題23話 藁をもつかむ神頼み その2

 五十メートルほど歩くと、左手に大きな鼠色の石を丸ごと掘った手水舍が見えた。


 石の大きさに驚きながら、手を水で清めた。


 清い水で口をゆすいだ後、参道の方向を見ると、数人の女性が靴を脱いで、足をお湯の中に浸けている姿が見える。


 天神のど真ん中に足湯があるとは知らず、ついつい興味津々と湯場の方向に歩き始める。


 二人の女性は気持ちよさそうな顔をして、満足そうに世間話をしている。


 琴音も慣れないハイヒールを脱いで、疲れた足を湯に浸ける。


 思わず、「あーっ」と言うため息が口から漏れた。


 ひと時の幸せを味わいながら、最後の作戦を頭の中で練る。五分ほど湯に浸っていたであろうか? 軽くなった足をハンカチで拭いて、ハイヒールを履き直す。


 先輩のいるはずのお社殿の方へ、ゆっくりと歩き始めた。


 御影石の狛犬が参道の両脇に、大きく口を開けて睨んでいる前を通って、神門でもう一度頭を下げて一礼した。


 ふとその先を見てみると、金髪の先輩がご社殿の前の石畳を、松葉箒ではいているのが見えた。


 先輩の髪の毛の色と、白衣をまとい、紫袴を着た姿に違和感を覚えた。


 もしベルばらのオスカーが、袴姿になればこうなるのだろうと思いながら、先輩の不思議な凛々しさに惹かれる。


 琴音のハートの鼓動が早まる。


 先輩に聞こえてしまうのではないかと思うほど心臓は、

「ドックン、ドックン」と大きな音を立てている。


 先輩の松葉箒を持つ手が止まって、琴音を見つめた。


 先輩の眼差しは、どこかで見たことがあると言う確信と、それがどこであったのか思いだせない葛藤とが、両立しているように琴音には感じられた。


「あっ、こ、こんにちは先輩!」


 琴音はささやいて頭を下げる。


「ああっ……」


 躊躇した言葉がプリンスから帰ってくる。


 まだ琴音が誰であるのかわかってない先輩に、自ら説明する勇気はなかった。


「どうぞお参りを」


 プリンスは賽銭箱の前を琴音に譲った。


「ありがとうございます」


 琴音はもう一度頭を下げた。


 興奮のあまり、何をすれば良いのかもわからない琴音は、咄嗟に財布の中から賽銭を探し始める。


 指は小銭を探そうとしているが、手が震えて、どの硬貨なのかもわからないほど焦っていた。


 指は冷たい金属に空いている穴を感じ取る。


「あっ、五円だ」と思った時、なぜか心が落ち着き始める。


「ご縁」と「五円」を語呂合わせする人がいるが、どう考えても五円という小銭で、自分の思いが叶うというのは、虫が良すぎるのではないか?


 いくら神様でも多くもらえた方が、助けたくなるのは当然だろうと思い、五百円玉を握った。


 先輩がそばにいるので、安っぽく見られたくないという見栄も働いていたのは確かだ。


 五百円玉を財布から取り出して、賽銭箱へと投げる。


 硬貨は軽快な音をたてて、木の箱の底へと落ちていった。


 次に目の前にある大きな鈴を掴んで、強く左右に振った。


 古びた鈴は快く鳴って、琴音の心に響いた。


 二度、深くお辞儀をした後で、手の平を合わせて叩く。


 軽快な音が周りに響き渡った後で、手を合わせて沈黙を守った。


「先輩と相愛になりますように」


 藁をも掴む思いで、神様にお願いする。


 普段は神社には初詣ぐらいしか来ない琴音だが、今日の神頼みはいつもよりも力が入る。


 長い間、御社殿の前で手を合わせる琴音を見た人たちは、随分と重大なお参りのように思ったのではないだろうか。


 やっと目を開けて辺りを見回すが、もう先輩の姿はどこにもなかった。


「あー、ショック!」


 琴音の口から深い吐息が漏れた。


「まあ、先輩に会えただけでもいいや」

と思い直して、神門へと歩き始める。


「やっぱりお守りは買って帰ろう」と思い、

右横の社所に近づくと、先輩がお守りを置いてあるカウンターの向こうに座っていた。


「やっぱり先輩は超イケメン!」

と思うと、心臓の鼓動が脈打つ。


 色とりどりのお守りを見ながら、どの色にしようかと焦り始めた時、先輩が琴音に話しかけた。


「女の子に人気なのはやっぱりピンクだよ」


「やっぱりそうですよね」


 実は琴音は赤に興味があったが、ピンクのお守りを手に取る。


「御固り?」


 琴音は驚く。


 なぜならば、お守り袋には「御守り」ではなく、「御固り」と織られていたからだ。


 警固神社の御守りには「警固の固」をとって、御守りではなく、御固りと書いてあり、博多織なので、普通の御守りよりも固めに織られている。


「警固神社は御守りじゃなくって、御固り(いましめまもり)なんだよ」


 先輩が説明を付けた。


「いましめまもり?」


「そう」


「警め固る神、警固神社という神様の由来から、そう呼ばれているんだ」


「そうなんですか? 知らなかった」


「じゃあ、このピンクは縁結固りで八百円です」


 琴音の手から御固りを受け取った後で、小さな紙袋に丁寧に御守りをしおりと一緒に入れた。


 白い紙袋を何よりも大事なもののように受け取った。


 何か話を続けようと思ったが言葉が出てこない。


 最後に自分の頼りなさに失望しながら先輩と別れた。


「ありがとうございます」

とお辞儀をして、神門へ歩き始める。


 これが琴音にとって初めての警固神社参拝だった。


 それから毎土曜日、神社に参拝に来ては、「御固り」を買った。


 少しの間、先輩と話しが出来る大切な時間だった。


 その度に「お固り」の数は増える。


 スカイブルーの交通安全固り。


 オレンジの旅路固り。


 緑の快気固り。


 大きな白の警固り(いましめまもり)。


 紫の厄除固り。


 朱の学固り。


 シルバーの縁結固り。

 

 通学用バックの取っ手に垂れ下がる御守りの数は増えていった。





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