女神の丘

 

 買い出しを終えて店を出た所で、帰路に着こうとしていた皆をエルリレオが留めた。


「お主ら、これから何か用事でもあるのか?」

「え? 私はないけど」

「俺も、今日は訓練なしって言われたからないよ」

「どうしたんだ?」


 三人は顔を見合わせて、それからグランツがエルリレオに問い質した。

 すると彼は、せっかくのオフの日なのだから、とこんなことを言い出したのだ。


「実は、前々から行ってみたい場所があってのう。魔王討伐の旅に出るのならばそんな機会はなくなるのでな……今のうちにと思ったのだよ」

「行きたい場所?」


 カルラが尋ねると、エルリレオは子細を話す。

 彼が興味を示している場所というのは、ここ王都からそう遠くない場所にある、女神の丘と呼ばれる丘陵だという。


 初めて聞くそれに、ユルグはそれが何なのか皆目見当も付かなかった。それはカルラも同じらしい。

 唯一、それを聞いて反応を示したのはグランツだった。


「じいさん、あんな場所に行きてえの?」

「うむ。儂の専門は魔法研究なのでな。そのついでに女神についても調べておるのだ。女神の丘なんぞ、大層な名が付いている場所ならば尚更行ってみなければならんじゃろう」

「期待してるところわりいけど、あそこ本当に何もねえぞ。ただの丘があるだけだ」


 グランツはつまらなそうに、件の女神の丘とやらについて説明してくれた。

 曰く――一帯は荒れ地同然で、その中心に小高い丘があるのだという。


「だから、面白いもんなんて何もねえ」

「ふむ……だが、せっかくだ。自分の目で見ても罰は当たらんだろう」

「俺も暇だから着いていくよ」

「じゃあ私も一緒に行こうかな。何もないって言われると逆に気になっちゃう」


 盛り上がっている三人を置いて、グランツは乗り気ではないらしい。彼は散々渋った挙げ句、例の場所への案内を拒絶した。


「行くなら勝手に行ってこい。俺は御免だ。酒呑んでる方が有意義に過ごせるってなもんだ」

「アンタはそればっかりなんだから」


 カルラの小言にグランツは手を振ってあしらった。

 せっかく皆で行けると思っていたのに、と少しだけ残念に思っていると、そんなユルグを励ますようにカルラが背中を押して歩き出す。


「あんな男は放っておいていきましょ」

「無理に連れて行くものでもなし。脳筋男がいたところで何にもならんしな」


 特に気にも留めない二人に後押しされて、ユルグは少し迷ったのち、彼らと共に行くことにした。



 女神の丘へ向かう道中――


「さっき、魔法の研究してるって言ったけど」

「うん?」

「どんなこと調べてるの?」


 ふと、気になった事を聞いてみると、エルリレオは少し思案した後、話してくれた。


「ふむ、そうさなあ。ユルグは魔法についてどう思っている?」


 何でも良いから答えて、とエルリレオは言った。

 彼の質問は漠然としたもので捉え所がない。しかし、何でもいいとエルリレオは言うのだ。それにユルグは素直に答えることにした。


「とても便利なものだと思う。魔法が使えればたいまつもいらないし、火起こしだって楽になるからね。あと、魔物だって倒せる。俺はまだ戦ったこと、ないけど」


 初々しい回答に、それを聞いていたカルラはおかしそうに笑みを零す。それに少しだけ恥ずかしさを感じていると、


「当たり前のように使っているが、実はまだまだ謎だらけな代物なのだよ」


 そう言って、エルリレオは一度足を止めてユルグへと向き直った。


「魔法を扱えるようになるには条件があることは知っているな?」

「神託ってやつ?」

「うむ。それについては様々な呼び名がある。神託や加護とも……千差万別だ。だが、決まってそれが与えられなければ魔法の習得は出来ないのだよ」


 おかしいと思わないか、とエルリレオは疑問を投げかける。


「……なにが?」

「なにがしかが付与されて魔法が扱えるのならば、元々儂らには魔法を扱う能力が備わっていないことになる」

「……ああ、なるほどねえ」

「ゆえに、女神と儂らはまったくの別の存在であると言えるな」


