新米勇者の忙しい日々 1

 その日、女神の神託を受けたユルグは勇者として、生まれ育った村を旅立った。

 幼馴染みのミアにさよならを告げて、彼が最初に向かったのは祖国であるルトナーク王国の王都、カーディナである。


 魔王討伐の旅に出る前に、必要最低限の準備をしてもらうということだった。それが済んだら、国王にお目通りをして魔王討伐に旅立ってもらう。そういう手筈になるのだという。

 ユルグには一月の間、色々なことを学んでもらうのだと、王都まで連れてきてくれた兵士に告げられ、ユルグが辿り着いたのは王城のとある一室。

 この部屋で待っていろと言いつけて兵士は部屋を出て行った。


 田舎育ちの少年には、ここ王都は見慣れないものでいっぱいだった。街の景色、人の多さ。立派な王城……どれをとっても初めて見るものばかり。

 ここにミアが居たのなら、楽しそうにはしゃいでいることだろう。彼女に付き合わされてユルグも王都中を走り回っていたかもしれない。


 そんな妄想をしながら、いつか勇者として責務を全うできたのならミアと一緒に観光にでも来ようと心に決める。きっと喜んでくれるはずだ。



 室内にあるソファに腰をおろして、キョロキョロと部屋の中を落ち着き無く見渡していると、扉が開いた。

 兵士に連れられて現われたのは、豊かな髭をたたえた老齢のエルフ。仏頂面をした琥珀色の瞳のハーフエルフ。それと――酒臭い、赤髪の中年男だった。


 ユルグの面前に現われた三人について、兵士は勇者の旅に同行する仲間であると言った。彼らと共に世界中を旅するのだ。


 背筋を伸ばして居住まいを正したユルグに、老齢のエルフ――エルリレオは、その初々しさに穏やかな笑みを零した。


「なあに、そんなに緊張せずとも楽にしなさい」

「う……はい」


 萎縮しているユルグに、エルリレオは室内に備えてあった茶器諸々を用いて、お茶を淹れてくれた。

 人数分の茶を用意してくれている間に、エルリレオの次にユルグへと声を掛けてくれたのは、不機嫌そうな顔をするハーフエルフの女……カルラだった。


「よろしく」

「っ、よろしくおねがいします」


 彼女は虫の居所が悪いのか。低い声でユルグへと挨拶をする。それに礼儀正しく返事をすると、それが気に障ったのか何なのか。カルラは小さく舌打ちを零した。


「あのねえ、アンタねえ」

「ひっ、……なに」


 ぎろりと鋭い眼光が向けられた気がして、ユルグは身を竦ませる。

 すると、唐突にカルラはそうじゃないとかぶりを振った。


「ああ、別にあなたに言ったわけじゃなくて……こいつよコイツ!!」


 ビシッと人差し指を立てて指差したのは、彼女の隣に座っている中年男――グランツだった。

 カルラがどうしてそこまで彼に目くじらを立てているのか……その理由はユルグにもすぐに察しがついた。


「大事な顔合わせの時に、酒飲んでくるとか馬鹿じゃないの!? なに考えてんのよ!」

「うっ、うるせぇよ。耳元で叫ばなくても聞こえてるっての」


 酒臭い息を吐き出して、グランツは顔を顰める。

 ユルグの眼差しなど意に介さずに、彼はグチグチと言い訳を始めた。


「仕方ねえだろ。急だったんだから。俺は今日オフの日だったんだ。だもんで、昼間から酒飲んでたらよ、急に兵士どもに連行されて気づいたら田舎臭いガキの前に連れてこられちまった」

