2019.10.8

 俳優業に休みなどない。

 時折偏屈な監督に当たってしまえば、なんとなしの笑みで取り繕う。いつだって、求められることは決まっている。僕が作り出した僕の偶像。それを寸分違わず見せてやれば、偏屈だって上機嫌に変わる。このプランに最初に気づいたのは誰だったかな。この副業を始めたのは、たしか彼の言葉があったから。僕は、そうして計画立てた紙の上で生きている。

 けれど、ただひとつ、自分でプランニングできないことがある。

「あ、兄ちゃん!」

明里あかり。今日の調子は?」

 明里、この子の人生だ。

「へへ、まあまあかな!」

「どれ……」

 真っ白なベッドの上で足をブラブラと弄ぶ彼は、毎日の血液検査が必須だ。今日の数値も、健常者に比べればかなり低い。けれど、彼にとっては当たり前のことだ。

「うん、これならケーキを食べても大丈夫そうだね」

「やったー!今日は?今日は何ケーキ?」

「抹茶のチーズケーキだよ」

「兄ちゃん最高!」

 行きつけのケーキ店では、生クリームの使われていないものを購入する。明里は生クリームというものを知らない。サッカーも、野球も、鬼ごっこも。それでも、無邪気な笑顔をいつでも見せてくれる。

「そうだ、さっきテレビで兄ちゃん見たよ!やっぱかっけーな!たたたがみにも勝てそうだぜ!」

「たたたがみ?……ああ、もしかして霹靂神はたたがみのこと?」

「そ!たたたがみ!たたたがみの磯沢輝恭いそさわききょう!あいつすっげえ強いんだぜ!やっぱアイドルいいなー!おれもなりたーい!」

「明里ならなれるよ」

 ケーキを取り分け、使い捨てのフォークを添えてやれば、明里はあっと声を上げた。視線はつきっぱなしのテレビ。

「このひと、最近よく見る」

「ああ、なんだっけな、MesseRメッセの」

鷺山芧さぎやまみくり!おれがアイドルになるなら、兄ちゃんか磯沢輝恭か、この鷺山芧みたいになりたい!」

 そうだ、あの事務所の。腹の立つ男の顔が脳裏に浮かぶ。けれど、明里の前では笑顔でいなきゃ。

「系統バラバラじゃない?」

「兄ちゃんと鷺山芧はちょっと似てるよ!」

「そうかなあ」

「あっ、磯沢輝恭と白鶯士葵はくおうしきも似てるかも!白鶯士葵も捨てがたいなあ」

「ふふ、欲張りだね」

「欲張ってなんぼやで!スザッキーも言ってたし!」

 まったくあいつは不要なことを教えてくれる。思わず声に出して笑っていれば、明里の愛らしい笑顔が目の前に現れた。

「兄ちゃん、もしその三人と仕事することになったら、おれに紹介してね!」

「うん、任せて」

「約束だかんな!」

 明里の願いであれば、わざわざちぎらなくても叶えてみせる。形だけの指切りをして、次の仕事へ向かった。



「たべちゃうぞおー!」

「…………はあ」

 レッスン室に響く、何度目かのため息。大きく両腕を上げた少年は、肩を跳ねさせて小さく謝った。

「あなた、やる気あるの?」

 女は少年のトレーナーだ。片手にバインダーを挟み、大柄な少年を見上げれば眉間に力を込めた。

「ある……」

「トレーナーには敬語」

「ある、ます」

「……あります、でしょ? あなたハーフだけど、母国語はここよね? はあ、もういい。ともかく、そんなに迫力の無い鷹は見たことないわよ。食べちゃうぞー……って、バカにしてるの?」

「して、ない……です」

 見る見るうちに小さく縮こまっていく少年の姿に、女のため息は留まることを知らない。そうしてから、切り替えの手を打つ。

「もっと目に力を込めて、はい、クネクネしない。すぐに腕を上げない。視線を送るときは斜めから、そう、……ああ、視線を外さない!」

「うっ……」

「怯まない!堂々とする!」

「どー、どー……」

「胸を張れって言ってんのよ。……もう三日目よ? そろそろイメージを自分でも持って」

 バインダーに視線を移し、ペラ、と一枚を捲った。この数枚の資料には、目の前の彼にまつわるデータが記載されている。

「鷹は獲物を狩るとき、その鋭い爪で一瞬で射止めるの。あなたは鷹にならなきゃいけない。鋭く尖った爪を、相手に突き立てるのよ」

「く、クラ、つめ、とんがってない……」

「イメージだって言ってんでしょ!いいからやる!それと、クラって言わない!俺!」

 バインダーを打ち鳴らせば、少年の肩はびくりと跳ね上がった。

「せっかくあなたのために用意されたプランなのよ、しっかり頭に叩き込みなさい」

「プラン…… せんせー?」

「ああ、先生って呼んでるんだってね、あの子のこと。そうよ、『先生』があなたにぴったりだって見繕ったのがコレ。周りの期待に応えなさい」

 資料はプラン。少年、神鷹クラウスがアイドルとして生きていくための入念な計画が、イメージが、そこには記されていた。天才プランナー、スケルトンとも呼ばれる彼が計画したものだ。クラウスは彼を知っている。

「……タカはエモノをかるとき、とんがったツメで、いっしゅんで、いとめる」

 自分のために誰かが考えたものならば、必死に応えなければ。幼い頭でも、それだけはわかる。

 目を細め、ゆっくりと息を吐き、肩を切るように。

「タカ。おれは、タカのごとく」

 わからない言葉はすべてプランが教えてくれる。少年はそれに従えばいいだけ。レッスン室の外で、誰かの視線を感じた。パチン、弾けた音が聞こえた。

「……及第点ね。ふふ、やればできるじゃない」

 満足気に笑う女に顔を緩めそうになって、クラウスは自分の頬を打った。

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