第八話

お父さん、格好いい!やっぱりやるときはやるー!

シルフの威圧感にも負けず、堂々と威厳を見せつけたお父さんは本当に頼もしくて、不穏な空気が漂っていたにもかかわらず、目を輝かせてお父さんの勇姿を見つめていた。

それなのに、何故か最後はいつも…ううん、いつも以上に情けないお父さんを見ることに。…なんてこった。

おかげで私の中で急上昇だったお父さんの株は急降下してしまい、お兄ちゃんと一緒に部屋を出る間際は冷たい視線を送ってしまった。お父さんもそれに気がついていた気がするけれど、さすがに取り繕えなかった。


「はぁ、父上にも困ったものだ。な、明藍」


全くですよ、お兄ちゃん!残念なイケメンとはまさにお父さんのことですね、うん。

眉を下げ、困り顔のまま小さく微笑んだお兄ちゃんに声を上げ、手を上に突き上げることで同意する。お兄ちゃんは何度か目を瞬かせた後、はにかんだように笑って私の頭を撫でてくれた。そしてお兄ちゃんの自室の前に到着したところで勝手に扉が開き、お兄ちゃん専属執事さんのスティーブがにこやかな笑顔で優雅に頭を下げて私達を迎えてくれた。

…一瞬幽霊?!なんて、驚いてないからね。また粗相しかけてないからね。


「丈成様、お帰りなさいませ。明藍お嬢様、いらっしゃいませ」


「ただいま。スティーブ、助かったよ。支度を整えてくれてありがとう」


「何をおっしゃいますか。丈達様が守護精霊で報せてくださったから、私が動けるのです」


ソファのすぐ側に置かれていたゆりかごの中にお兄ちゃんがそっと寝かせてくれた。どうやら私を連れてきても大丈夫なようにお兄ちゃんがスティーブに準備を頼んでいたみたい。二人とも、ありがとう!

伸ばした私の手を包み込むお兄ちゃんの手はどこまでも優しい。そんな私達の様子にスティーブは微笑を浮かべつつ、その手はお茶の準備をするためにテキパキと動かしている。

そしてソファに座りながら私と遊んでくれているお兄ちゃんの前にできたてのお茶を置いた。因みにお兄ちゃんは紅茶よりも緑茶とか日本茶が好きなのだけれど、どうしてか今は紅茶だった。

お兄ちゃんは私と遊ぶ手を一時止めて淹れ立ての紅茶を一口飲むと表情を和らげた。


「美味しい…。最近お茶の腕も上げているけれど、紅茶の淹れ方もうまくなったな」


「ありがとうございます。今日は少々お疲れのようなので味のバリエーションを楽しめる紅茶にさせていただきました」


「…そっか。スティーブには隠せないな」


「己の主の変調に気づかぬようでは専属失格ですからね。…もう一杯飲まれますか?」


「…うん。今度はミルクティーで」


「承知いたしました」


スティーブの何気ない労りの言葉にお兄ちゃんの表情が崩れた。弱々しくどこか儚さも感じられるお兄ちゃんの姿は見たことがなくてお兄ちゃんが心配で私はオロオロと視線をさ迷わせる。声をかけたり手を伸ばしたりしたいけれど、今は話を聞くべきだと。

注がれた紅茶に落とされたミルクが渦を巻いて溶けていく様子を見ながら、お兄ちゃんが口を開いた。


「明藍は神子だった。それで守護精霊にはシルフが憑くみたいだ」


「そうでしたか、お嬢様が…。とても喜ばしい、おめでたいことでございます。丈成様も同じお気持ちのはずです。それなのに、何を悩まれているのですか?何に苦しめられているのですか?」


「…スティーブには敵わないな」


「私はあなた様の執事ですから」


「…神子の偉大さは理解しているつもりだった。でも結局、何もわかっていなかった。神子が持つ力を体現する守護精霊のシルフの力は俺の予想なんか及ばないくらいに偉大だった。明藍は俺が思っていた以上の力を、手に入れている」


立て続けに落とされる爆弾は私に驚きと混乱をもたらしていくばかりで。目を見張ったり視線をさ迷わせたりとごそごそと動く私に気づいたお兄ちゃんが晴れない表情のまま、優しく私の頬を撫でる。



