『ストーリー・ジーニアス 脳を刺激し、心に響かせる物語の創り方』パンツィング神話

『ストーリー・ジーニアス 脳を刺激し、心に響かせる物語の創り方』

 リサ・クロン=著



 パンツィング神話


 書くうえで最善の方法は、机の前に座り、頭をクリアにして、パンツの尻の部分で書く、つまり直感で書くことだと信じている作家の一派がいる〔英語の慣用句”by the seat of one’s pants” は「直感によって状況を切り抜ける」の意〕。つまりこれが〝パンツィング〞である(もちろん、〝パンツィング〞にはズボンを脱がせるという意味があることはわかっている。あくまで執筆の世界の用語だ)。一部のグループでは、これが書くためにいちばん確実なやりかたとされてきた。これが魅力的に響くのは、簡単そうで、率直で、純粋なやりかたに見えるからだ。思いきってやってみればいい! とにかく、語ることを運命づけられている物語を〝発見する〞途上で、すべてをぶちまけていけばいい。書き始める前に自分の物語について知るなどということは、創造性を殺し、霊感の源をわずらわせるだけなので嫌がられる。そう、詩人のロバート・フロストも言っているではないか、「作家に驚きがなければ、読者にも驚きはない」と。この言葉は良く言っても疑わしい感傷だし、ミスター・フロストが恐縮するぐらい極端な意味で引用されることも多い。なんだか、ケヴィン・コスナーが映画『フィールド・オブ・ドリームス』で唱えていた言葉のようだ――「それを作れば、彼らはやってくる」。作家的な解釈をすれば、やみくもに書けば物語は魔法のようにやってくる、ということだ。だが、その結果、作家と読者の双方の驚きは、たいてい同じになるだろう。「うーん、この物語は面白そうだと思ったんだけど。くだらなかったな」という失望の驚きだ。


 とはいえ、失敗を招くだけのパンツィングは、なぜ人の気をそそるのだろう? 座って〝すべてをぶちまける〞ことに、なぜ人は魅力を感じるのだろう? 簡単だ。人間は簡単なことをやろうとするようにできているからだ。これは悪いことではない。人間が弱くて面倒くさがりの怠け者だということではないのだ。懸命に考えることには大量のエネルギーがいる。脳は人間の全体積の2パーセントしか占めていないが、人間が使うエネルギーの20パーセントを消費する。考えるだけでカロリーを燃焼させるのだ(ダイエットには充分とは言えないが、事実は事実だ)。つまり、考えずにやろうとする衝動は、生き残りのメカニズムに組み込まれたもので、まったく予期せぬ状況、真の危険、避けがたい試練などのために――つまりは物語で起きるような事態のために、貴重なエネルギーを節約するうえで役に立つ。


 それに、思いきって何も考えずに書き進むことは、最初はとてもたやすく思える――解放感さえ感じる。まっ白なページから書き始めることはひどいストレスにもなるので、とにかく書き殴ってみることは救いになり、気分が良くなるばかりか、正しくやれている気になれる。だからこそ、これぞベストセラー小説を出版するための自然なやりかただと信じたくなるのだ。しかし、やがて作者は、32ページ目か127ページ目か327ページ目で行き詰まり――3ページ目ということもめずらしくない――そして直感で書くことの爽快さも薄らいでしまう。


 誰にでもこの気持ちはわかるのではないだろうか。何ページも何ページも書き進めてきて、そして突然道に迷う。何もない広大な原っぱのまん中に立っているような気分になり、次をどうするか、何が重要か、物語がどこへ向かうのかもわからなくなる。そしてこう考える。「きっと自分が悪いんだ、僕はできそこないの作家なんだ。優れた作家なら、次に起きることも自然と頭に浮かぶはずだよ。僕がヘッドライトで暗闇を照らしても、霧しか見えないじゃないか」。安心してほしい、あなたはできそこないの作家ではない。どうやって物語を育てればいいか、まだ知らないだけだ。


