エピローグ:心をなくした日

 

 ――十ヶ月後。



 その日、ユルグは採取した薬草をエルリレオへと届けるため、麓の街へと向かっていた。


 街中の大通りを歩いていると、不意にユルグの隣を足早に通り越していく誰かの気配。

 顔を向けると、そこには薪拾いを終えたアルベリクが、マモンと共にユルグの正面へと立ち塞がっていた。


「やっぱり、龍殺しドラゴンスレイヤーだ!」

「……その呼び方はやめろっていつも言ってるだろ」


 軽く額を小突くと、彼はえへへとはにかんだ。


「にいちゃんは街まで何しに来たの?」

「エルに薬草を届けに来たんだ」

「じゃあ、一緒に帰ろう! 俺も今から家に帰るつもりだったんだ!」


 ご機嫌な様子でアルベリクはユルグの隣に並ぶと、積もった雪を踏みならして歩き出す。

 ふとその様子を見つめて、ユルグはあることに気づいた。


「少し背が伸びたんじゃないか?」

「え!? ほんと!?」

「少し前までは俺の肩くらいしかなかっただろ」

「あっ、ほんとうだ」

『自分では中々気づかんだろうからなあ……子供の成長は早いものだ』


 足元を歩いていた黒犬のマモンがしみじみと語る。

 エルリレオとアルベリクの家へと居候して既に十ヶ月は経ったのだ。ユルグよりも彼と共に居ることが多く、マモンはやんちゃなアルベリクのお守りになっていた。

 だから人一倍、彼の成長に感じるものがあるのだろう。


「ねえ、家に戻ったら剣の稽古に付き合ってよ!」

「……お前、まだ諦めてなかったのか? 冒険者は危ないからやめておけって母親にもエルにも言われていただろ」

「でも、金持ちになってかあちゃんにもっと良い暮らしさせてやりたいんだ」

「……今でも十分だと思うけどな」


 ユルグの言葉にアルベリクは俯いて落ち込みだした。

 そんな彼を見て、ユルグは少ししてこんな提案をする。


「剣の稽古は見てやるよ。でも冒険者はやめておけ。俺が教えるのは自分の身を守る方法だけだ」

「……どうしてダメなの?」

「魔物と戦って命を取るってことは、自分も取られるってことなんだ。もしそうなったら、誰が悲しむと思う?」

「……っ、かあちゃん」

「それが分かっていれば十分だよ」


 外套のフードの上から頭を撫でると、アルベリクは途端に機嫌を持ち直した。

 さっきの落ち込みようは嘘のように消えて、笑顔になる。

 と、同時に彼はいきなりユルグを追い越して走り出した。


「マモン! どっちが先に家に帰れるか競争!」

『やれやれ……仕方ない。付き合ってやるか』


 言葉ではそう言っていても、かなり乗り気の様子でマモンはアルベリクを追いかけていった。

 一人取り残されたユルグは遠ざかっていく背中を眺めた後、荒れてきた空模様を見上げる。



 ここに身を落ち着けて、そろそろ一年が経とうとしていた。

 その間に、世界の情勢も変わりつつあった。


 まずは……ラガレットの公王がアルディア帝国へと国境を開いた。

 この決断には北方の田舎街である、メイユでも様々な噂話が飛び交っていたようだ。


 なぜ公王がこんな決断を成したのか。その裏にはアルディア帝国皇帝ジルドレイの嫡女――いや、現アルディア帝国皇帝が絡んでいるはずだ。


 というのも、数ヶ月前に先代の皇帝……ユルグの知るアルディア帝国の皇帝であるジルドレイが何者かに暗殺されて亡くなったのだ。

 その後、速やかに皇位は継がれ――現皇帝はユルグの知る人物、アリアンネとなった。


 おそらく以前言っていた彼女の根回し云々とは、この事だったのだろう。

 ラガレットの公王と掛け合って、国境を開く代わりに自治を許す。不可侵条約を締結させた。もちろん、この話は公王にとっても悪い物ではなかったはずだ。

 今までアルディアの圧力に怯えていたのが綺麗さっぱり無くなるのだから、願ったり叶ったりだろう。


 それに、アリアンネは先代のジルドレイとは真逆の思想で国を治めている。世界を統一しようなどと言う馬鹿な思惑は捨て去り、手を取り合うべきだという平和路線に切り替えたのだ。

