2019.10.25

 近頃はよくこの事務所へ足を運ぶ。もう顔も覚えられてしまっただろう。スケルトンなどという妙な呼称のおかげで、僕に実態はないなんて言われているが、プランナーとして表に顔を出さないだけで、僕は僕だ。

「次回のドラマ撮影における事前顔合わせを兼ねて、MesseRメッセ白鶯士葵はくおうしきくんにお会いしたいのですが」

 今日は俳優、そしてアイドルとして。受付の女は驚きつつもにこやかに通してくれる。警備など、同じ業界人であれば意味をなさない。マネージャーは不在、個人レッスン中か。こんなに好機が巡ることはあるだろうか。なんて、これもすべてリサーチ済みだけど。

「こんにちは」

「誰だ」

「同じアイドルのことは調べておいたほうがいいよ、士葵くん」

「アイドル? あー、悪いが、この部屋はあと30分貸し切ってる」

「レッスンに来たのではないよ。それに、僕はこの事務所じゃない」

「別事務所の……? 何の用だ」

 ふんぞり返る態度は鼻高が故かな。慢心している。ここの連中はみんなそうだ。

「ドラマ撮影の打ち合わせ、かな」

「はあ? 俺はそんなん受けた覚えねえぞ」

「監督のご指名だよ」

「……待て、確認する」

 カバンの元へと歩む彼の手を掴む。

「……なんだよ」

「士葵くん、綺麗な顔してるよね」

「は?」

 思わず身じろぐ彼に笑い、その色違いの瞳を見つめた。

「僕はTiersetzティアゼ水沢透みずさわとおる。きみの仲間になる男だ、覚えておいてね」

 さて、どう攻略してみせようか。計画は動き出した。



 レッスン室へ向かう途中、どこか難しい顔をした少年とすれ違った。同じ事務所のアイドルなのだろう、クラウスも記憶にある。よくは知らないけれど、今ノリに乗ってる、とトレーナーが言っていた気がする。何かあったのかな、そう思っても、トレーナーが先に来ていたらたとえ遅刻でなくても叱られる。だから、早く行かなくては──

「! せんせー!」

 そうして扉を開けば、そこにいた男には目が輝いた。

「やあ」

 片手を挙げて微笑む彼に、安堵する。今日は機嫌が良さそうだ、というより、いつもの先生だ。

「これからレッスンかな。ごめんね、すぐに出て行くね」

 レッスン、その言葉に頭が眩みそうになる。トレーナーの怒号が、自分の未成熟な頭が、不甲斐なさがリフレインする。

「ま、まって!」

 藁にもすがる思いだった。慌てて掴んだ先生は驚きに目を丸めるが一瞬、表情が消えた。

「なに?」

「あの、クラの、プラン」

「…………ああ、何か問題があった?」

 僅かな時間考えたのは、何のことだろう。先生の唇はクラウスの名前を読んだ気がした。

「むず、かしくて……クラ、ジャッジとか、わからない……」

「辞書で調べたら出てくるよ」

「うっ、そ、そうじゃなくて……ことばが、でてこないよ……」

「ああ……」

 今もそうだ。うまく伝えたくても、クラウスの知っている言葉はあまりに少ない。家族と会話するときは、両親もクラウスも、感情で盛り上がることが多い。小難しい言葉など不要だったのだ。

「会話の練習が必要なんじゃないかな。それでできないなら、このプランは白紙だね」

「え……」

「きみは相応しくなかった、ということ。……相応しくない、つまり、ぴったり合っていないってことね」

「で、でも」

「僕のプランは成功への最短ルート。きみが辿れないならば、無かったことになる。それだけだよ」

 言って、クラウスの腕を振りほどいた。その顔はいつもの笑みで。

「お疲れ様、神鷹こうたかクラウスくん」

「せ、せんせ──」

 閉じる扉。伸ばした手は掴むものを失い、静かに落ちていく。

 難しいことはわからない、知らない。それでも、あの言葉が諦めということは、見捨てられたということは理解してしまった。

「あら、クラウス来てたのね。やる気があってよろしい。さあ、レッスンを始めましょう」

 頭がグルグルして、ぐわんぐわんと回って、遅れてやってきたトレーナーの言葉など耳に入らなくて、

「ちょっと、クラウス? クラウス!?」

 そのまま意識を手放した。

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