 パンツィングの素晴らしさについてよく引用される、もうひとつの神話がある。人を惹きつける物語は、自分の創造性を完全に解き放ってこそ生まれる、というものだ。ひとつ言っておきたい。創造性には文脈が必要だ。創造性は抑制する…必要がある。文脈は、意味を与え、何が重要で何がそうでないか、それはなぜなのかを明確にする。起きたことすべての重要性を、読者が判断するための物差しと思ってもらえばいい。物語に登場するバラは、単なるバラではない。隣に住むハンサムな男からの愛のしるしなら、思わず見入ってしまう素晴らしい物だ。夫がぎりぎりにくれた、結婚十周年のしおれた贈り物なら、大きな失望の品だ。恋人に渡すはずだったのに忘れてしまい、それが理由で彼女と別れたとしたら、心の傷を思いださせるとげ多き花だ。こうした例に共通するのは何か? バラが誰かに贈られる(あるいは贈られない)ときよりも前 、過去の出来事に基づいて意味が与えられているということだ。過去が現在を決める。もし考えずに書けば、過去など存在しなくなる。文脈を与える過去なしでは、バラはおなじみの美しい花でしかなく、誰も気にとめたりしない。小説においては、過去――物語が始まる前に起きた物事――が文脈を与える。ドクトロウのような生まれついての物語作家は、認知的無意識に物語への理解がもとから備わっているため、過去も現在も一緒に、自然に、一挙に浮かんでくる。そんな天性の才能があれば、誰だってとうにベストセラー作家になっているはずだ。


 大事なのは、自分の創造性を解き放つのではなく、物語が生まれる過去につなぎとめておくことだ。過去が現在とつながっていなければ、すべては中立に見え、何も積み上がっていかず、読者にはばらばらなものにしか見えない。そうやってできた原稿は、良く書けている部分もあちこちあるかもしれないが、全部書き直しになるだけだ。


 ひどい初稿神話


 でもそれって普通のことじゃないの? とあなたは思うかもしれない。粗い下書きなんて出来が悪くて当たり前だし、アーネスト・ヘミングウェイだってすべての初稿はクズだ、って言ってるでしょう、と。もちろんヘミングウェイは正しい。ただし、彼が言ったことは誤解されやすく、優れた小説家のアン・マロットでさえも意味を取り違えている。マロットは「実にむちゃくちゃなひどい初稿」というものを全面的に支持しているが、それは「子どもの落書きのようなもので、どうせ誰も見ることはないし、あとで直せると思って、すべてをぶちまけてふざけまわっている」ものと考えている。


 それが青写真であろうと、小説全体の下書きであろうと、これほど間違った定義はない。誰も見ない、などということはない。見るのは誰よりも重要な人物――作者自身だ。そして、何ヵ月ものパンツィングのあとで見えてくるのは、積み上がっていくこともない、ただ方向もなく騒がしく広がっていくだけの、ばらばらの出来事の集まりだ。形にしようとしても、形にもならないものしかなければ、ひどくなるばかりだ。そればかりか、作者はそうしたものすべてに愛着を感じているので、編集、削除、修正をおこなうのは冒涜ぼうとく のように思ってしまう。だから、少しだけいじって、あちこちに動かして、それでうまくいくことを期待する。しかしそれは無理だ。そもそも、あちこちに動かせるということ自体、作品に内面的な論理性がないことの証明だ。


 どうがんばっても、最初の原稿がひどいものになるのは当たり前か? おそらくそうだ。それは名誉の勲章とも言える。ただ、勘違いしないでほしい。本当の物語・・ のひどい原稿と、でたらめな戯れだけのひどい原稿とのあいだには、大変な違いがある。


 良い知らせがひとつある。世の中には、正反対のアプローチをとる作家の集まりもある。そして悪い知らせもある。そのアプローチもまた、同じぐらい役立たずだということだ。


 プロッティング神話


 もうひとつのアプローチの信奉者は、プロッターと呼ばれている。彼らの信条は、作家はまずプロット――つまり小説の表面的な出来事――の概略を決める必要があるというものだ。一文字でも書く前にこれを済ませておけば、〝むかしむかしあるところに〞から〝そしてみんな幸せに暮らしましたとさ〞(もしくは〝幸せになれませんでしたとさ〞)という結末まで、何が起きるか正確にわかるようになる。こうしたプロッターのやりかたは、かなり正しい。最初のページを書き始める前に、小説の青写真を作っておくのは必要不可欠な作業だからだ。問題は、プロッターが間違ったものを作ることに専念しているということだ――つまり、作るべきは外面的なプロットではなく、内面的な物語のほうなのだ。プロッターは外面的な〝物事〞に気を取られ、主人公の中にあらかじめ存在する、内面的な〝理由〞を忘れてしまう。


 こうしてプロッターは、1ページ目からの表面的な出来事の計画を立てていくが、主人公の特定の過去についてはほとんど考えない。この過去こそ、プロット上で何が起きるかを決めるばかりか、主人公の世界観、行動、そして何より重要な、行動の理由を決めていくものなのだが、プロッターは逆に考えてしまっている。プロット上の出来事は、主人公が特定の内面的な変化をとげるよう、厳しく仕向けていくものでなければならない。だからこそ、プロットを考え始める前に、どんな内面的な変化が起きるか明確に知る必要があるのだ。最初にプロットを決めるということは、「すごく困難な、人生が変わるような出来事をたくさん経験する人間のことを、その人のことをまるっきり知らないままで書くつもりなんだ」と言っているのと同じだ。


