029 【人根草】の花畑

ウォーレン歴8年 爽秋の月28日 朝




 王都から来た地理院の人たちが調査を終えて帰ってからしばらく経った。


 今日もいつものようにアレンさんと一緒に朝食を食べて掲示板広場に向かうと、広場の周りに置いてある花壇に見覚えのある人影が腰かけていた。


「……モーラ?」


『おお、待っていたぞふたりとも』


 青い髪のその男の子に声をかけると、ぱっと嬉しそうに顔を上げて頭に声を響かせてくる。


 広場のほうに目をやると、何人かモーラのことが気になるようでちらちらと視線をこっちに投げかけていた。


 半月くらい前まで、モーラは人の姿をして地理院の人たちと一緒に森と町を行ったり来たりしていた。おかげで町の人の間では不思議な男の子としてちょっと有名になっている。


「今日はなんのご用でェ?」


 アレンさんが首を傾げると、モーラはぴょんと花壇から下りて得意げに胸を張った。


『森の中によいところをみつけたので、そなたたちに特別に教えてやろうと思ってな』


「よいところ」


 思わずアレンさんと同時に復唱してしまう。モーラはうむ、と頷いた。


『来てみればわかる。人間があまり入らないところだからそなたたちでも知らないと思うぞ』


 私とアレンさんは顔を見合わせる。モーラがわざわざ案内しに来てくれるなんて、どんなところなんだろう。興味があるかないかでいうと、すごくある。


「じゃあ今日はモーラの誘いに乗ってみましょうか?」


「いいですネェ」


『そう言ってくれると思っておったぞ! さあ、行こうではないか』


 モーラは嬉しそうに言うと大通りのほうに歩き出す。私たちもそのあとに続いた。


 一応集合住宅に寄って最低限の魔術道具を持っていくことにしたけど、モーラは待ちきれないといった様子だ。


 そんなこんなで門まで来ると、ふと疑問がわく。モーラは身分証とかないけど、どうやって門を通ってきたんだろう?


「おや、おふたりさんに坊ちゃんの組み合わせか。いってらっしゃい」


 門衛さんに声をかけられて、坊ちゃんと呼ばれたモーラは黙って笑顔を浮かべながら頷いた。下手に話すと驚かせてしまうからだろう。


「モーラも身分証とか見せなくていいんですか?」


 思わず門衛さんに訊いたら、門衛さんは肩をすくめた。


「こないだお偉いさんが来たろ。あのときに『彼の身元は保証します』って言われたからな。それでいいことになったんだよ」


「そうなんですね……」


 王都からの使者の権威、すごい。


 感心しながら門をくぐって、森に向かう。モーラがドラゴンだからか、うかうか襲ってくる魔物もいなくて道のりは快適なものだ。


 森に入ってからしばらくは、道なりに進むようだ。途中で分かれている道のどっちに曲がったかを覚えながら歩いていたところで、モーラが道の脇を指さした。


『こちらに曲がるぞ』


 そこからは生い茂る木々の間を進んで、もう道を覚えるとか無理だ。かろうじて陽の射し込んでくる位置で方向感覚を雰囲気で保ちながら進んでしばらく。


 森のけっこう奥まったところだと思う。相変わらずモーラの存在感のおかげか魔物が襲ってくる気配がない。


『ここだ』


 ぴたりとモーラが足を止めたのは、長寿の巨木が倒れた跡地のような場所だった。さんさんと光が降り注いでいて、手のひらくらいの大きさの赤紫色の花がたくさん咲いている。


「花畑?」


『ただの花畑ではないぞ』


 私が首を傾げると、モーラは得意げに答える。よく見よ、と花たちを指さした。


 ゆらゆらと揺れる花たち。でも木々が周りに生い茂っているおかげで風はそよ風程度にしか吹いていない。花を揺らすには心もとない風だ。


 しかも、花の揺れる方向は一定じゃなくて、一本ずつ意思をもっているかのようにゆらりゆらりとうごめいている。


「もしかしてェ、【人根草】マンドラゴラですかァ……?」


 アレンさんが頬を引きつらせながら訊くと、その通り、とモーラは満足げに頷いた。


『こやつらの蜜は普通の花よりも格段にうまいのだ。まあ簡単には採らせてくれないがな』


「えぇ……」


 それはドラゴンの味覚の問題なんじゃないだろうか。しかしモーラはそんなことを気にしていないようだった。


『普通に花を摘もうとすると悲鳴を上げられるし、吸おうとしても暴れてうまくいかぬ』


「それならどうするんですかァ?」


『こうするのだ』


 モーラは適当に近くにあった花を人差し指で指さす。と、モーラの指先から小さな電撃が走った。


 さっきまで揺れていた花の動きが止まる。……もしかして、気絶した?


 モーラは気絶したっぽいマンドラゴラを無造作に引っこ抜く。私とアレンさんは思わず耳をふさいだけど、本当に気絶しているらしく静かなものだ。


『まあ抜かなくても蜜は飲めるのだが。ほら、舐めてみよ』


「…………」


 私とアレンさんは顔を見合わせる。正直、おいしいかどうかはまったく信用ならない。でもモーラがここまで勧めてくるのを断るのも可哀想だし、こっちも来ただけ損になる。


 私たちはモーラが持っているマンドラゴラの大きく開いた花の中央に指を入れて、蜜を指先にちょっとつける。


 目を合わせて頷きあって、思い切ってぺろりと蜜を舐めた。


「……!!」


 おいしい……! 甘いのにしつこくなくて、ちょっとスーッとする。ミントの蜂蜜漬けが頭に浮かんだ。


 私たちの表情を見て満足したように、モーラはマンドラゴラを引っこ抜いた穴に戻して足先で軽く土をかける。


『うまかったであろう?』


「おいしかったです」


「そうですネェ」


 私とアレンさんが頷くと、モーラはそこでだ、と人差し指を立てた。人間のしぐさがだいぶ堂に入ってるけど、どこで学習したんだろうか。


『そなたたちだけに、ここの蜜を採ってもいい許可を出してやろうと思う』


「森のヌシとして?」


『そうだ。うまいものは金になるのであろう?』


「それはまあそうですがァ……」


 アレンさんが言葉を濁した。たしかにおいしいけど、マンドラゴラの蜜っていって売り出して果たして売れるんだろうか。


『われは道案内だけするから、気絶させて蜜を採るのはそなたたちが自分でやるのだぞ』


「ふむゥ……電撃を起こす魔術道具も作れますからァ、やろうと思えばできますネェ」


「まあ、ちょっとした副収入くらいにはなるかもしれませんね?」


 モーラがせっかく特別に採らせてくれるんだから、ものは試しに集めて売ってみるのも、たまにはいいかもしれない。


 そんなわけで、私たちは後日魔術道具を持ってまたこのマンドラゴラの花畑を訪れることにしたのだった。




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