033 いざ王都へのその前に

ウォーレン歴8年 向寒の月6日 朝




「うーん……」


 あれから約一週間、生活費を下ろしても貯金が1万ユール台を維持できるようになった頃。私は朝食の席で思わずうなった。


 パンをちぎって口に放り込んだアレンさんが首を傾げる。私はため息をついた。


「診察費が貯まったのはいいんですけど、いつ旅に出ようかなって」


 もぐもぐごっくん、とパンを飲み込んだアレンさんは首を傾げたままだ。私は曇りがちの窓の外を指さした。


「この辺、そろそろ雪が降り始めるんですよ。それもすごい量」


「そうなんですかァ」


「はい。いちばん降る時期までに雪の地帯を抜け出せればいいんですけど、旅とかしたことないからよくわからなくて」


 ふむゥ、とアレンさんは首をもとの位置に戻してあごに指をかける。考え事をするときの仕草だ。


「それは私にもわかりかねますがァ、もうひとつ心配がありましてェ」


「えっ、なんですか?」


「仮に診察費が1万ユールぴったりだとするとォ、王都までの旅費がまだ貯まっていないことになるんですヨォ」


「あ」


 ……道中のことをすっかり忘れてた。


 アレンさんは私の反応を見て苦笑する。私も乾いた笑いしか出ない。


「稼ぎながら旅をするのもアリではあるのですがァ、それをするにしてももう少し貯まってからのほうがいいかとォ」


「そうなると、降りますね、雪……」


「この際雪解けまで待つのも手かもしれませんネェ、そんなに降るならァ」


「考えておきます……」


 私はしょんぼりとうなだれるしかない。なかなか現実はままならないものだ。


 ちょっとぬるくなったホットミルクをすすったところで、あッ、とアレンさんが声を上げた。


「旅に出る前にィ、作り溜めた魔術道具を露店で売ろうと思っていたんですヨォ」


「そうなんですか?」


 仲夏の月に露店権が復活してから4ヶ月。そういえばアレンさんはまだ露店を一回も開いていない。


「えェ。収納の肥やしにして旅に出るより全部お金に変わった方がお得かと思いましてェ」


「たしかに、それはそうですね」


 アレンさんはもう一度窓の外を見た。


「雪の上で露店を開くのはちょっと寒そうですしィ、いい機会かもしれませんから近々一週間ほど露店を出そうと思いますゥ」


「おお、いいですね」


 私が変に手を出さなければ大火事とかも起こらないし、アレンさんもこの町でそこそこ顔が売れてきたから、きっと露店は繁盛するだろう。


「あ、でもアレンさん、実演販売の品選びはちょっと考えた方がいいですよ」


「といいますとォ?」


「いまどき『火打石』を欲しがるのは私くらいといいますか……普通の人はみんな【着火】で済ませちゃいますから」


 私の指摘に、アレンさんはがっくりと肩を落とす。


「うゥ、言葉が出ません。私が何度も使って支障がない魔術道具ってそう多くないんですよネェ……」


 なるほど、そういうことか。「火打石」は魔術道具の中でも特に簡単なもので、使う魔力もそれはそれは少なくて済む、みたいな話をいつだったか聞いた気がする。


「あッ、エスターサンに手伝っていただければ問題解決ですネェ?」


「へ?」


 突然想定外のことを言ってのけたアレンさんはカットフルーツを刺したフォークを得意げに持ち上げた。


「エスターサンは普通の魔術道具では暴走させてしまいますがァ、そこは実演用の特注品を作れば問題ありません。それにエスターサンはけっこう有名人ですしィ、売り子になっていただければ百人力ですゥ」


「えええ??」


 アレンさんはフルーツを半分飲む勢いで咀嚼して飲み込む。にっと口角を上げた。


「もちろんお手伝いいただければそれなりの報酬をお約束いたしますヨォ」


「ぐっ……それは魅力的」


「でショウ? 考えてみてくださいィ」


「はーい……」


 アレンさんの露店で売り子、かぁ。初めてアレンさんを見たときには考えもつかなかったことだ。


 暴走しないんだったら私もアレンさんの魔術道具には興味があるし、やってみてもいいかな……?




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