 エルリレオの発言に、カルラはぽんと手を叩いた。

 しかし、ユルグには師匠が当たり前のことを言っているだけにしか聞こえない。何も特別なことなんてないように思える。


「えっ、それ当たり前のことじゃないの? 神様と人が同じなわけないよ」

「まあ、そうなのだが。断じてしまうには些か不思議な伝承も残っているのだよ」


 そう言って、エルリレオはこれまでの研究成果を説明してくれた。


 ユルグの祖国であるルトナーク王国には、他国よりも女神にまつわる伝承が数多くあるのだという。女神の丘然り、その中でも異質なのが「女神は元々、人間だった」というものだ。


 どうしてそんな伝承が残っているのか不明であるが、もしそれが事実だとするのならば……元を正せば女神と定命は同じであることになる。

 とはいえ、確たる証拠もなし。エルリレオだってそれを信じているわけではない。


「魔法もそうだが、女神についても未だに謎が多いのだ。遙か昔に実在した人物であるとも、まったく別の次元から来た使者だというものもある」

「話だけ聞くと胡散臭いわね」

「うむ。だが、現に魔法を扱える者とそうでない者がいる限り、女神の存在は証明されているのだよ」


 エルリレオの考察にユルグも同感だと頷く。

 勇者となる前は、ユルグも魔法なんて一つも使えなかったのだ。扱うスキルがないとか、そんな単純な話ではない。初めからそういう風に作られていない。だから、どんなに頑張ってもどうにもならないのだ。


 そう考えると、エルリレオが話してくれた仮説が信憑性を増してくる。

 そもそも、人によって扱える魔法に限度があることだっておかしい。魔法という一括りの力を与えられたのならば、そこに差異は生じないはずだ。

 しかし、魔術師、神官、勇者。そういった者が存在する。


 不可思議な事象に、女神という存在は好都合なのだ。

 超常の存在から力を与えられたから、能力に違いがある。そう考えるとこの事象は容易に説明がつく。


 今では当たり前とされていることに、エルリレオは疑問を抱いた。だからこそ、彼は謎を解明するために魔法の研究に勤しんでいるのだ。




 ===




「その後、例の場所に行って見てきたんだが……気になるものは何もなかった。エルも拍子抜けしていたよ」


 そこで話を区切ったユルグは、冷めてしまったお茶を啜る。

 そもそも、あのエルリレオがこれまで方々をまわって研究してきたのだ。今更ここでああだこうだ言っても、気づきが得られるはずもなし。

 マモンも特に気になる部分もなかったのだろう。話を終えても何も言及してこないのなら、そういうことだ。


「いいなあ」


 不意にミアがぽつりと零した。彼女はユルグの視線に気づくと、はにかんで答える。


「私ね、あなたが村を出て行ってから、寂しい思いしてないか心配してたのよ。でも、皆いい人で楽しそうなんだもん」


 私も会ってみたかったな、とミアは残念そうに呟いた。直後、彼女は慌ててユルグへと弁明する。


「あっ、べつにユルグのこと責めてるわけじゃないからね」

「わかってるよ」


 気遣いに笑むと、それに安堵したミアは矢継ぎ早に――


「ねえ、今のって旅に出る前の話だよね?」

「ん? うん」

「じゃあ、他にも私が知らない事が沢山あったってことでしょ?」


 物語をせがむ子供のように、ミアはユルグに思い出話をせがんだ。それに内心、気まずさを感じてユルグは言い淀む。

 というのも、仲間たちとの旅は良い事ばかりではなかったのだ。むしろ未熟なユルグが足を引っ張ることの方が多かった。


 ミアは完全無欠の冒険譚を期待しているのだろう。しかし、ありのままを話すのならば期待に応えられないのは明白である。


「うっ……つ、続きはまた今度にしよう」

「ええーっ!? そんなあ」

「ほら、楽しみは最後まで取っておくものだろ?」


 それらしい言い訳を並べてなんとか煙に巻く。

 けれど、時間稼ぎも虚しく。後日、ミアの好奇心に詰め寄られたユルグは、洗いざらい吐くことになるのだった。

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