第11話 全ては終わる。その旅の行程こそが実である

前回までのあらすじ


 超人になったフリードリッヒ・ニーチェは、その力で畜群たちを倒して窮地を脱した。

 ルサンチマンを突き止めるには写真という手がかりしかなく途方に暮れていた一行。

 しかしちょうどリストの元にフランスの写真家ナダールから肖像写真を撮りたいという知らせが入った。

 フリードリッヒ・ニーチェ、フランツ・リスト、高杉晋作の三人は陸路でパリを目指すことになった。






「そもそもなんでついてくるのだ。日本とかいう国に帰りたまえ」

「誰のせいで帰れなくなっちゃったと思うとるんじゃ! ……ほぼワシのせいじゃが、それを除けばお主らの責任じゃろ。ワシャ役には立たんが、考えてみい? 旅の醍醐味っちゅうんは役に立たんもんの価値を発見することぞ」

「この私と貴様は気が合わない」

「旅をするなら気なんぞ合わんほうが楽しかろ。辛気臭い顔せんと。せっかくのチャーミングなイボが台無しじゃ」

「イボのことを言うな!」


 リストと高杉が言い合いをしているうちに一行はフランスに入った。


 ニーチェにとって高杉晋作という男は苦手な部類に入る。

 筋道立てて几帳面に物事を運ぶというのがニーチェの生来のやり方だ。

 高杉は、そういうものをすべて壊し、誰も考えつかなかった道なき道を進もうとする。

 話をすればいちいち脱線し、しかも責任を取ろうともしない。

 リストのアドリブとは違い、そもそものルール自体を放棄している。


 そんな絶対に相容れないはずの高杉なのだが、不思議なことにニーチェはその存在を受け入れていた。


 その要因はやはりフランツ・リストにある。


 ニーチェとリストの二人きりだと、どうしてもリストの目を意識しすぎてぎこちなくなってしまう。


 それが第三者である高杉の目があると、楽に振る舞うことができた。

 高杉を注意するという立場でリストと共同戦線を張れるのもありがたかった。


 目の前に広がるなだらかな丘陵に沿って、家々が重なり合いにぎやかな街を形成している。


「あれがモンマルトルの丘ですか?」

「パリは初めてか、フリッツ?」

「はい」


 ニーチェがそう答えるとリストは歩みを止めてゆっくりと天を仰いでいた。


 高杉はそれを見て道端に座り込む。


 仕方がないのでニーチェも足を止めた。


 やがてリストはゆっくりと口を開いた。


「何度も来てるのに不思議なものだ。遠くに逝ってしまった友人を思い出す。彼とはパリで出会い、かけがいのない時間を過ごした。フリッツ、キミと一緒だからかな」

「ボクですか?」

「初めてキミを見た時、彼のことを思い出した。人前に出るのが嫌いでね、当時社交界でズッコンバッコンわせてたこの私は人生を無駄にしていると笑ったものだよ。しかしそれは間違いだった。彼は誰よりも豊かな情熱を内に秘めていた」

「だからピアノを弾かせたんですか?」

「比べるべくもなかった。キミの屁みたいなピアノに比べ、彼の演奏はまさに光だった。彼の才能を真に理解できたのは世界でもこのフランツ・リストだけだ」

「屁みたいな……」


 思い出話に紛れてニーチェのピアノをこき下ろすリストの言葉に呆然とさせられた。

 確かにそりゃそうかもしれないけど、あの時は自分なりによくできた演奏だと思ってはいた。

 リストも褒めていたし、そのことはニーチェを有頂天にさせた。

 ただ今となってはそれが、興味の無さ故に出た社交辞令の言葉だったというのもわかる。

 フランツ・リストの天才さはニーチェの想像を遥かに超えていた。

 しかしサラッと致命傷を与えてくる言葉に、あの時の社交辞令は何だったんだいう憤りも湧いてくる。


 フランツ・リストがそこまで言う音楽家。

 一人だけ心当たりがある。

 ニーチェが幼い頃に亡くなっているが、未だに彼の名声は衰えていない。


「フレデリック・ショパン?」


 リストはニーチェを見ると、少しだけはにかんだような表情で頷いた。


 リストとショパンは不仲だったという話をニーチェは聞いたことがある。

 しかしリストの様子を見ていると、それは俗な醜聞にすぎないように思えた。


「ショパンも頑なにこの私をフランツと呼ばなかった。それでも彼との友情は本物だったよ。誰に対してでもそっけない男だったが、彼の本心など演奏を聞けばこのフランツ・リストには瞭然だった。そうだ、彼はこの私に部屋の鍵を預けていた。その部屋はまさに創造の宮殿と呼ぶにふさわしかった」

