104 詠唱魔法の秘密
ウォーレン歴9年 緑風の月9日 夜
「……え?」
私はフィリップ先生の言ったことがすぐには理解できなかった。
「『魔力を込めることができない』……?」
フィリップ先生はそう、となんでもないことのように頷く。
「詠唱魔法は『声に魔力を乗せる』と表現しますね?」
「は、はい」
それは学校で習った。私にはちっともできなかったけど。
「それは別の言い方をすると、『魔力を込めながら呪文を唱える』とも言えます」
「……?」
ぴんとこなくて首をかしげると、フィリップ先生はそうだな、と呟いてふと顔を斜め上に上げた。
「グルブゥルム・イグニス」
「!?」
私はものすごく驚いてあたりを見回してしまう。今フィリップ先生が唱えたのは【火球】の呪文だ。でも【火球】は発動していない。
「これは『魔力を込めないで呪文だけを声にした』のです。こういう使い分けができなければ、詠唱魔法をきちんと伝承していくことができないでしょう?」
「た、たしかに……」
詠唱魔法は発音と発声が大事。でも唱えるだけで魔法が発動していたら、たしかに口でやり方を教えることはできなさそうだ。理屈はわかる。
「さて、話をエスターさんに戻しましょう。あなたは『魔力を込めることができない』体質のようだ。だから私の『魔力を込めてみてください』という指示を行うことができなかったし、そもそも理解できなかった」
「そう、なるんですかね……?」
「ええ。ためしに私がこの道具に魔力を込めてみましょう」
私のときはうんともすんとも膨らまなかった風船の紐をフィリップ先生が握る。
「今は魔力を込めていないので膨らんでいません。でも――」
ふわ、と風船が膨らむ。ある程度の大きさで、止まった。
「魔力を込めたので膨らみました。どうです?」
「なんとなくは、わかりました……」
「よかった」
フィリップ先生が紐から手を離すと、風船はしぼんでいく。私はそれを眺めながら、疑問がむくむくと膨らんでくるのを感じていた。
「でも、先生」
「はい」
「私、アレンさんの魔術道具で、魔法を使えてました」
「そう言っていましたね」
「この風船も魔術道具ですよね?」
「ええ」
「……なんでこれだけ使えないんでしょう?」
「…………」
フィリップ先生は言葉を選ぶように沈黙する。困ったように微笑んだ。
「正確に診断するにはもう少し検査が必要ですが、あなたの話とこの結果を見るに、あなたの『魔力回路』は
「『魔力回路』がないとどうなるんですか?」
「魔法をコントロールすることができません。ほとんどの魔法は使えず、一部使えても暴走する。魔術道具を使って暴走したことはありませんか?」
私は思い出す。ギルドに入るときにインクがあふれた「契約ペン」。アレンさんと出会ったときの「火打石」。
「あり、ます」
「それがあなたの正常な状態です」
「つまり……?」
「……アレン、23歳、魔術道具商。これだけ聞けば、王都の一部の人間はたったひとりを思い浮かべます」
「?」
「19歳のときに高等学校で2年分の単位を取り、複数の科目で首位。その科目は、呪文構築、考古学、歴史、文学――そして、医学」
あの冬の夜、レイフさんに聞いた話。それを他の人から聞くのはなんだか不思議な感じだ。
「……聞いたことは、ありますけど……そんなに有名なんですか?」
「ええ。知り合いが自分の研究室に引っ張れなかったことを残念がっていました」
でもそれが、私とどう関係あるんだろう。話が飛んでいるようでわからないでいると、フィリップ先生はつまり、と右手の人差し指を立てた。
「逆なんですよ。『アレンさんの魔術道具だけは正常に使える』というのが、あなたの現状です。『魔術道具に魔力を込めて』と言われたことはありますか?」
「……!」
そういえば、いつも「触って」とか「これこれという動作をして」とは言われてたけど、「魔力を込めて」とは言われたことがない。他の人には「魔力を込める」という説明をしていたことがあるのに、だ。
私は息を呑む。フィリップ先生は立ち上がって、私に手を差し伸べた。
「リビングに戻りましょう。続きは彼のいるところでしたほうが早い」
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