第4話うつけもの

 白い尾花が雲海のように広がるイナナリ高原。

 名物である猫神神社から南に暫くいった所に、魔物なぞなんそのと、その建物は立っていた。

 アザミの父が助言をくれた、普賢一刀流の道場である。

「頼もう! 頼もーう!」

 高らかに声を上げ、バタバタと板間を鳴らすアザミに続いて、アルドも道場に上がる。

「はっはっは。元気のいいお客さんだ。普賢一刀流の道場に、なにか御用かの?」

 年の割に髪の豊かな、どこか飄々とした雰囲気のある老人が、やんちゃな孫でも見守るような優しい目をして出迎えた。

「そなたは……。もしや、飛燕天昇流のアザミ殿ではないか?」

 言ったのは、老人に顔のつくりだけはよく似た、しかし、別人のように真面目そうな、壮年の男だ。

「はい。仰る通り、拙者、飛燕天昇流のアザミと申す者でござる! 見た所、お二人が当主殿と、先代当主殿とお見受けする」

「うむ」

「いかにも」

 老人と壮年の男が、同時に頷く。

「実は俺達、シグレに用があって来たんだ。ここに来れば、シグレの居場所がわかるんじゃないかと思って、尋ねて来たんだけど」

「シグレに用だと? まさか、あのうつけもの、なにかお二人の迷惑になるような事をしでかしたのではあるまいな」

 渋面を作る当主に、アルドは首を振った。

「いや、そういうわけじゃないんだ。色々あって、シグレと手合わせがしたくて」

「ほう、色々とな」

 興味津々と言う風に、先代当主が顎髭を撫でる。

「面白そうじゃが、その様子では、急ぎの用事なのじゃろう。深入りはせんでおこうかの」

「ですな。あのうつけものの根性を叩き直してくれるというのであれば、誰であろうと大歓迎だ。しかし、困った。親の私でも、あいつの居場所となるととんと……」

「では、ここはワシが一肌脱ぐとするかの。シグレはワシに似て宴好きじゃ。この時期なら、紅葉街道の紅葉が見ごろじゃろう。傾奇者のあやつの事だから、あの辺の茶屋で紅葉狩りでもしておるに違いないわい」

「確かに、あのうつけものの考えそうなことです。流石は父上だ」

「はっはっは。褒められた気がまったくせんわい」

「それはそうでしょう。褒めていませんから」

 当て擦るという程ではない。むしろ、無駄だと分かっていて暖簾を推す徒労感を滲ませて、現当主は言う。

「ともかく、そういう事だ。見た所お二人は、中々に腕の立つ武人のようだ。私に代わり、放蕩息子にお灸を据えてやってくれ」

「期待に答えられるかはわからないけど、お父さんが心配してたと伝えておきます」

「それでは、御免!」

 お礼もそこそこに、二人は慌ただしく道場を飛び出した。


 †


 さて。普賢一刀流の当主と先代当主に助言を貰った二人は、その足で紅葉街道にやってきた。荒れ寺と同じくらい、名前通りの場所である。

 街道沿いにはずらりと紅葉の木が並び、赤、黄、緑と実に色鮮やかである。

 時折、冬を前にして気を荒ぶらせた腹ペコ大熊が現れる事に目を瞑れば、実に風光明媚な場所と言えた。これならば、シグレでなくとも宴をしたくなるというものだろう。

 先代当主の言っていた茶屋は、イナナリ高原と辰の国ナグシャムの丁度間くらいにあった。

 木の葉舞う紅葉街道の片隅に、ぽつんと建った質素な茶屋は、都の喧噪を嫌った世捨て人の隠れ家のように見える。店の傍らには、紅葉色の茶席と鮮やかな野点傘が立てられ、少し離れた所に建った粉ひきの水車のからからと鳴る音が、実に風流である。

