第十一話

家族に見守られ、愛されながらすくすくと育ち――遂にこの日を迎えました。そう、離乳食デビュー!つまり、お母さんのお乳から赤ちゃん用の柔らかい食事に変わるのです!やったー、嬉しいー!お乳もとても美味しかったけど、やっぱり食事に変わると自分の成長をより実感できるので喜びも一入…たとえそれが原形を留めていない食事でも。

それに私が離乳食デビューすることで嬉しいことがもう一つ。今までバラバラに食事を摂っていた家族が同じテーブルでご飯を食べることになるのです!わーい、やったー!

私の食事時間がバラバラ=お母さんも同じ。ということで我が風野家はお母さんを気遣ってお父さんとお兄ちゃんもそれぞれ時間をずらして食事をしていました。なので、私が生まれてから家族揃って食卓に着いたことは私の誕生祝い以来。

初めて踏み入れた食堂は高級な中華料理店を思わせるような、落ち着きと豪華さが同居しているような空間だった。

おー、すごい。高級料理店っぽいラウンドテーブルに椅子の上に赤いクッション…おお、すごい。あ、二回目。でも本当にすご――以下略。

皆が席に着くと同時に料理が運ばれてくる。私の前にはほぼ原形を留めていない、柔らかいとうか、ぐちゃ――食事中なのでこれ以上は自重します――柔らかいお粥です。そして当たり前だけれど一さじという、とても少量。うう、早くもっといっぱい食べたい…。

お行儀が悪いけれど隣に座るお母さんの食事をのぞき見る。美味しそうな焼きたてのパン、野菜サラダ、コンソメスープ、ソーセージと目玉焼き、そしてデザートのフルーツ。うう、美味しそう。早く私もこっちが食べたい…。


「すぐにたくさん食べられるようになるわ。あなたは元気に育っているもの。だから元気を出して。ね?」


み、見透かされた…さすがお母さん。

恥ずかしくて、でもちょっぴり嬉しくて。お母さんの顔を見て何度か頷き返せばお母さんは微笑んで私の頭を撫でてくれた。


「本当に大きくなったなぁ、明藍。少し前まではあんなに小さかったのに…感慨深いなぁ」


「…父上、また涙腺が緩くなっていませんか?」


「ふふ、本当にしょうがない人。さあ、丈達様。家族揃っての初めての食事ですので、音頭をお願いいたします」


細められていたお父さんの目尻がきらりと光る。目頭を押さえているお父さんにお兄ちゃんが呆気にとられている。お父さんの様子にお母さんが小さく笑みを零し、そしてすぐに場を取りなした。するとつい今し方までめそめそしていたお父さんがキリッと表情を引き締めて立ち上がる。…さすがです、お母さん。


「うむ。では皆、グラスを手に。明藍の健やかなる成長と我が風野家の繁栄を祈って――乾杯!」


「「乾杯!」」


威厳たっぷりのお父さんの挨拶に次いでグラスが合わさる音が響く。儀式のような荘厳さと神聖さが感じられ、思わず感嘆の息が漏れた。

やっぱりお父さんはすごい。やるときはやる人、だものね。

そうして食事が始まった。たった一さじのお粥を食べることがこんなに大変だとは知らなかった。すぐ食べ終わると思っていたのに。体が拒否しないように少しずつ口に入れてゆっくりと飲み込んでいく。時間がかかっているのに私の食べる様子を見守りながら食べさせてくれるお母さんは本当に嬉しそうに微笑んでいて、その顔を見ているだけで胸がぽかぽかと温かくなる。そうして久しぶりの食事を堪能していた私はふとお父さんとお兄ちゃんの食事風景に疑念を抱いた。


お父さんとお兄ちゃんの食器…多くない?フォーク、ナイフ、スプーンに…お箸?…今日の食事に必要ないものまでいっぱいある。どうして?

するとお父さんとお兄ちゃんが豊富な種類の中から食器を選び、うんうんと頷いて選んだ食器で食事を始めた。始めたけど――。

…お父さん、何でお箸?お兄ちゃん、そのフォークとナイフ小さくない?デザート用だよね、それ。…どうなっているの?

