第九話 丈成ことお兄ちゃん視点

明藍の体から溢れ出した光が部屋に広がっていくにつれて胸の辺りがぽかぽかと温かくなって心地いい安心感を覚えた。でも体は未だ恐怖に怯えていて。感情と体の相反する反応に戸惑っていると今度は俺の守護精霊であるゲイルが突然現れ…もうわけがわからない。俺の混乱を察しているゲイルが遂には苦笑を浮かべた。


《もう少し落ち着いてから顔を出すつもりだったのよ。でも…さすが神子ちゃん》


「明藍が、ゲイルを呼んだのか?」


《正確には引きずり出された、だけどね。よっぽど心配だったのね。あなたのことが》


「俺の、ことが?」


《…しょうがない子ね、本当に。丈成、手を》


応えてもらう存在である精霊を自分の力と意思で引きずり出す――そんなことが可能だと思わなかった。やっぱり、明藍は優秀だ。

ぼんやりとした思考でそう考えて勝手に落ち込んでいた俺は次にゲイルから聞いた言葉に驚いて、呆然としてしまった。俺の顔を見てゲイルは額に手を当てて首を振ってため息を吐き、呆れと労りの混じった不思議な視線を向ける。早く、と促されて手を差し出すとゲイルは俺の手を取って何故か明藍の手と握らせた。

何の意味がと聞こうとした瞬間、繋がった手を通じて明藍の気持ちがすごい勢いで流れ込んできた。でもそれらは膨大なのに俺を置いてきぼりにするわけではなく、むしろ包み込むようにじんわりと胸の内を温かく満たしていく。


ああ、そうか。さっき俺の心を満たしてくれていたのは明藍だったのか。明藍が、俺の心を…包んで守ろうとしてくれた。明藍の持つ力に怯えるばかりで明藍自身を見なかった俺を、咎めるどころか受け入れてくれた。それどころか求めてくれた…俺を、俺自身を、明藍は、求めてくれた…。


物心ついた頃に交流のあった年の近い子ども達とは友達になるまでに至らなかった。化け物だと言われ、俺自身を見てくれないことに割と早い段階から気づいてしまったからだ。それから俺は人の顔色を見て、感情を読んで行動するようになった。傷つけられても傷ついていないのだと見せるためにいつだって笑顔を作った。そうして警戒心を緩めてから離れれば誰も俺を追ってこない、気味悪がって近づいてこない。それでよかった。家族が、スティーブ達がいてくれるから、友達を作らなくても平気だった。大切なものはそれだけでじゅうぶんだった。

だから父上達に弟か妹ができると言われた時は戸惑った。家族が、大切なものが増えてどうすればいいかわからなかった。不安だった。でも生まれたばかりの明藍を見てそんな気持ちは吹き飛んだ。可愛くて小さくて愛おしくて――守りたいって反射的に思った。ずっと守っていこうと誓った。日々を重ね、一緒にいる度にその気持ちは強くなっていった。育ち続ける気持ちだと確信していた。それなのに、明藍は神子だった。途端に顔を出した弱い自分に押し潰されそうになった。いつもと違って明藍が大切だから逃げたくないのに心は言うことを聞かずに離れていこうとした。酷い兄だよな、本当に。

結局俺も、俺を遠ざけた子ども達と一緒だった。得体の知れない力が怖くて、逃げだそうとした。だから俺が子ども達にしたように明藍が俺を遠ざけてもおかしくないどころか、当然だった。でも、でも明藍は違った。

弱い俺を認めてくれた。俺の気持ちを疑わなかった。俺の心を守ろうとしてくれた。俺を、愛し続けてくれる。俺がずっと前に諦めた気持ちを、諦めなくていいのだと教えてくれたことが、当たり前のように求めてくれることが、言う資格はないけれど、本当に嬉しかった。


