・リスト、天才の名に恥じぬ寛容さを持っていると評判だが、どうしても相容れぬものがある。それがひょうきんな日本人と冒険家だ」

「な、なんですって!? 冒険家は音楽家の次くらいに格好いいじゃないですか」

「好かん!」


 リストはけんもほろろに手をシッシと振る。


 おそらくリストはシーボルトのことで悪印象を抱いているのだろう。

 それははからずもニーチェと同様だった。


「ナダールは! ナダールの居場所はどうするのです? 私が案内しなければたどり着けませんぞ」

「アドリブでなんとかする」

「アドリブ! そういう姿勢が大冒険では一番危ないのですぞ! それにこの面子を見て下さい。我々はダルタニアンを導く三銃士のようではありませんか。ニーチェくんがダルタニアン。リストさんはアラミス、高杉さんはポルトス、そして私が……」

「従者のプランシェですか?」


 ニーチェがそう言うと、ヴェルヌはのけぞりすぎて尻餅をついた。


「アトス! 三銃士って言ったじゃないですか。私が従者なら2.5銃士になっちゃうでしょうが」


 高杉があくびをして言った。


「ワシャ、タイプ的に諸葛亮だと思うんじゃがのぉ」

「そんなやつは三銃士にはいない!」


 見るとリストは不機嫌そうな顔をしていた。

 ニーチェと目が合うと、リストはふてくされたように呟いた。


「……読んでない」


「なんと! 読んでない! あの大デュマの大傑作を!」

「この私は寛容で恐れられるほどだが、世の中にどうしても許せないものがある。ひょうきんな日本人と、冒険家と、本を読んでないからとバカにする輩だ」

「私、ダブルじゃないですか! いいんですか? ナダールのところに行けなくなっても。私は旅に関しては役立つ男ですよ」


 ニーチェは口には出さなかったが、リストが順調に許せないものを増やしていくことに焦っていた。

 次にそこに列挙されるのは自分かもしれないのだ。


 高杉が路傍の石を拾い上げて嬉しそうに掲げて叫ぶ。


「おい、見ぃ! この石うんこに似ちょるぞ」


 するとリストはヴェルヌに背を向けて高杉を思い切り見下して言った。


「貴様というやつはまったく哀れな男だ。このフランツ・リストの手にかかれば、そんなものよりも芸術的なのを探すことなど造作もない。これなんかどうだ?」

「リストさん、それは……。相当お腹の調子悪いんじゃないですか?」

「似てるであろう!」


 リストの拾った石を高杉とニーチェが覗き込んでいると、ヴェルヌが絹を引き裂くような声を上げた。


「無ー視ーっ! 旅の重要さを説いてるというのに。石なんて大体うんこに似てますぞっ!」


 高杉が石を放り投げて鼻で笑う。


「ぬしゃ、随分と薄っぺらいのぉ。世界を旅した冒険家じゃ? 世界中の石を見たんならそんな言葉は吐けんはずじゃ。石ちゅぅんは、うんこに似とらんもんのほうが多い。これがうんこに似とるか? こんなものをおぬしゃヒリ出すんか? なんぼ世界を知った気になっても、自分の足元すら知らんのじゃないのか?」


 高杉は拳2つ分もあるうんこに似てない石を持ってヴェルヌに迫る。


 もっともらしく聞こえるが、石がうんこに似てるか似てないかで追い詰められるヴェルヌは気の毒としか言いようがなかった。


 ヴェルヌとの先の見えないやり取りに呆れていた時だった。

 ニーチェたちがやってきた道の向こうから悲鳴が上がり、見ると畜群が大挙してやってきた。


「まずい。ここを通すと街になだれ込んでしまう。なんとかここで食い止めねば。誰か、女性の黄色い声を! 嬌声をこのリストにかけてくれ!」


 ニーチェは逡巡していた。


 超人になるしか畜群を止める手はない。

 しかしそう上手く超人になれるのか自信がなかった。

 リストにとっての女性の嬌声のようなトリガーがなんなのかまだわかっていない。


 そんなニーチェの胸を高杉が片手で抑える。


「ここはワシに任せぇ。ニィちゃんは秘密兵器じゃ。あとこれは余談じゃが、ワシは日本に帰ったらすぐに祝言をあげることになっちょる。これがまたべっぴんで萩城下一とまで言われとるんじゃ」

「エピソードを語るタイミングが不自然すぎませんか?」


 高杉は口の端をニッと持ち上げて笑うと、畜群たちの中に飛び込んでいった。


「な、なんだあいつらは?」

「畜群です。明確な意志も持たずに、命じられるままに若い女や歯向かう人を襲う者たちです。世界を見聞きしても知りませんでしたか?」


 ニーチェが答えると、ヴェルヌは肩を震わせながら言った。


「わかってるんだろ! 私は、冒険家なんかじゃない。世界の果てどころか、フランスから出たこともない。全部妄想なんだ。あの高杉のような何事にも動じないたくましさに憧れた。リストさんのような世界から称賛を浴びる才能に憧れた。しかし私はただの売れない作家。私にはなにもない、なにもないちっぽけな男なんだ!」


 ニーチェは子供のように喚くヴェルヌを見て腹の奥に泥が詰まったような気がした。

 彼の悔しさも悲しみも、この面子の中で一番身にしみるのはニーチェだ。


 自分ほどの才能を抱えたものは他にはいない。

 そう思っていた世界は旅をすることによって儚く崩れていった。


「ボクにもなにもありません。妹を救うために旅をして、たまたまこんな風に巻き込まれているだけです。しかしそれでいいと思っています。確かにリストさんも高杉さんもすごいけれど、その価値は幻想みたいなものです。一緒に過ごしているとよく分かる、人は人でしかない。幻想の価値を追い求めて、自分に足りないものばかり数えて生きることが人生でしょうか。あなたにはなにもない。だからこそ想像力が生まれた。そこには誰にも手の届かない価値があるんじゃないですか?」


「ニーチェくん……」


「この世に良いも悪いもない。価値なんてないのかもしれません。だからこそ人間は自分の意志で目標を生み出し、そこに進む必要があるんだと思います」


 そう言ってニーチェは畜群たちを見据えた。


「これは渦中じゃなー!」


 畜群に服を剥ぎ取られた高杉が縦横無尽に跳ね回りながら叫ぶ。


 身体の奥から弾け飛ぶような悦楽が走る。


 リストがそれに気づいて駆け寄ってきた。


「フリッツ、ダメだ……」

!」


 光りに包まれ、ニーチェは再び超人となった。

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