 争いのタネが自然消滅したのだから、問題は解決かと思いきや……やはり国家間の軋轢はそう簡単には拭えないらしい。


 風の噂ではデンベルクがアルディアと睨み合っていると聞くし、近い未来に戦争勃発も無きにしも非ず。そう上手くは行かないみたいだ。



 ユルグが一番懸念しているのは、未だアリアンネの考えが読めないということ。

 皇帝を殺して皇位を継ぐ。そこまでは良い。その後に何をどうするのか。まったく読めない。何もなければ良いが……彼女のことだ、きっと何かしらの策を考えているはず。


 といっても探りに行こうにも、今ユルグがここを離れる訳にはいかない。気にはなるが直接的には何も為す術がないのだ。

 しかし、警戒だけはしておくに越したことはない。頭の隅に置いておこう。




 ===




 少し遅れてアルベリクの家へと辿り着くと、彼の母親のティルロットとエルリレオが快く迎えてくれた。


「今日もすぐ帰っちゃうの? ご飯でも食べていかない?」

「いや、ミアが待っているから気持ちだけで十分だよ」

「そう? あ、でもお茶くらいは飲んでいってくださいな」


 そう言って、ティルロットはユルグをテーブルへと着かせてお茶を淹れてくれた。

 それを頂いているとエルリレオが入れ替わりで尋ねてくる。


「ミアは元気にやっているかね?」

「うん、元気だよ」

「……しかしなあ、彼女も身重だろう? あの場所では何かあったときにすぐに対応できんし、しばらくの間こちらに移っても良いのではないか?」

「私は構わないわよ。大歓迎!」


 エルリレオの提案にティルロットは嬉しそうに頷く。

 それにはユルグも異論は無かった。あの山小屋では医者を呼ぶにも一苦労だし、落ち着くまでここで世話になった方が良いだろう。


「頼めるか?」

「任せてくださいな。明日にでも連れてきてね。準備は済ませておくから」

「ありがとう。でも俺が世話になるわけにはいかないから、ミアだけ頼むよ」

「あら? そう? 私はもう一人増えたって大丈夫だけど……龍殺しドラゴンスレイヤーさんがそう言うなら」

「その呼び方はやめてくれ……」


 うんざりとした顔をするユルグを見て、彼女は穏やかに笑みを浮かべる。


「にいちゃん! 剣の稽古に付き合って!」


 話が付いたところで、タイミング良くアルベリクが外から乱入してくる。

 薪を急いで置いてきて木剣を取ってきたのだろう。一つをユルグに突き出して、腕を引いてくる。


「アルベリク! 今日は遅いからまた今度にしなさい」

「ええー、……でも」


 母親に叱られてアルベリクはしょんぼりと肩を落とす。

 そんな彼の頭をぽんと叩くと、ユルグは椅子から立ちあがった。


「明日もまた来るからその時見てやるよ」

「ほんとう!? 絶対だよ!!」

「ああ」


 アルベリクと約束を交わして、ユルグは外に出た。

 既に日は暮れていて、闇夜の中に白い雪が舞っている。


 白む息を吐き出すと、愛しい彼女の顔を思い浮かべながらユルグは帰路を辿るのだった。




 ===




 荒れてきた天気を窓の外から眺めて、ミアはユルグの帰りを待っていた。

 既に太陽が落ちてきて、景色が淡い陽色に輝いてきた。もうそろそろ帰ってくるはずなのだが……もしかしたらエルリレオのところで世間話でもしているのかもしれない。


 最近は殆どミアに付きっきりだったから、たまにはこうして息抜きでもさせてあげなければ!


 窓際のベッドに腰掛けて、サイドテーブルに置いてあるお茶に口を付ける。

 その際、左手の薬指に嵌めた指輪がキラリと光る。


 先日ユルグに渡されたもので、まさかこんな物を用意してくれていたなんて、ミアはまったく気づかなかった。

 ミアのあまりのはしゃぎっぷりに、ユルグはたじたじであったがそれでも喜んでくれたのが嬉しかったのだろう。彼は終始笑顔のまま、左手を取って口付けをくれた。


 過日の出来事を思い出すと、どうにも顔が火照ってくる。

 少し前まではあんなこと、してくれなかったのに。慣れてきたのか、日増しに大胆になっているというか……しかし、これはこれで嬉しいのでミアは黙って受け入れているのだ。


「早く帰って来ないかなあ」


 呟いた直後、ドアの向こう側で物音がした。


 ――きっとユルグが帰ってきたんだ。

 大荒れの天気の中、戻ってきたのなら凍えているに違いない。ユルグは温度を感じないから気にする必要は無い、なんて馬鹿なことを言うけれど実際に外から帰ってくると身体は氷のように冷たいのだ。だったら温めてあげなければ!


 愛しい人の、少し困ったようにはにかんだ笑顔を思い浮かべながら、ミアはドアを開けた。

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