次から次へと溢れ出てくる涙がこぼれ落ちてくる。さっきは恥ずかしくてみっともないと思って両手で涙を拭ったり顔を覆ったりしたけれど、今は違う。涙で滲み続ける視界の中、明藍と視線を合わせる。俺を見上げる明藍の瞳は不安げに揺れていて、俺は今自分にできる精一杯の笑みを浮かべながら、目一杯気持ちを込めていつもより少し強めに明藍を抱きしめた。


「愛しているよ、明藍。今までも、これからも…ずっとお前を大事に想っている。本当に、ありがとう」


受け入れてくれて。見捨てないでくれて。気づかせてくれて。求めてくれて。愛してくれて――ありがとう。

シルフとの邂逅から初めて明藍の目を、表情をしっかり見た。不安げだった明藍の瞳が安心したように細められていき、にっこりと俺に笑顔を向けてくれた。繋いだ手にきゅっと力が込められてまた涙が溢れてくる。本当の意味で明藍と向き合えたこの瞬間を、俺はこの先ずっと忘れない。忘れたくないって強く思った。



腕の中ですやすやと幸せそうに明藍が眠っている。その穏やかな寝顔に自然と笑みが浮かび、もう一度ぎゅっと抱きしめてから、今まで俺達を見守ってくれていたゲイルに視線を向けた。


「ゲイルも、ありがとう。いつも迷惑かけてごめん」


《迷惑をかけられた覚えはないわ。だって私が好きでやっていることだもの》


「ゲイル…」


《怯えてもいい。足を竦めてもいい。でも大切なものだけは見失わないようになさい》


「うん、うん…」


《あなたを愛する者達はいつだってあなたを見ている。あなたを支えてくれる。あなたを受け止めてくれる。だからもっと、寄りかかりなさい。拒絶ではなく、受け入れる努力をしなさい。あなたなら、できるわ》


なんてことないように言われる言葉が嬉しくて温かくてくすぐったくて、また涙が滲み出しそうになる。でも今度はそれが零れる前に拭った。

俺の目をしっかりと見ながら声で、表情で、全身で語りかけるゲイルの気持ちを心に、魂に刻みたくて俺も全身で受け止める。ゲイルは柔和な笑みを浮かべながら一度頷き、瞬く間に風となってその姿を消した。心の中でもう一度ゲイルにお礼を言い、腕の中で眠る明藍に視線を落とす。

大きな声で胸を張って俺が守ってみせる!とはまだ言えないけれど、でも言えるようにこれからもっと努力する。何があっても絶対に明藍から目を逸らさない。必ず、傍にいる。だからそれまでは不甲斐なくてみっともなくても許してほしい。

可愛くて愛おしい、俺の大切な宝物。

眠っている明藍が小さく笑った気がした。


おまけ

事態終息後のお兄ちゃんとお兄ちゃんの執事のやり取りです。

「丈成様。失礼いたします」

「スティーブ!さっきはごめん。俺」

「何をおっしゃっているのですか。私はあなた様とあなた様のご友人のためにデザートをお出しすべく戻っただけでございますよ。おや?ご友人の姿が見えませんが、もしかしてお帰りになられてしまいましたか?」

「…うん。ちょっと立ち寄っただけだからってすぐに帰ったよ」

「そうでしたか。お見送りもできず、失礼いたしました」

「せっかちな人だから、しょうがないよ。あ、今日のデザート美味しそうだね」

「料理長曰く、会心のできだそうでございます。今すぐ召し上がりますか?」

「うん、もらおうかな」

「承知いたしました。ではまずこちらをどうぞ」

「これは?」

「氷嚢をタオルで包んだものでございます。両目を閉じ、瞼の上に置いてください。冷たくて気持ちがいいと思いますので」

「…わかった、ありがとう」

「はい。では私は準備にとりかかりますので、今暫くお待ちください」

「うん。…スティーブ」

「はい」

「いつもありがとう。これからもずっと俺の執事でいてくれる?」

「当然でございます。私は一生、あなた様のお側でお仕えいたします。ここを誰にも譲る気はありませぬ」

「…ありがとう」

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