 普賢一刀流の猛虎にして、宴好きのうつけ侍、傾奇者で有名なシグレの宴場として、これ以上相応しい場所はないだろう。

 実際彼はそこにいた。

 朱色の茶席にどんと腰かけ、紅葉の浮かんだ杯をくいと傾けると、こってりと蜜のかかったみたらしを一口。幸せそうに眼を閉じると、うんうんと満足そうに頷くのだった。

 人の生の幸福を絵にかいたような光景に、思わず声をかけるのを躊躇いそうになるが、残念。アルドには、果たさねばならぬ約束がある。申し訳ないと思いつつ、声をかけた。

「シグレ!」

「天高く、紅葉麗し、秋の空、宴日和に、友の呼ぶ声」

 快晴の空に歌うと、杯を傾け、シグレは振り向いた。

「嬉しいぞアルド! こんな日にお前に会えるとはな! さぁ、座れ! 共に宴をしようじゃないか!」

 人懐っこい笑みを浮かべると、シグレは茶席を叩いた。

「そうしたいのは山々なんだけど、今日は急ぎの用があって来たんだ」

「そうなのでござる! シグレ殿、拙者、飛燕天昇流のアザミと申す! この度は折り入って、お願いがあって参った!」

 アルドに続き、アザミが言った。

「む、むむむ! 待てよ、待て! アルドよ! なんだその強そうな女子は!」

 アザミを見て、シグレぱちぱちと切れ長の目を瞬かせる。

「この俺を差し置いて、そんな立派な妻を娶るとは! 羨ましいにも程があるぞ! 祝言はもう済んだのか? まだならば、俺を呼ぶのを忘れるなよ! 大事な友のハレの宴だ! 祝えなければ、うつけの名が泣くというものよ!」

「せ、拙者が、妻!? シグレ殿には、そそそ、そのように見えたでござるか!?」

 真っ赤になって、アザミが言う。

「うむ。仲睦まじく並ぶ様子が、なんとも様になっておったからな。違ったか?」

「違うと言えば違うんだけど、色々と複雑な事情があるんだ。実は――」

 と、何度目かの説明をアルドはした。

「なるほど。いかにもお人よしのお前らしい! はっはっは! まぁ、それがアルドのよい所よ!」

 快活に笑うと、シグレはもう一度、茶席を叩いた。

「これ以上茶屋の前で立ち話をするのもなんだ。積もる話もある。とりあえず二人とも、そこに座れ。お~い娘、二人に茶とみたらし団子を持ってきてくれ!」

「はーい。ただいま~」

 シグレの注文に、赤い着物を着た茶屋の娘がのんびりと答える。

「待ってくれ。話は聞いただろ!? アザミのお父さんは危篤なんだ! 少しでも早く婿と認めて貰って、安心させてあげたいんだよ!」

「もちろん、話は聞いていたさ。だからこそ、こうして宴に招いておる。それに、先ほどからアザミ殿が物欲しそうに俺の団子を見ておるぞ」

「確かにアザミはみたらし団子が好物だけど」

 まさか、こんな時まで食い気を出してはいないだろう。そう思って振り返ると。

「…………」

 アザミは目を皿のように開き、食い入るようにシグレの手の中のみたらし団子を見つめている。小さな口はぱっくり開いて、今にも涎が滴りそうだ。

「……アザミ?」

「ずびっ!? は、はひ! なんでござるか!?」

「ほらな。その様子では、話し合いなど出来はすまい。それに、俺の見立てじゃ、親父殿の一件、急ぐ事の程でもないぞ」

「どういう事だ? シグレはアザミのお父さんの事、何か知ってるのか?」

「さして知らぬよ。だが、アルド。お前の話を聞けば大体の事は分かった。まぁ、それについても話してやる。とりあえず、まずは宴だ!」

 うつけものと呼ばれてはいるが、根はやさしく、友達想いのシグレである。その彼が、そこまで言うのだ。

「わかったよ。俺も朝から走りっぱなしで、腹が減ってた所だし」

「し、しからば拙者も、お言葉に甘えて……」

 アルドはシグレの横の茶席に座る。追いかけて来たアザミは、茶席の前まで来ると、戸惑ったように顔を赤らめもじもじする。やがて、意を決して、アルドの隣に腰を下ろした。

 程なくして、茶屋の娘がお茶と団子を持ってくる。

「美味いでござるよ!? こんなおいしいみたらし団子、初めて食べたでござる!」

「そうだろう。元々ここは、その筋では名の知れた茶屋だったんだが、先代がなくなってから味が落ちてな。暫く人気を落していたのだが、どういうわけか最近、味を取り戻してたんだ。で、俺もこうして、久々に足を運んだというわけだ」