「愛おしくて大切な妹を守りたい。でも、こんな無力な俺に明藍を守れるのかな。父上のようにシルフと向き合うことも、母上のように信じて見守ることもできなかった。ただ明藍を抱きしめて逃げ出しそうになる足を抑えて踏ん張ることしかできなかった。こんな無力で、臆病者の俺が自分よりもずっと苦労するだろう明藍を守るって言っていいのか、わからなくなった」


「…」


「わかっている。今からそんな深刻に考えてどうするのかって。でも、あんな強大な力があるなんて思ってなかった。明藍の成長と共に表面化してくる力を前に逃げ出さない自信は、今の俺にはない。俺の身勝手な理由で明藍を切り捨てて…この子を取り返しがないくらい傷つけてしまいそうで…」


「丈成様…」


「考えすぎだってわかっている、わかっているけれど…。…傷つけたくない、守りたいだけなのに…。どうしようもなく、怖くて…!」


恐い。苦しい。辛い。悲しい。逃げる。逃げたくない。守りたい。愛している。

敏感な聴覚がお兄ちゃんの感情を余すことなく拾い上げて、私に伝える。悲痛に歪んでいくお兄ちゃんの表情、伝わる心情に胸が潰れそうになるくらいに痛んだ。でも同時に嬉しいとも思ってしまった。

転生前、家族の愛を知らなかったわけじゃない。家族は私を愛してくれた。でもそれは非日常を知らなかったからかもしれない。毎日どこかで事件は起きていたけれどそれはどこか別世界の出来事で私の日常は至って穏やかだった。でもこの世界では戦いは身近にあって、訪れる日々はいつだって非日常。その非日常の中で風野家の皆は私に穏やかな日常をくれていた。これが普通だと思わせてくれていた。それぐらい、私は大切に愛されてきた。

でも私が神子だとわかったから、その日常が変わってしまいそうになっている。私を愛しているからこそ私の力に恐怖し、自分の無力に身勝手さに悩んでいる。

溢れ出した涙がひとつ、またひとつお兄ちゃんの目からこぼれ落ちて頬をつたっていく。ぎゅっと眉根を寄せ、唇を噛みしめてもお兄ちゃんの涙は止まらない。両手で顔を覆って静かに泣きじゃくるお兄ちゃんの背中を撫でるスティーブの表情も暗い。


お兄ちゃん、怖がらないで。苦しまないで。不謹慎だけれどね、私、お兄ちゃんの悩みが嬉しいの。お兄ちゃんがとても私を愛して、想ってくれているからこその悩みだってわかっているから。お兄ちゃん、私、強くなるから。お兄ちゃんが悩まなくてもいいように、もっと世界と、皆と向き合うから。だからお願い、お兄ちゃん。私を信じて。私の力じゃなくて、私を見て。大好きなの。だから、傍にいて。離れていかないで。お願い、お兄ちゃん。


伝えたい気持ちを一生懸命声に乗せるけれどそれは当然言葉にならない。でも私の声を聞いてはっと勢いよく顔を上げたお兄ちゃんと目があう。必死に手を伸ばせばお兄ちゃんは涙を流したまま私の手を握り、抱き上げてくれる。でも表情は全然晴れなくて。むしろより一層悲しげに歪められた。


「ごめんな、明藍。不甲斐ない兄で、本当に…ごめん」


伝えたい気持ちとは逆の気持ちに捉えられてしまった。それぐらい追い詰められているのだと痛切に理解し、私もどうしたらいいのかわからなくて悲しくて困ってしまった。

言葉を話せないことが本当にもどかしい。お兄ちゃんに伝えたいことがたくさんあるのに伝えきれない。でも今伝えないと、絶対に駄目だ。私の気持ちをちゃんと伝えたい――そう強く思った瞬間、私の体が仄かに光り出していく。突然の事態にお兄ちゃんの体が強ばり、スティーブも眉を寄せて身構える。溢れ出した光が徐々に広がっていくと同時に風の力が少しずつ満ちていくのがなんとなくわかった。するとお兄ちゃんの目の前で急に風が逆巻き始め、つむじ風になったかと思えばすぐに弾けた。編み込みが施された萌黄色の髪、若緑の瞳を持つ女性が現れ、お兄ちゃんの目がみるみる大きく見開かれていく。


「ゲイル、どうして…」


お兄ちゃんの呟きにゲイルと呼ばれた女性は困ったように眉を下げたのだった。

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