普通なあたしとあの子の出会い

第2話 夕焼けなんて大きらい


私、 鬼頭おにがしら あやめが通っている県立高校、 御社みやしろ高等学校は特筆すべきもののない高校だ。取り立てて部活や生徒活動が活発なわけでもなく、さりとて勉学もそれほど振るわない。唯一特徴があるとすれば私が立っているこの場所だろう。


(いつまで待っていればいいのかしら)


校名の由来になった小さな御社は屋上の片隅に祀られている。私はその大きさに見合った小さな鳥居の前に立っていた。下校時刻はもうとっくに過ぎていて、いつもの私であればとうに家について部屋着に着替えている、そんな時間。鳥居の朱塗りが溶け出したかのように、夕日がそこかしこを染めあげている。


(夕方は嫌い。世界が朱に染まるから、大嫌い)


手をかざして山の端に隠れようとしている太陽を遮った。横合いから照りつける冬場の夕日が眩しかったから、そういうことにしておく。今日は特に朱が強い気がする。こんな日はさっさと家に帰ってカーテンを締め切ってこもってしまいたいのに。手の中のノートの切れ端を私はくしゃりと握りつぶした。


「逃げずに待ってるなんて、きとーさんって思ったよりも真面目なのね」

「人をこんなところに呼びつけておいて

 遅れてくるようなあなた達に比べたら、きっと真面目よ」


昇降口の扉を開けて、気の強そうな声が飛んできた。同じクラスの姫川さん。クラスの女子の最大派閥のリーダーで、実際気が強い子だ。眩しい夕日に苛立っていたせいで、つい反射的に強めに返してしまったことを後悔する。やはり夕暮れ時にはいいことがない。


「それで、こんなに大勢で一体何の用かしら?」


もういいや、今日は猫をかぶるのはよそう。わざとらしく小首をかしげ腰に手を当てて、姫川さんとその取り巻き3人の顔をくるりと見回す。私はこういう仕草をする時に、とかく酷薄な印象を人に与えるらしい。姫川さんの後ろに並んでいる娘たちが面白いように息を呑む様子が伺えた。


「白々しいわね、わかってるでしょう?

 瀬川くんのことよ。きとーさんが最近仲良くしてる、瀬川くん」

「瀬川? ああ、あの人ね。仲良くなんてしてないわ。

 あいつが勝手に話しかけてくるだけよ」


瀬川とは、最近昼休みごとに私の回りをうろちょろする男子生徒の名前だ。彼女たちが何をしに来たのか分かった気がした。姫川さんの取り巻きの中にひとり、気圧されながらも私を睨みつけてる子がいる。たしか、瀬川とかいう男子と付き合っていたはずだ。捨てようと思って捨てそびれていたアレ、まだかばんの中にあって本当に良かった。


「きとーさんがそうやって瀬川くんの回りをうろちょろしてるから

 めーわくしてる子がいるってこと、知っておいてよね」


そうだそうだ、と取り巻きが追いかけるように騒ぎ立てる。迷惑ですって? 昼のひとときを邪魔されて、こうして夕暮れの中で埒もない話につきあわされる私の方こそ迷惑というものだ。ああもういい、めんどくさい。私は姫川さんを無視して、瀬川と付き合っているであろうクラスメイトにつかつかと詰め寄った。


「はいこれ、あげるわ。どう使うかはあなた次第。私には必要ないから」

「なに、これ?」


可愛らしい便箋を学生鞄から取り出して彼女の目の前に突きつけてやった。気がついたら机の中に入っていたその手紙の宛名には”Dear Kito ” と気取った筆記体で書いてある。封は切っていないので中身は見ていないけれど、心当たりのある差出人に興味がない以上に中身にも興味はわかなかった。


「私の名字は『おにがしら』よ。彼氏に言っておきなさい」


これは姫川さんにも聞こえるように言ってやる。クラスでは孤立主義を貫いてるとは言え、クラスメイトに名前を間違われるのは正直寂しいものがある。


「あとあなたもあなたよ? あちこち手を出しすぎて、

 手を出す相手の名前すら調べないなんて事のないように、

 自分の彼氏の首輪、しっかり握っておいてくれないかしら?」


畳み掛けるような長台詞を瀬川の彼女に浴びせかける。彼女は普段あまり喋らない私の剣幕に戸惑っているようだった。それでも、目の前に突きつけられたものが何なのかを理解した途端、彼女の顔にみるみる血が昇っていく。


次の瞬間私の左頬が弾けた。


すぱん!


夕暮れの屋上に響く小気味良い音。遅れてじわじわと私の頬が痛みを訴え始める。私の頬を引っ叩いた彼女は、返す手で手紙をひったくると昇降口に向かって走り出した。ドアのところで振り返って捨て台詞


「あんたに!

 あんたなんかにそんな事、言われる筋合いないわ!」


姫川さんたちも慌てて彼女を追いかける。この話はまたじっくりするからね、なんて言われたけれど、流石にこれ以上付き合う気にはなれない。痴話喧嘩は当人同士でやってほしい。今日みたいに巻き込まれるのは勘弁だった


「私にだって、そんな筋合いないわよ」


誰に聞かせるともない言葉が無人の屋上に消えてゆく。何かが垂れる感じがして口を拭う。手の甲に感じるぬるりとした感触。これはいけない、血が、出ている。鞄からハンカチを取り出して手の甲をしっかり拭う。折り返してきれいな面を出してから、口の端を押さえる。


ハンカチの色は黒。子供の頃からこの色と決めている。そのまま口の端の出血が治まるのを待つ。ひゅうと渡った風が腫れた頬を少し冷やしてくれる。


私は鳥居に持たれてコンクリートに走る罅の数を数え始めた。


やっぱり、夕焼けなんて大きらいだ

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