私の意識がずれていることに気づいたお母さんがお父さん達の方を見る。そしていつも淑やかなお母さんにしては珍しく、大きな溜息を吐いた。


「丈達様、本日はお箸の気分ですか?」


「ああ。今日は直感に従うことにした」


「左様でございますか。丈成、今日は思ったように髪型が決まらなかったのですね」


「その通りです、母上。この跳ねている部分が気に入らず…」


「丈成。気持ちが沈んでいる時は大きい食器で気分を上げるべきだといつも言っているだろう。余計に気分が落ち込んでしまうではないか」


「だからこそ、ですよ。鬱々としている気分をより沈めてこれ以上ないところまで落ちれば後は浮上するだけ。こういう時はとことんまで気分を下げてしまうべきなのです」


「だがなぁ」


…この人達はさっきから何を言っているのだろうか。ついつい食べることを忘れて聞き入っていたけれど、2人の言い分は全然私には理解できなかった。

自分の気持ちに正直になって食器を決める父に髪の毛のまとまり具合で食器の大きさが左右される兄。――うん、理解できない。どうしてそうなる?!

私が困惑している間に2人の議論が次第に熱を帯び、どんどんヒートアップしていく。


「ご自分が常にポジティブに物事を考え続けられる思考をお持ちだからといって俺のネガティブに考える側面を批判するのはおかしいです!俺だって父上と同じく自分の気持ちに自由で正直にいるだけなのに」


「別に批判しているわけではなくて、だな。ポジティブに考え続けると私のように多少のことには動じない、強い心を育てることに役立つと言いたいだけで」


「適切ではない適当さが際立つ父上のようにはなりたくないので今のままで俺は結構です」


「こら、丈成!言っていいことと悪いことがあるだろう!」


「先に俺を否定してきたのは父上ですよ!」


「だから私は」


「旦那様、丈成」


ヒートアップしすぎて大火になりそうだったお父さんとお兄ちゃんの口論におろおろと当惑していたら、今度は唐突に湧き上がってきた怖気が全身を襲ってきた。その正体にすぐに気づいた私が声を上げて2人の口論を止めようとしたけれど、一瞬遅かった。大きな声ではないのにすべてを断ち切るように静かに、でもはっきりと響いた声に2人の口論がピタリと止まり、燃えさかっていた炎が一瞬で鎮火したのがわかった。でもいつもみたいにお母さんを褒める余裕はなく。

眉を下げ、恐る恐る私の隣に視線を向けるお父さん達と同じように怖々と顔を上げたその瞬間に後悔した。絶対零度の微笑みを浮かべているお母さんの背中に鉈を振り上げている般若が見える。ひぃっ!怖いー!!

ぶるぶると体を震わせる私を安心させるようにお母さんはいつものように天使の微笑みを浮かべ、そして申し訳なさそうに眉を下げながら私の頭を撫でる。


「明藍、ごめんなさいね。少し、お父様達にお話があるから別室で待っていてほしいの。――紅玉」


「はい」


「明藍をお願い。後もう少しで食べ終わるから食べさせてあげて」


「承知いたしました」


紅玉はお母さん専属の侍女さんでたくさんいるメイドさんをまとめる侍女長でもある。彼女はお母さんが嫁入りする時に一緒に来たメイドさんの内の1人だからお母さんの性格は熟知しているので返事と共にお辞儀をし、すぐに私を抱き抱えて歩き出す。その後ろから控えていたメイドさんが私の食事の乗ったワゴンを引いて着いてくる。そして退室の挨拶と共にもう一度お辞儀をし、退室して程なくして。お母さんの雷が落ちたのか、2人が大きな声で謝る声が聞こえてきた。


「…お嬢様には作法で苦労をさせたくないですね」


万感の思いのこもった紅玉の呟きに後ろのメイドさんもうんうんと頷いていた。

お父さんとお兄ちゃんの食事風景からの口論。そして落ちたお母さんの雷。

…作法はお母さんみたいな“普通”を教えてくれる人をお願いしよう。うん、それがいい、絶対にそれがいい。風野家の血がもたらす自由が常人にとっての常識の範囲を出ない範囲で、とも当然願った。…でもこれが叶うかはわからないけれど。

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