「アンタは酒臭いのよ!!」

「あだっ、杖で叩くなよ!」


 手に持っていた木杖を振るいながら「信じられない!!」と絶叫するカルラの意見に、ユルグも心のなかで賛同する。エルリレオも茶を淹れながら小さく頷いていた。


 ユルグのみならず、三人もそれぞれ初対面である。

 旅の仲間となる皆の人となりを知るには絶好の機会であるのだが……グランツのせいで台無しになりつつあった。


 ぎゃあぎゃあと喚く二人を遠巻きに眺めながら、茶を淹れ終わったエルリレオが二人の間に割って入った。


「お主ら、ちぃとばかし静かにできんのか?」


 困っているだろう、とエルリレオはユルグを指差すと二人を窘める。そこでやっと皆の視線が一箇所に集まった。


「あのおっさんの話だと、勇者と一緒に魔王討伐の旅に出ろってことだろ?」

「おっさんって誰のことよ」

「ヨシュアのおっさんだよ」

「おっさんじゃなくてそれ国王様のことでしょ!? あんた、不敬って言葉しってる!?」


 エルリレオの一喝もなんのその。二人はまた性懲りも無く騒ぎ始めた。ここまで来ると、エルリレオもいい加減何を言っても無駄だということに気づき始めたらしい。


「はあ、こんな様子ではこの先が思いやられるのう」

「そうだね……」


 溜息交じりに愚痴をこぼして、彼は豊かな髭を撫で付けると他の二人を置き去りにして、ユルグに説明をしてくれた。


「話は聞いていると思うが、魔王討伐の旅に出る前にお主には色々な事を覚えてもらわねばならんのだよ」

「うん」

「それらの指導を行うのが儂らになる」


 エルリレオからは一般常識や教養。あと魔法についても教えてくれるとのことだった。

 カルラは魔術師らしく、攻撃魔法と長旅をするにあたっての基礎知識。各地を転々としているから、経験値ではエルリレオの持つ知識よりも役立つのだと胸を張って自慢していた。


 そして、最後にグランツ。彼からは魔法以外の戦闘訓練を手ずから教えてくれる運びとなった。


「お主のようなロクデナシ男が師匠とは、ユルグもツイてないのう」


 可哀想に、とエルリレオは憐れみを向けてくる。カルラも同意見らしい。と、くれば……ユルグも多少は不安を抱いても仕方ないというものだ。


「お前ら、好き勝手言ってくれるじゃねえか」

「だって本当のことじゃない」

「確かに人に教えたことはねえよ。でもな、実力は国一番だ。わかるか? 一流ってやつだ」


 ふふん、と鼻を鳴らして自慢げに言うグランツを見て、ユルグはどうしてもそれを信じられなかった。

 漠然とした不安を抱えていると、それを拭うようにエルリレオがグランツの発言に同意を示す。


「こやつの腕は確かだと、儂も聞いたことがある。元王国軍の隊長をしていたとか」

「へえ、すごいじゃない。でもなんで辞めたの? 将来安泰、困る事なんてないのに」

「へっ、俺は誰にも縛られずに自由に生きたいんだ。あんな規則ばっかりの窮屈な場所にいられるかよ」


 グランツは地位や出世には興味がないらしい。彼の欲求は俗世的なもので満たされているのだ。

 世間一般にこれをクズとかロクデナシとか言うのだと、後でエルリレオが教えてくれた。


 とはいえ、グランツの実力は嘘偽り無く誰もが目を見張るものだった。彼に師事するのなら子供だって余裕で大人を負かせる。

 その代わりに、彼の戦闘訓練は超絶スパルタだった。


 稽古試合をしたのならば、それが終わる頃には決まってユルグはボコボコにされていた。しかもグランツは容赦が無い。

 子供だからといって一つも手を抜かない。ひとたび転べば間髪入れずに追撃で蹴りをいれてくるし、武器を弾かれて素手になったからと言って攻撃の手を緩めはしない。

 グランツとの稽古では降参というものがない。開始されれば気絶するか、立てなくなるまで徹底的に叩きのめされるのだ。


 それを見かねて、エルリレオが何度止めに入ってくれたことか。一度や二度ではない。それでもグランツは手加減することはなかった。



 ――いま思い起こせば魔王討伐の旅路の中で一番キツかったのはグランツとの稽古だったと、ユルグは語りながら顔を顰めた。


 グランツのスパルタ訓練のおかげで今のユルグがあるわけだから、一概に非難は出来ない。それでもあの一ヶ月間の訓練は本当に地獄だったのだ。

 そもそも、たった一月で勇者として旅に出ろというのは誰が聞いても無謀だと言うだろう。それをなんとか叶えようと、グランツなりにあんな強行に出たのだ。


 彼は粗暴な所が目立つ男だったが、面倒見は良かった。

 勇者の魔王討伐の旅に同行するなど、グランツならにべもなく断るはずだ。それなのに、彼はユルグの訓練にひとつも文句を言わずに付き合ってくれたのだ。


 しかし、彼の問題行動には皆が悩まされていた。良い所を差し引いたって、差し引きゼロになれば良い方。

 エルリレオは静観していたけれど、カルラは魔王討伐が終わったら金輪際一緒に旅をすることはない、と口論の度に何度も罵倒していた。


 最初はユルグもグランツのことを庇っていたが、最終的にエルリレオと同じ立ち位置になったのだから、慣れというのは恐ろしいものだ。

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