「それはもう大親友ですね」

「ただやはり天才同士軋轢あつれきが生まれることもある。今更悔やんでも仕方がないことだが」


 さすがにフランツ・リストとフレデリック・ショパンのレベルの音楽性の違いなどはニーチェには想像もつかない。

 それでも高みにいればいるほど、真剣になればなるほどぶつかってしまうことがあるのは理解ができる。


「喧嘩なんざ誰でもすらぁ。つまらんことだろ?」


 高杉が爪の間の黒くなったカスをほじりながらそっけなく聞いた。


「創造の宮殿で彼のスポンサーの女とイチャイチャしてたのがバレちゃったのだ」

「それは10対0じゅうゼロでリストさんが悪いですね!」

「確かにこの私も悪かった。しかしあんなに怒らなくてもよかったんじゃないかと、今でも納得がいかない」

「怒るでしょ、それは。なにやってるんですか! 創造の宮殿とかよく真顔で言えましたね」


 リストはニーチェを指差した。


「それだ。キミのその怒り方がショパンにちょっと似てるんだ」

「これが! ……もっといい話かと思った! もういい、行きますよ」


 パリに向かいながら歩いているとリストがニーチェの肩に手をおいた。

 近くで見るとギョッとするほど大きい手だ。


「フリッツ、キミが超人になれたことは喜ばしいことだ。しかしあれは精神にも肉体にも大きな負担がかかる。この私のようにあらゆる色を味わってきた天才ならまだしも、子供のキミにはまだ早すぎる。控えたほうがいい」


 リストの言葉にニーチェは黙って頷いた。


「痛ぇのか?」

「いいえ。痛くはありません。むしろ……」


 高杉の質問にニーチェは言い淀んだ。


 超人になると開放感と全能感に酔ってしまう。

 その恍惚に抗うことができず自制が効かなくなるのだ。


 あの畜群たちと対峙した時、自分でもやりすぎだというのはわかっていた。


 リストが心配するのもよくわかる。


「だったらもっとデタラメにやった方がいいな。祭りはデカくやらなきゃ意味がない」

「なにもわからないくせに余計なことを言うな」


 高杉が口を開けば、すぐにリストは顔をしかめて反論する。

 

「生きるっちゅうのは、余計なことを言うことじゃ。良いも悪いも誰かが決めることじゃあるめぇ」

「彼がいたずらに傷つくことを看過できるのか?」

「傷つく結構。失敗してからが人間じゃ。失敗一つ許せねぇとは、おぬしゃ松陰しょういん先生に比べたら小者じゃのぉ」

「ショーウィンなどという音楽家は知らん!」


 リストと高杉は胸をぶつけ合うように言い合いをする。

 リストの長身に比べて、高杉は比較的小柄だ。

 向き合っても頭一つ分リストのほうが大きい。


「しっこ!」


 高杉はそう叫び、踵を返すと足まである服をまくりあげて用をたし始めた。


 予想外の行動に思わずリストとニーチェは後ろに飛び退いた。


 水を滴らせる音を響かせながら背中を向けたまま高杉は言った。


「ワシャ、ピアノっちゅうのはようわからんが、おぬしの腕が途方も無いことくらいわかっちょる。ようもあんなに間違いなく指が動くもんじゃ。ただそれだけじゃあるめぇ。よっぽど失敗してきたんじゃないか?」

「このフランツ・リスト、超絶技巧とまで呼ばれる天才だ。失敗など一度たりともない!」

「女関係は?」


 リストは反論しようと口を動かすが、そこから声はでてこなかった。


「――だがそれが良いじゃねぇか。あれほどの艶、色気は生半なまなかなことじゃ出やせん。そうは思わんか、フランツの旦那」


 ニーチェがリストを見上げると、彼は歯を食いしばり絞り出すように言った。


「馴れ馴れしい。リストさんと呼べ」


 振り返った高杉は気持ちのいい笑顔で言った。


「ワシも失敗だらけじゃ。拭くもんもってないか? ビチョビチョになってもうた」


「ちょっ! そんなことを失敗しないで下さい!」


 手をなすりつけようと追いかける高杉と、それから逃げるニーチェとリスト。


 それを追いかける一つの影があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る