番外閑話:その時まで

 

 ルトナーク王国、国王の勅命により彼が勇者の指南役に選ばれたのは、件の勇者が女神の神託によって選ばれる一月前の話だった。


「――そういうわけだ。そなたに、近いうちに現われる勇者の指南を頼みたい」


 国王は、元王国軍隊長を務めていたその男に、頼むと頭を下げた。

 しかし、当の本人は不服そうな顔をして投げやりに国王に文句を言う。


「要は、勇者のお守りをしろってことだろ? 冗談じゃねえ。なんで俺がそんな面倒なこと、しなきゃならねえんだ」


 国王の面前で、尊大な態度を取る男に、彼の背後に立っていた衛兵が声を潜める。


「たっ、隊長!? 国王陛下相手に何を言っているんですか!?」

「あのなあ、いい加減その呼び名で呼ぶな! 俺は退役したんだ」


 元部下に睨みを利かせて、彼は再び国王へと目を向ける。


「はあ、何がそんなに不満だと言うのだ。指南を引き受けてくれるのならば相応の謝礼も払うと言っているだろう」

「金の問題じゃねえ。そもそも、今回の話はハナから信用ならねえだろ」


 険しい表情のまま、男は不満を口にする。


「そもそもの話、魔王を討伐するならこの国の手練れを連れていったほうが手っ取り早い。わざわざ一から勇者なんてモンを育てるより、そっちの方が確実だ。百歩譲って何か理由があってそれが無理だってんならまだ話はわかるが……だったらそのわけを説明してくれなきゃ、俺は首を縦に振らねえぞ」


 男の意見は考えなしの文句ではなかった。彼は最善手を選んで、それを突き付けているだけだ。

 しかし、国王からは良い返事はもらえなかった。それどころか、充分な説明もなしに指南役を引き受けてくれの一点張り。

 これには男も堪忍袋の緒が切れた。


「ああ、そうかよ! 親友相手に腹のうち見せねえなら、俺だってお前の頼みなんざ願い下げだ!」


 勝手にしろ! と国王相手に暴言を吐くと、男は踵を返して去って行く。その背中を追いかける衛兵の制止も聞かず、機嫌を損ねてしまった旧友に国王ヨシュアは深い溜息を吐いた。




 ===




 ――一月後。

 男は酒場で酒を呷りながらブツブツと文句を垂れていた。


「昔はアイツも聞き分けが良い、良い子ちゃんだったんだよ。それが、国王なんてモンになった途端にああなっちまった。個人より全体を優先すべきだとか、融通の利かねえこと言いやがって」

「ぐ、グランツ隊長……? いい加減にしないと集合に遅れてしまいます!」


 カウンターに突っ伏した男の身体を揺すりながら、迎えに来た衛兵は焦りを見せる。


 本日は女神の神託を受けた勇者との顔合わせがある大事な日なのだ。それが今日であることは、彼――グランツには何遍も言ってある。

 しかし、彼はこうして当日まで渋り続け……酒場に入り浸っているのだ。


「し、仕方ない。こうなったら無理矢理にでも連れて行こう」

「そうですね。遅れてしまえば僕らが責められてしまいますから」


 苦渋の決断をした衛兵たちは、グランツをカウンターから引っぺがすと、彼の両脇を二人がかりで拘束して王城の客室まで連行する。


 客室へと着く頃にはグランツの酔いも冷めていた。

 そこで見たものは、魔王討伐の旅の仲間になる予定のエルフの老人と、ハーフエルフ女。それと、件の勇者である少年の姿だった。


 その瞬間、グランツが感じたのは勇者である少年にたいしての憐れみと、友人である国王、ヨシュアにたいしての怒りだった。




 顔合わせが済んだのち、グランツが向かったのは国王が公務を執り行う、執務室だ。

 扉を勢いよく開け放つと、兵の制止も意に介さずグランツは国王の面前へと荒々しく乗り上げる。


「おいっ! あれはどういうことだ!?」

「指南役を強行したのは悪いと思っている。しかし――」

「そうじゃねえよ。なんであんな子供が勇者なのかって聞いてんだ!」


 バンッ――と机を叩いて抗議するグランツに、国王は酷く冷静だった。


「国益のため、歴代の勇者の選定には決め事が設けられている。先代はアルディア帝国出身だ。次代は我が国からの選出となる。偏ってしまえば不平が生まれてしまう。故に、千年前にそういった取り決めが成されたのだよ」

「……まてよ、俺が聞きてえのはそういうことじゃねえ。なんで、あいつが命がけで魔王の討伐に出なきゃいけねえのかを聞いてるんだ!」


 グランツは怒っていた。それは厄介事に巻き込まれたことにではない。これから魔王討伐のために、手ずから指南することになる勇者の境遇を想ってだ。

 この一ヶ月、理由をつけて指南役を渋っていたグランツだったが、それは国王が何かしら隠し事を抱えていると見抜いていたからである。


 昔馴染みで彼の親友である自分にも、何の弁明もない。それに反発して、指南役なんて御免だと言い張っていた。

 けれど、まだ十四歳になったばかりの少年に、勇者という重い責務を押し付けるのならば、グランツも考えを改める必要がある。


 彼は粗暴で感情を隠すことのない苛烈な性格をしているが、冷徹で薄情ではないのだ。


「言えねえなら、もういい。俺の好きにさせてもらう」

「……すまない。だが、国を統治する王であるならば個人よりも優先すべきものがあるのだ」

「もっとマシな言い訳はねえのかよ。次会う時までに考えとけ。腹の底から笑ってやるよ」


 吐き捨てるように言い放つと、グランツは執務室を後にした。

 この時点で、彼の心は決まっていたのだ。


 指南役として勇者が旅立つまでの間、どんな相手でも後れを取らないように鍛え上げる。

 もちろんグランツも一ヶ月で全てを伝授できるとは考えていなかった。だからこそ、この一月の間は勇者の人となりを見極めることにした。


 この少年が何を想って、どういう考えをするのか。どんな人間なのか。それ如何によっては、今後のグランツの身の振り方も変わっていく。

 彼は当初、勇者と共に魔王討伐の旅に同行する気はなかったのだ。そういう話は一ヶ月前に打診されていたが……指南役だけに留めていた。

 しかし、現状を知ってしまったのなら、そんな薄情な真似はグランツには出来なかった。


 だからこそ、グランツはこの一ヶ月ユルグを鍛えに鍛えた。他の二人からやり過ぎだと止められても心を鬼にして稽古をつけた。ともすれば、大の大人でも根を上げるほどのスパルタだ。

 それなのに、ユルグは一度だって弱音を吐かなかった。自らに与えられた責務を果たそうと必死なのだ。


 彼にだって他に大事なものは沢山あるはずだ。それでも、まだ人生の酸いも甘いも知らない年頃の少年が、顔も知らない他人のために命を賭ける決意をしているのだ。それを見て見ぬ振りをする気概は、グランツにも……きっとカルラやエルリレオにだってなかったはずだ。


 だからこそ、魔王討伐の旅に出る一日前。

 王城で開かれた宴の席で、グランツは密かに決意を固める。


「あんたねえ、それ何本目よ」

「まだ二本目だぜ」

「相も変わらず酒浸りとは……こんな時くらいしゃきっとせんか」

「宴で飲まねえでいつ飲むんだよ」


「グランツ。これ、一番美味い酒だって」

「おっ、いいねえ。気が利くじゃねえか」


 ――この憐れな少年が、いつの日か課せられた使命を果たせるその時まで、命を賭して守ると。それが、師匠であり仲間でもあるグランツに出来る唯一のことなのだ。

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