075 「最初から」
ウォーレン歴9年 陽春の月17日 深夜
部屋の戸から顔を出したアレンさんは、不思議そうに小首を傾げる。私はやっぱり起きてたんだ、と思うのと、これで逃げ場がなくなった、という気持ちですぐに言葉が出てこない。
「そのー……アレンさん」
「ハイィ?」
「お話が、あって」
「ホホゥ? まあ立ち話もなんですしィ、どうぞォ」
戸を大きく開けてくれたアレンさんにしたがって、私はアレンさんの部屋に入った。
戸を閉めると、アレンさんは部屋に申し訳程度に置いてある机の前のイスに座る。魔術道具を作っていたのの続きをするのだろう。
「作業しながらになってしまいますがァ、よろしいですかァ?」
「あ、うん、お邪魔したのは私だし」
「ありがとうございますゥ」
かりかり、これも魔術道具だと教えてくれた万年筆で紙に回路を描いていくアレンさん。
私は少し居場所に困ったあと、まだ寝転がった気配のないベッドのすみっこに腰を下ろした。
「それでェ、そんなに深刻そうな顔をしてなにかあったんですかァ?」
「それは、えっと……」
私はもごもごしながら言葉を探す。アレンさんの背中は魔術道具の回路を描く動きに合わせて小さく揺れている。
「今って、私が詠唱魔法を使えるように治療してくれるお医者さんのところに行くために旅をしてるんだよね」
「そうですネェ」
「お医者さんが見つかるかどうかとか、いろいろわからないことは多いけど、もし全部大丈夫だったとしたら、私は詠唱魔法が使えるようになるわけでしょ」
「えェ」
「……詠唱魔法が使えるようになったら、魔術道具はなくてもいい……よね?」
ぴたり、アレンさんの動きが止まる。こっちを振り向いてくれるのかと思ったら、机の横に置いてあったいつもの木箱からいつもの金属の杖を取り出した。
「そういうことになりますネェ」
あっさり相槌を打ったアレンさんは回路を杖でなぞりはじめたらしかった。腕と一緒に背中もゆらゆら動く。
「それで……魔術道具がいらなくなったら、アレンさんとのコンビはどうなっちゃうのかな……って、思って……」
とん、アレンさんが魔術道具をひとつ完成させる。今度こそこっちを向いてくれないかなって思ったけど、アレンさんは木箱から今度は「鑑定モノクル」を取り出した。
モノクルを着けて魔術道具をためつすがめつするアレンさんの背中からは、感情が読み取れない。
「……最初からわかっていたことですヨォ」
「え……?」
ぼそっと言われたアレンさんの言葉に、私は思わず目を瞬かせた。
「エスターは詠唱魔法が使えるようにさえなればひとりでもパーティでもきちんとお金が稼げるようになるでしょうしィ、私は定期納品の魔術道具と露店でちゃあんと食っていけますゥ」
「それ、って」
「詠唱魔法が使えるというのはァ、エスターの思っている以上に便利なことですヨォ」
「…………」
詠唱魔法そのものは使えるけど魔力量の関係で使わないだけのアレンさんにそう言われてしまっては、返す言葉がない。
つまりアレンさんは、コンビを続けることより、私が詠唱魔法を使えるようになることを優先しろと、そう言っているのだ。
その気遣いはたしかにありがたい。私のことを第一に考えてくれているからそういうことを言うんだって、理屈ではわかる。
でも、アレンさんがあまりにも淡々とそれを言うものだから、私はなんだか寂しくなってしまって、そっとベッドのすみっこから立ち上がった。
「……アレンさんの言いたいことは、わかった」
「エスター?」
戸のほうに歩いていくと、初めてアレンさんが少し顔をこっちに向けた。
「少し……物言いがきつかったですかネェ?」
私はうつむいてふるふると首を横に振る。
「正論、だもん。……お邪魔しました」
そう、正論も正論、なのにどうして私はこんなに落ち込んでいるんだろう。この部屋に来たときとは違う種類のもやもやを抱えながら、私はとぼとぼとアレンさんの部屋をあとにしたのだった。
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