2019.10.15

「世渡り上手とでもいうんやろか。あんた器用やなあ」

 小学校を卒業したばかりの、年端もいかない子どもに言われた。自分の仮面を真っ向から打ち破られたのは初めてで、彼の前では作り笑いなんて無意味だった。

「子どもにまで使てたら勿体ないで! あんたのそれは武器やんか。オレには真似できひん。あ、せや──」

 ただのきっかけでしかない。ただ、あくまで無難に。彼にとっての最善策を、ただ口から零れたそれを述べただけ。それでも彼は嬉しそうに笑って、

「オレがあんたのピエロになったるわ!」

 憎たらしいくらいの光は、僕には無いものだなあ、と、ぼんやり思った。



「クラウス、次の仕事はわかってるわね?」

 気の強い女トレーナーは、レッスン室に手打ちを轟かせる。無言で頷き、クラウスは目を細めてみせた。

「上出来よ。社長から聞いていると思うけど、あなたのバラエティの出演が決まった。司会者はベテランだけど、遊ぶ人なのよ。急に振られて対応できるように、しっかり自分のキャラクターを維持しておきなさいね」

 ベテランってなんだろう?遊ぶ?楽しいこと?頭に浮かんだ言葉を飲み込んで、ただ、静かに頷く。

「そうそう、今日はスケルトンが来てるらしいわよ」

「! せん──」

 思わず声がうわずりそうになって、慌てて唾を飲み込んだ。トレーナーの視線に、咳払いをする。

「誰かに会うって言ってたわね。数日前にプランから逃げた子がいたし……その子用の新しいプランかしらね」

「あたらしい、プラン」

「安心なさい。あなたのことは私がコーチしている限り、頓挫なんてさせないから」

 それだけ告げて、女は部屋を出ていく。この先はひとりでの復習だ。指先への神経、目線の誘導。壁一面に添えられた鏡面を見つめ、クラウスは静かに獣になる。神鷹クラウスは鷹、そしてハンター。獲物であるファンや他のアイドルを食うための。いわばあの女が、そして社長が、それから『先生』が、クラウスという子どもを世に放つ鷹匠なのだ。静寂に、声を漏らさないように、不要な息はすべて吸い込んで──

「──から、損はないはずだよ」

 そうしていれば、外から聞きなれた声が漏れてきた。

(せんせー? クラのこと、みにきてくれたのかな)

 今はトレーナーもいない。少しくらい、少しくらいなら。と、そっと扉を押し開けた。

「もう少し考えてみてくれないかな」

 先生は誰かと話しているようだった。どこかで、いや、自分の所属事務所なのだから、クラウスも見かけたことはあるだろう。しかし、閉塞的な個人レッスン室では、ほかのアイドルの話はあまりに得られない。あの人が、先生が会うって言っていたらしい人。

「何度も言ってるけど、俺はここの居心地がいいから。浮気するつもりはないね」

 聞き取りやすいテノールボイスが耳に触れた。不思議な髪色の男は、整った顔をわずかに歪めている。

「浮気ではなく、本気になってほしいんだけど。きみの作風はもっと確立された世界が似合うと思うな。エーデルであれば……ううん、ティアゼであれば、その魅力を引き出してあげられる。可能性を試したいとは思わないのかな」

「思わない。俺は今が幸せだから」

 見てはいけないものを見ている気分に、クラウスは陥った。優しい先生の笑顔がみるみるうちに消えていく。

「……随分と、きみは甘い子どもなんだね。正直に言って、メッセはこのままだと長くはないよ。猪突猛進、等身大。素敵な言葉だけどね、未来のプランが欠けている。ままごとだけで、世間が納得すると思うのかい? それで何を得られると言うのかな」

 思わずクラウスは肩を震わせた。先生の声の振動が、こちらにまで伝わってくる。彼らが何を熱くなっているのかはわからなかったけれど。

「それで? 言いたいことはそれだけ? ままごとをしているつもりはない。俺にとって、シキとヒナと三人でいる時間は、何にも変え難い特別な現実だから」

「おい、みくりまだか──あ、悪い。話し中だったか」

「ううん、終わったところ。今行くよ」

 友達、仲間だろうか。呼ばれて行ってしまった相手の背中を見つめ、先生の握った拳が白んでいくのを、クラウスは見逃さなかった。

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