 完成作品をすでに読んだかのように物語をささやいてくれる創造の女神とチャネリングでもできるならともかく、そんな書きかたは普通は無理だ。そして、次に述べる執筆神話は、まさにその完成作品から生まれたものだ――完成した1冊の本ではなく、数限りない本、映画、芝居、そして文字どおり神話から生じた執筆神話だ。


 外面的な物語構造モデル神話


 主人公を創り上げる前にプロットのアウトラインを決めてしまうと、作者は自分の小説の表面――つまり外面的な出来事に足をとられてしまう。主人公が前もって抱える内面の物語が、プロットを誘導するようにできていないと、作者はしばしば迷子のような気分を味わう。緊張感、対立、ドラマがどれもプロットだけから生じるなら、何がどんな順序で起きるのかをどうやって 決めればいいのだろう?


 この作業の助けになるよう、〝物語構造〞と呼ばれるものを手際良く作る指針が数々ある。問題は、こうした指針は物語とはなんの関係もなく、物語構造という名称も適切ではないということだ。むしろプロット構造と呼ぶべきで、物語とはまるで別物だ。すべては、巷でいちばん人気のある〝物語〞構造モデル、ジョーゼフ・キャンベルの神聖なる〝英雄の旅ヒーローズ・ジャーニー〞理論から始まっている。この理論の基本前提は、数多くの神話、小説、映画がひとつの良く似た構造と型を持っている、というもので、その後あらゆる構造指針がこの前提に従うようになった。皮肉なことに、こうした指針はしばしばヒーローには内面の闘争があることをほのめかし、〝探求〞〝試練〞などの言葉も使っているのだが、そのわりに、闘争とは実際どういうものなのか、作者がそれをどうやって見いだすのか、闘争はプロットを生むうえでどんな役割を果たすのか、そうしたことをまるで議論しない。こうした指針が焦点とするのは、自発的に連続する出来事そのものであり、どの〝ヒーロー〞もみんな同じ試練の連続に放り込まれるものだと言わんばかりだ。20ページ目で〝大きな〞ことが起き、50ページ目で〝危険〞なことが起き、100ページ目で〝騒動〞が起きる、といった具合だ。こうした指針が説く外面的なパターンは、成功した物語がそのとおりになぞっていることがしばしばあるため、パターンの猿まねをすれば、それだけで物語ができると簡単に信じ込まされてしまう。この落とし穴にはまった原稿は、私も無数に読んできた。パターンは早いうちに簡単に見つかる。型どおりに進むので予想しやすいのだ。あくまで形式でしかなく、実体がともなっていない。


 ひとつ言っておこう。こうした構造モデルはすべて、すでに完成している小説、神話、映画に基づいている。もともとの神話の創り手が、外面的な物語構造モデルを使ってその神話を創ったわけがない。記述用の言語が誕生するよりもずっと前にできた神話が大半だし、まして便利なガイドブックがたくさんあったとは思えない。神話の創り手は、構造ではなく、内容に基づいて物語を語ったのだ。そんなアウトラインに基づいて小説を書くという行為は、人間の心を繊細に描写したさまざまなモデルを苦心して集めれば、人の度肝を抜く作品がひとりでに出てくると期待するようなものだ。できるならやってみるといい!


 物語構造とは、巧みに語られた物語から生まれたものだ。それ以外のどこかから生みだすことはできない。外面的な物語構造モデルに基づいて小説を書こうとしても、作者が味わうのは落胆だけだ。仮に、忠実に指示に従い、自分の小説の表面的な形を、与えられた構造にひとつひとつ合わせていけたとしても、その作品が〝物語構造モデル〞の基礎になった小説や映画や神話のような魅力を持つことはほとんどない。


 しばらくのあいだは、ちょっと磨き上げ作業が足りないだけだ、と信じることはできる。だから作者は、物語の内部にもぐり込んで徹底的に何かを引きだそうとするのではなく――たいていの場合は1ページ目からやりなおすしかないのだが――それよりも外側を熱心に磨くほうを選ぶ。皮肉なことだが、この作業は、小説の問題点を改善するよりも、逆に強調してしまうことが多い。最初は外面的な出来事に重きが置かれていたものが、今度は美しい言葉による描写になっていく。美しい言葉は、読者を招き入れるどころか、むしろ防水ガラスのように読者を表面にとどめてしまう。読者は言葉をながめるしか手だてがなく、語られている物語を吸収できなくなる。そして、作家が避けたい最悪の事態、つまり読者がわずらわしいと感じるようなことが起きてしまう。作者がこれ見よがしに書いているように見えてしまうのだ。「どうだい、うまく書けてるだろう!」と言われている気分になり、「私 のことは忘れて、私の物語に熱中して!」という思いは伝わらなくなる。


