059 「身軽靴」

ウォーレン歴9年 陽春の月7日 早朝




 まだ陽が昇るか昇らないかの頃、私は猛烈に脚が痛くなってロッジのベッドの上で目を覚ました。


「い、痛ぁーっ」


 かろうじて叫ぶのはこらえたけど声はもれてしまう。これは、ふくらはぎがつってる。しかも両脚。


 脚の筋肉がぴんとこわばったままうんともすんともできず、あーとかうーとかうなっていたら、部屋の向かいのベッドに寝ていたアレンさんが目を覚ました。


「エスター?」


「あ、脚が、つっちゃって」


「あちゃァ、それは大変ですネェ」


「うー……」


 私がうなるしかできないでいると、アレンさんがもそもそベッドから下りて私のほうに来た。横を向いている私の顔の前に来て、ぴんと人差し指を立てる。


「ハイ、まずは深呼吸しまショウ」


「すー……はー……」


 言われた通り、深呼吸を繰り返す。まだつってる、うう。


「次はァ、つま先をゆっくり引っ張りますゥ」


「えっと、こ、こう……?」


 ぷるぷるしながらつった脚に手を伸ばして、つま先をどうにかつかむ。そっと手前に引っ張ると、痛いけどだんだん楽になってきた気がする。痛いけど。


「深呼吸も続けるんですヨォ」


「は、はい……」


 しばらくそうしていたら、突然すっと痛みがとれる。あ、治まった。


「治った……!」


「よかったですネェ」


「アレンさんありがとう……助かった……」


 いいんですヨォ、と言ってアレンさんは立ち上がる。自分のベッドのほうに戻りかけて、はた、と立ち止まった。


「つってしまうくらいですからァ、もしかしてだいぶ疲労がきていたりしますかァ?」


「…………」


 私は全身の感じを改めて確認した。脚はさっきの余韻でじんじん痛いし、上半身も、ちょっとだるい。


「言われてみれば、全体的に、疲れてるかも……」


「昨日大はしゃぎでしたもんネェ。無理はありまセン」


「あ、あはは……」


 アレンさんは自分のベッドわきに置いてあった木箱をごそごそする。取り出したのは、見覚えのある木靴だ。


「……『浮遊靴』?」


「めったに使うものでもないのでェ、今から改造しようかとォ」


「改造??」


 私が状況がつかめないでいる間に、アレンさんは「浮遊靴」の他にいつもの紙とペンと金属の杖を取り出した。魔術道具を作るときの一式だ。


 部屋の中に吊り下がっている「光球ガラス」に明かりをともして、アレンさんは部屋の真ん中にある小さなテーブルに紙を置く。


 私は作業に興味が湧いて、ベッドから起き出してアレンさんが座ったのと反対側にある椅子に座った。


「明るいですがァ、寝ててもいいんですヨォ」


「起きちゃったし、興味もあるし」


「そうですかァ」


 アレンさんはまず、紙にぐるりとひとつ大きな円を描いた。それを金属の杖でなぞると、円がぽわぽわと光る。


 そして杖で「浮遊靴」をちょんとつつくと、その光が木靴に吸い込まれていく。


「まずはこうやって魔術道具の効果をリセットしますゥ」


「そんなこともできるんだ……」


「そしてェ、とっておきの回路を描きますヨォ」


「??」


 アレンさんは紙を広げてあれこれ図形を描き始める。こうなるとアレンさんは集中しちゃうから、私も黙って作業を見守った。


 しばらくがりがりと難しそうな幾何学模様を描いていたアレンさんがぴたりと手を止めたのは、陽もいい具合に昇ってきた夜明け頃のことだった。


 テーブルの上には、ボツになったのであろうくしゃくしゃになった紙がいくつかと、それぞれちょっとずつ違う模様が描いてある紙が3枚。


 立ち上がって「光球ガラス」の光を消すと、アレンさんはすとんと座り直して3枚の紙を見比べ始めた。


 ……ちなみに、私にはなにがなんだかさっぱりわからない。


 ぽけっとその様子を見守っていたら、アレンさんがふと悪戯っぽい笑みを口に乗せた。


「エスターが履く靴にかける回路ですからァ、最後の審査はエスターにやっていただきまショウ」


「へ?」


 アレンさんはわさわさとテーブルの上に転がった紙くずたちをよけて、私の前に3枚の紙を並べる。


「なんとなくでいいのでェ、お好きなのを選んでくださいィ」


「ええ??」


 なんとなくもなにも、魔術道具の回路とか全然わからないけど……?


 でもアレンさんはすっかりその気のようなので、私は目の前に並べられた3枚の紙を見下ろした。


 共通しているのは、ぐるっと大きな円の中にいろんな図形が詰め込まれていること。


 左端のは、かくかくしている線が多い印象。真ん中のは、角が少しだけ丸っこい。右端のは、真ん中から分けて左右対称だ。


 うん、わからない。こうなったら勘でいこう。


「どれにしようかな、ひらいたとびらのゆくさきは」


 言葉に合わせて指を動かしていくものすごく古典的な神頼みの結果、右端の左右対称な図形に決まる。アレンさんが小さく笑った。


「神頼みでしたネェ」


「だって、わからないもん」


「フフフ、すみません」


 私が改めて右端の紙を取ってアレンさんに差し出すと、アレンさんはそれを受け取って金属の杖で線をなぞっていく。ぼうっと幾何学模様が光る様子は、いつ見ても面白い。


 最後にちょん、と木靴をつついて光が吸い込まれたら、魔術道具の完成だ。


「できましたヨォ」


「……で、アレンさん」


「はいィ?」


「結局、これ、どういう魔術道具なの?」


 私の素朴な疑問に、アレンさんは口角をにいっと上げた。


「下山のときにわかりますヨォ。名付けて『身軽靴』デス」




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