第11話 いつもどおりのはずですが

 週末は県内のベイエリアに足を伸ばそうという透子の提案で、私たちはJRのS駅に来ていた。この辺りは観光客も訪れる人気のエリアらしい。休日ともなればたくさんの人で賑わうと言うことだった。


「あやめはこの辺、ほとんど初めてってことでいいんだよね?

 あたしもたまに家族で来るくらいだから、詳しいわけじゃないんだけど」

「そうね、来たこと無いと思う。私、だいたい地元で済ませちゃってるから。

 でも少し電車で足を伸ばすだけで随分と町の雰囲気違うのね」

「まあね、Y市っていったらこの辺りのイメージだけど、

 同じ市内だけどあたしたちの町は山と坂しかないもんね」


 実際に来てみれば地元の駅とは比べ物にならないほど人にあふれていた。そんな中を透子はすいすいと歩いていく。ゆるいウェーブを纏った透子の髪は、柔かげな様子でふわふわと揺れている。上機嫌な彼女の気持ちがそのまま現れているようだった。


 けれど私の気分は裏腹に、透子のように浮き立っているとは言い難い。まず人混みの中にいるだけで疲れてしまう。人を避けて生きてきた自分が悪いのは分かっているけれど、今すぐに何が出来るというものでもなかった。


「正直な所、ここまで様子が違うなんて思ってなかった。

 こんなに人が多いと、発作が起きた時にどうしようって考えちゃって……」

「今日は遊びに来たんだから、むずかしいこと考えなくていいんだって。

 だいたい、あやめにはあたしが付いてるんだよ?

 だからきっと大丈夫!」


 振り返ってにっこりと笑顔を浮かべる透子。慣れない人混みに戸惑う私への気遣いが伝わってくる。普段と変わらない彼女の笑顔に、私は安心を得て落ち着きを取り戻す。


 そのはずなのだけど……


 私はふいと視線をそらしてしまった。そもそも人混みよりも何よりも、私の胸をざわつかせているものが他にあるのだ。


「あやめ?」


 そんな私の様子にこくりと首を傾げる透子。少し前に改札前で落ち合ってから、私はずっとこんな様子で彼女の顔をまともに見られないでいた。


「なんで今日はそんなに目を合わせてくれないのよ?」


 透子は泳いだ視線の先にひょいと割り込んで見上げてくる。ちょっと頬を膨らませて不満顔。それはいつもの掴みどころのない雰囲気からは想像できないくらい、はっきりと意思を伝えてくる表情だった。


「そんなこと、無いと思うけど。きっと透子の気のせいじゃないかしら」


 それだけをなんとか返して表情を取り繕う。胸の内の戸惑いが顔の色に出てはいないか心配だ。まったく、無理を言わないでほしい。まともに見られるわけがないのに。


 なにしろ私は、透子にこそ一番戸惑っていたのだから。


「えー、絶対そんなことあるよ〜 今日のあたし、そんなに変かな?」


 あまりにも白々しい透子の言葉。彼女はいたずらっぽい笑顔を浮かべて、その場でくるりとひと回り。ラフに羽織ったモッズコートがふわりと広がる。


 気になるんだったら、ちゃんと言葉にしたらどうなのよ?


 そんな透子の声が聞こえてきそうなくらい、わざとらしい。


「変かな、どころじゃないでしょ? すごく変よ。

 だっていつもの目立ちたくない精神、どこかに行ってしまってるんだもの!」


 だからつい、私は黙っていることが出来なかった。胸の内に抱えていたモヤモヤを、堪えきれずにぶつけてしまう。


 そう、今日の透子はやけに可愛らしいのだ。


 いつもの透子と言えば、目立ちたくないが最優先。実は見た目は相当に良いはずなのに、全く生かさないので輝かない。それが御薬袋みなえ透子という女子のはずだった。


 それなのに。


 今日の透子はといえば、とにかく可愛いに全振りしていた。


 普段の彼女との真逆の方向性というだけでも驚くのに、その上今日の透子には躊躇いがない。もともと彼女は愛嬌のある女子なのだから、それを隠さなければ可愛くならないわけがなかった。


 こんなのは不意打ちだ。可愛さの不意打ち。見事にしてやられた私は、思いがけない友人の変身に戸惑っていたという訳だった。


「いやいや、あたしはいつもどおりだよ? いつもどおりの地味子のはず」

「どこが地味なものですか。

 さっきからその細い脚を男の人たちがチラチラ見てますけど?

 ちょっとサービスしすぎじゃない?」


 大胆に曝け出された透子の足についつい目が行ってしまう。デニール高めの黒タイツに包まれたほっそりとした脚は、足元のスニーカーから太ももまで惜しげもなく曝け出されている。男の人の視線を集めてしまうのも仕方がないことだと思う。


「誰もあたしの方なんて見てないから大丈夫だよ。

 シンプルな白ニットとジーンズだけで決まっちゃうキミと違って

 あたしはこうでもしないとスタイル誤魔化せないからさ〜」


 立ち止まってラフに羽織ったモッズコートの前を開いてみせてくる。オーバーサイズにまとめた着こなしが、かえって透子の華奢ですらりとしたラインを強調していた。


 大きめのシルエットのコートの下は、お尻が隠れるくらいの丈のゆったりとしたプルオーバー。裾からはデニムがチラチラと見えるので、一応ショートパンツか何かは履いているみたいで少し安心する。


「で、あやめ先生のコーデチェックでは、今日のあたしはどんなもんでしょう?」


 おどけた口調の透子は、何かを期待するように上目遣いに見上げてくる。


 彼女が私にどう答えてほしいかは分かっているし、それは私の素直な感想とも同じ答えだ。けれど何故だろう。それを素直に口にすることが、すこし恥ずかしかった。


 透子はと言うと視線を外さずに私の答えを待っていた。言わないでやり過ごすという風には、許してもらえないのだろう。足元をとんとんと叩くスニーカーのつま先に、彼女のそわそわと落ち着かない心が表れていた。


 私は諦めて素直な答えを口にする


「うん、透子はすっごく可愛いよ」


 とたんに透子の表情がふにゃっと崩れる。安心したようなその表情に、私は気がつけていなかった彼女の感情を拾った気がした。


(透子も私と同じ様に、慣れないことをして少し緊張してたのかな)


 そう思えば不思議と気分も楽になってくる。人混みへの恐れも、普段と違う透子への戸惑いも、今はもう些細なことに思えてきた。


「へっへっへ、可愛いって言われちゃった」

「もう今日は言わないからね。恥ずかしかったんだから」

「え〜? もっと言ってくれないと、泣く」

「泣いてもダメです」


 上機嫌な透子が腕を絡めてすがりついてくる。他愛もない会話を交わしながら、ふたりで並んで人混みの中を歩いていく。


「今日はね、あやめの為にせいいっぱい可愛くしてきたんだよ〜」


今日の天気の話でもするように、耳元で透子は囁いた。

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