 だが、こうした3つのテクニック――パンツィングやプロッティング、そして外面的な〝物語〞構造モデルの採用――が機能しないならどうすればいい? 解決策は、ここまでも述べてきたように、脳に対する物語の影響力のなかに隠されている。物語は、主人公の内面的な闘争――物語の第3軌条――とともに、始まり、進み、そして終わる。まずは内面の物語を創ることから始めよう。それなしにはプロットも創れない。ここから少し、そのあたりの話をしていこうと思う。


〝過去〞なしに〝その後〞は生まれない


 最も基本的な意味における物語とは、人が避けられない問題といかに取り組むか、その過程でその人がいかに変化するかということだ。この真理を理解することが、何年も費やして書いた作品を、良く磨かれてはいるが結局は〝起きた物事〞の退屈な描写でしかないものにするか、それとも読むのをやめられない魅力的な小説にするかの違いを生む。


 ひとつ念頭に置きたいことがある。人が何から変わらなければならないかがわからなければ、その変化について書けるはずはないということだ。何が問題の原因なのかわからなければ、その問題を書けるはずがない。誰でも現実の人生を通じて知っていることだが、困難な問題は、いよいよ本人が直面するというときまで、長い時間をかけて悪化していくものだ――何年も、何十年も、ときには全人生を通じ、直面する瞬間がやってくるまで大きくなっていく。


 あなたが語ろうとしている物語は、1ページ目から始まっているのではない。そこにたどりつくはるか前から始まっている。


 どんな小説も、〝イン・メディアス・レス〞、つまりラテン語で言うところの〝物事の中心〞から始まる。2000年以上前、ホラティウスは『詩論』のなかで、物語は〝アブ・オーヴォー〞――〝卵から〞という意味の凝った言い回し――つまり〝最初から〞ではなく、物事の中心から始めたほうがいい、と指摘している。ホラティウスはホメーロスの『イーリアス』を次のように賞賛している。「彼はトロイア戦争を卵から始めたりせず、つねにすぐに動きの渦中に入っていき、物語の聴き手を物事の中心に連れていく……」誤解しないでほしいが、〝イン・メディアス・レス〞は文学的な技巧の話ではない。真相のことだ。もちろん、あなたの小説が「海の精テティスとミュルミドーンの王ペーレウスの息子アキレウスは、涼しい春の朝に生まれ……」などと始まるのなら別だが――たぶんそれはないだろう。


 問題は、〝イン・メディアス・レス〞から始めるという考えかたを、読者を現在の動きに放り込み、説明はあとでするという技巧のことだと思っている作家がたくさんいるということだ。これは誤解であるばかりか、悲劇的な過ちにつながる。〝理由〞を抜きにしてしまうと、動きはただのたくさんの出来事としか読めなくなる。さらに悪いことに、こうした作家は、自分でも〝理由〞がわかっていないまま、〝出来事〞の描写に集中してしまうことが多い。


 理解すべき真実はこれだ。小説はそれ自体が〝物事の中心〞から始まる――〝物事〞とは物語・・のことだ。小説の1ページ目は、いわば物語の後半・・の始まりであり、プロットが動きだすのもここだ。後半、つまり小説そのもののなかでは、主人公は何が起きているか、何をすべきかを知るために闘い、そのあいだに、前半の多くの部分はフラッシュバック、会話、記憶の断片という形式で語られる。このくり返しだ。無駄になるものは何ひとつない。


 これは実に単純な事実だが、物語の前半なしには後半も生まれない。そもそもの問題が生じたのはいつか、主人公はどんな人間なのかを決めるのが前半で、作者はこの前半を足がかりにプロットを創り、主人公が問題と取り組むよう、その過程で変わっていくよう仕向けていくことになる。


 次の第二部では何章かを使い、前半部分を掘りおこしていく方法について話していこうと思う。この方法を使えば、あなたの小説をどこから始めるべきかがわかる。主人公の物語創りを続け、なおかつプロットを考え始める、つまり小説の青写真に取りかかるのはそれからだ。とはいえそれまでには、おそらくプロットがひとりでに生まれ始めているだろう。なぜなら、未来を生みだすのは過去だからだ。


 これは驚くことではない。ダンテも『神曲』の冒頭でこう書いている。


 我らの人生を半ばまで歩んだ時

 目が覚めると暗い森の中をさまよっている自分に気づいた。

 まっすぐに続く道はどこにも見えなくなっていた。


 この言葉を胸に、森に入っていこう……。


(ぜひ本編も併せてお楽しみ下さい)

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