「そうなのか。繁盛しているみたいで、よかったよ」

 実は以前に、アルドは茶屋の娘に頼まれて、先代の味の秘訣を探る手伝いをした事がある。だがそれは、別の話だ。

「はぁ、美味しい。ほっぺたが落ちそうでござざるよ!」

 手紙を受け取って以来、沈み込んでばかりいたアザミの久々の笑顔に、アルドの心も軽くなる。シグレが宴に招いたのは、アザミの不安を溶かす為もあったのだろう。

 が、それも長くは続かない。

「こんなに美味しいみたらし団子、父上にも食べさせてあげたいでござるよ……」

 しょんぼりと、軽くなった串を置く。

 当然と言えば当然だが、アザミの頭には、常に危篤の父がいた。アルドもそうだ。こうしている間にも、容態が急変するかもしれない。そう思うと、気が気ではない。

「それで、シグレ。さっき言ってた、アザミのお父さんの話。急ぐ事でもないっていうのは、どういう事なんだ?」

「なに、簡単な話よ。アザミの殿の親父殿はすこぶる健在であられる。それだけの話だ」

「……なんだって?」

 意味が分からず、アルドは眉を寄せた。

「シグレ殿はなにか勘違いをされているのではござらぬか? 父上は、確かに病床の身。手紙にはそう書いてあったし、本人もそう言ってござった。拙者もアルド殿も直に見聞きしたから、間違いないでござるよ」

「そうとも限らん。当事者だから気づかぬ事と言うのはままある事よ。アザミ殿は、アルド殿に負けず劣らず、人が良さそうだし。家族の事となればなおさら。普段曇らぬ目が曇るという事もあろうな」

「じゃあ、シグレは、アザミのお父さんが仮病を使ってるって言いたいのか?」

「あぁ。その通りだ」

「そんな! 父上は立派な侍でござる! そのような益体のない嘘を、それも、娘の拙者につくはずはないでござるよ!」

「そうかもしれぬし、そうでないかもしれぬ。アザミ殿にとって、しょせん俺は馬の骨。親父殿を嘘つき呼ばわりされて、易々と信じろと言うのは無理な話であろうな」

「そういうわけではござらぬが……」

 口では否定しているが、そういうわけなのだろう。こればかりは、仕方ない。誰だって、家族や友人には贔屓目になってしまうものだ。

「けどシグレ。そこまで言うなら、なにか証拠があるのか?」

「そうさなぁ。証拠と言うと大げさだが、あるにはある。つい先日、俺はゲンシン様の命で、嫌々ながら、クロサギ城の侍の剣術指南を承った。本来なら、雲隠れで逃げ切るのだが、例の件もある。仕方なく顔を出した際、その場に居合わせた飛燕天昇流の当主殿と手合わせする事となった」

 例の件とは、ゲンシン様の首を取ろうとした事だろう。普賢一刀流の龍虎とあの殿様とは、浅からぬ因縁があるのだった。

「飛燕天昇流の当主殿って……」

「父上でござるよ!」

 アザミの言葉に、シグレも頷く。

「元より気乗りせぬ仕事。アザミ殿の親父殿には悪いが、引き分けという事で勘弁してもらった。だが、その際の親父殿の剣気と来たら。流石は姫守の流派。本気を出さねばやられていた。という事はだ、その時までは親父殿はすこぶる元気だったという事だ。それがつい数日前。あの荒熊の如き侍が、たった数日で危篤になるとは俺には思えん」

「確かに、それは妙だな」

「しかし、だとしたら……父上はなぜそのような嘘を拙者に……」

「まだわからぬか? まぁ、子というのは、親の心配がわからぬものなのかもしれぬな。……アザミ殿の事を言える俺ではないが」

 言いながら、シグレは苦笑いを浮かべた。

「心配、でござるか?」

「あぁ。飛燕天昇流の当主殿は、早くに奥方をなくされたと聞く。そこに来て、可愛い一人娘がいつまでも海の向こうで武者修行では寂しかろう。かといって、親父殿にも侍の面子がある。自分で送り出しておきながら、寂しくなったから帰ってこいとは言えはすまい。苦肉の作が、危篤の手紙だったというわけだ」

「なるほど。それなら納得だ」

「そんな! 寂しい気持ちは拙者も同じ! 会いたければ、いつでも気軽に呼んでくれればよいものを!?」

「それが出来ぬのが男の愚かさよ」

 しみじみ言うと、シグレは団子を食んだ。

「恐らくは、アザミ殿が帰ってきて、寂しさが癒えたなら、病が治ったと言うつもりだったのだろうが。親父殿の誤算は、アザミ殿の優しさよな」

「拙者の優しさ?」

「あぁ。安心させようとアルドを婿に仕立てて連れ帰ったのだろうが。俺に言わせればそれは逆効果よ。久々の親子水入らずの時間を期待していた親父殿の前に、アザミ殿は悪い虫を連れて戻ってきたのだからな。親父殿としては、面白いわけがなかろう」

