はみだしミニーチェ『音楽』
フリードリッヒ・ニーチェはピアノを好んで弾いていた。
特に好んで弾いていたのが日本では『慰め』と呼ばれるフランツ・リストのコンソレーションだと言われている。
そんなニーチェと最も深い関係をもつ音楽家と知られているのは、リヒャルト・ワーグナーである。
ニーチェが初めてワーグナーを聞いたのは17歳の頃と言われているが、彼が24歳で古典文献学の道を歩んでいる時、ライプツィヒを訪れたワーグナーと出会い親交を深める。
また同じ頃に哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーの本と出会い哲学への道を進む決意をすることとなる。
ニーチェの初著作である『悲劇の誕生』を含めワーグナーへの批評は多く、彼を語る上で欠くことのできない要素である。
ショーペンハウアーは「音楽は絵画や彫刻などの他の芸術と違い、なんらかの形状を介すことなく直接心に意志を伝える特異性がある」と語ったが、ニーチェはそれをさらに発展させワーグナーの音楽を称えている。
自身でも作曲をしたニーチェであるが、音楽的な評価は今日までさほどされてない。
ニーチェの思想は、音楽という自身の身体と空気の振動だけによる閉じた世界の中で育まれたものなのかも知れない。
余談ではあるが、ニーチェはワーグナーと信仰を深めると、のちに彼の妻となるコジマとも出会うこととなる。
当時コジマはフランツ・リストの教え子のハンス・フォン・ビューローの妻であったが、なんやかんやあってワーグナーの子を産み、ビューローと別れ、ワーグナーと結婚をした。順番がメチャクチャである。
ニーチェはコジマのことを
「最高に高貴な精神をもつ比類なき人物である」
と激賞している。
そのコジマ・ワーグナーの父こそヨーロッパ中で当時最も評価された音楽家、フランツ・リストであった。
作中では多少の脚色をしてあり、フランツ・リストとフリードリッヒ・ニーチェの間に親交があったかは定かではない。
しかし現在に至るまで「フランツ・リストとフリードリッヒ・ニーチェは共に旅をして世界を救ってはいない」という記述も見つかってないからまだわからないよ!
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