「悪い虫!? アルド殿は、どこに出しても恥ずかしくない、立派な御仁でござるよ!?」

「そんな事は俺だって知っているさ。だが、世の親父殿からすれば、娘についた男はみんなまとめて悪い虫だ。無理難題を吹っ掛けて別れさせようと思ったんだろうが、親父殿も相手が悪かった。なにせアルドは、うつけの俺が呆れる程のお人よしよ! おまけに諦めると言う言葉を知らん。そのせいで、ここまで話が拗れたのだろう」

「そういう事か……」

 筋の通った説明に、アルドは納得した。

「……ごめん、アザミ。俺が余計なお節介をしたせいで、大変な事になっちゃって」

 自分が手を出さなければ、今頃アザミと親父さんは、親御水入らずの時間を過ごしていた筈なのだ。

「なにを言っているでござるか!? 元を正せば、拙者の方から頼んだ事! 嘘をついたのは父上が悪い! アルド殿が謝る事など一つもござらんではないか! 謝らねばならぬのは、むしろ拙者の方でござる!」

 涙目で言うと、アザミは深々と頭を下げた。

「本当にすまぬでござるよ。背者たち親子の事情に巻き込んで、要らぬ苦労をかけて。それもこれも、父上の寂しさを汲んであげられなかった拙者の不徳の致すところ! このような阿呆に、アルド殿のような立派な御仁は勿体ないでござる。後の事は、拙者が始末をつけるでござるから、アルド殿はどうか、国に戻られよ。そして、拙者のような女の事は忘れ、もっと素敵な女子と幸せになって欲しいでござる……」

 涙声でアザミは言う。他愛ない寂しさと、父を想う優しさから始まった事のはずなのに、どうしてこんな事になってしまったのか。

「いやだね」

 むっすりと、アルドは言った。

「アザミは、俺の事を嫌いになったのか?」

 真っすぐに、アルドは尋ねた。

「そ、そんなわけないでござる! むしろ、この騒動を通して、以前にも増して大好きになってしまったでござるよ!」

 ぴゅ~。と、シグレの口笛が鳴った。

「なら、そんな事言うなよ! 折角出会えた仲間じゃないか! 俺は、アザミを喜ばせる為に協力したんだ! そんな風に悲しませる為じゃない。それに、ここまで来て帰るなんて無責任な事、俺には出来ないよ!」

「しかし、これ以上アルド殿に迷惑をかけるわけには……」

「よせよせ。アルドのうつけは俺以上だ! アザミ殿も、共に旅をしたのなら、その事は嫌という程わかっているだろう? 目の前に困っている人がいたならば、見捨てるような男じゃない。それが仲間なら、猶更だ。ここは、アルドと出会ってしまった幸運を恨んで、諦める事だな。はっはっは!」

 愉快愉快と、シグレが笑う。

「それを言うなら不運だろう?」

 むず痒さには渋面をつくりつつ、アルドは言う。

「いいや、幸運でござろう。何度でも言おう。アルド殿のような御仁と出会えて、拙者は幸せ者でござるよ……」

 ほろほろとアザミは泣く。零れる涙に悲しみの色はない。甘露の如き、嬉し泣きだ。

「けど、困ったな。そうなると、シグレと戦った所で、この問題は解決しないぞ?」

「うむ……父上は、あの通り頑固者でござるからな。父上を怒らせず、どうにか嘘を認めさせる方法があればよいのだが……」

「それについても心配ない。俺に妙案がある」

 最後の団子を食べ終えて、シグレは言う。

「本当か!?」

「シグレ殿は、すごいでござるな。巷では、うつけなどと言われているが、そんな事はまったくないでござるよ」

「はっはっは。伊達に稽古をサボって宴ばかりしているわけではないぞ。こうして、酒を片手に宴をする事で、俺なりにモノの道理を見極めようとしているのさ」

 嘘か真か、シグレは言う。

 恐らくは、本心だろうとアルドは思う。

 世の中には、正攻法ではどうにもならない事がある。

 真っすぐなだけでは、為せない事がある。

 誰よりもその事を分かっているシグレである。

 無二の友を救うには、剣の腕だけでは駄目だと悟り、知恵を磨いているのだろう。

「それでシグレ。その妙案っていうのは?」

「なに、簡単な話さ。俺とお前が戦うよりも、余程穏便で、平和的な解決法だ」

 片目を瞑ると、シグレは妙案を話すのだった。

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