――手を焼くな

 

 用事が済んだユルグは、小屋で留守番をしているミアの元へ戻ることにした。

 街で土産を買って行きたかったが、なにぶん急な呼び出しだったのだ。金を持ってきていない。

 仕方ないなと諦めて、踵を返そうとするが……ふとあることが脳裏に浮かんだ。


「マモン」

『うん?』

「お前、女神の丘を知っているか?」


 突然のユルグの問いかけに、マモンは小首を傾げた。しばらく考えた後、彼は頭を横に振る。


『いいや。何なのだ、それは』

「大仰な名前がついている割には、珍しいものは何も無いただの丘だよ」

『……ふむ?』


 ユルグの話は二千年生きてきたマモンでも知らないものだった。

 意外と思われるかもしれないが、彼だって何でも知っているわけではない。世界の隅々まで網羅している賢者ではないのだ。

 事実、エルリレオと比べるとマモンはただのご長寿の怪物だ。


「昔、エルに話を聞いたのを思い出したんだ。何かのヒントになるかもしれない」


 本当ならばエルリレオに直接話を聞いた方が良いのだが、彼は石版の翻訳作業で忙しいだろう。今は推察の段階だし、情報の精査は後でするべきだ。


『であれば、このまま立ち話というのもなんだろう。ミアの元に戻るのだろう? 己も着いていこう』


 足元を着いてくるマモンと共に山小屋へ戻ると、薪拾いから戻ってきたミアと鉢合わせた。


「おかえり。もういいの?」

「うん、ただいま」


 彼女が抱えている薪を持ってやると、暖かな室内に入る。それと一緒にユルグの後ろを着いてきていたマモンにミアが気づいた。


「マモンも一緒に来たんだ」

『うむ、少し厄介になるよ』

「どうぞどうぞ。好きなだけお邪魔していってね」


 上機嫌なミアは、お茶を淹れてテーブルに着いた。

 隣の椅子の上いたマモンをひょいっと持ち上げて抱きしめると、ごわごわの毛並みに顔を埋める。


『な、なにをしているのだ?』

「なんだかこれ、落ち着くのよ。たぶんねえ、私が風邪引いてた時、マモン冷たいから。ずっと抱きしめてたでしょう? それのせいかな」

『う、うむ。そうか……』


 ミアに抱きしめられているマモンはなぜか居たたまれない様子である。そわそわと落ち着かない。

 どうしたのだろうと不思議がっていると、前方から視線を感じてミアは顔を上げた。


 ミアとマモンの対面にはいつの間にかユルグが座っていた。

 その彼が、何か文句でもあるのか。じっと見つめてくるものだから、マモンはこんな有様なのだ。


「どうしたの?」

「いや、なんでもない」


 そう言ってユルグは淹れたての熱いお茶を啜る。

 火傷するからそれはやめてと昨日言ったばかりなのに。どうやら無意識の行動らしい。

 それに文句を言おうとしたミアは、ふとあることに気がついた。


 ユルグがこんな初歩的なミスを犯すことはまずない。ミアに気を遣って今まで色々隠してきたのだ。隠蔽工作には抜かりないはず。それが目の前でこんなことをするだろうか?

 どうにも心ここに在らずというか……なんでもない、なんて嘘だ。


「ううん? なんだろう」


 小声で呟いてミアは思案する。

 ユルグが何をそんなに気にしているのか。皆目見当も付かないのだ。難しい顔をして黙り込んでいると、そんなミアを置いてユルグが口を開く。


「お前、いつまでそこにいるんだ」


 マモンに向けた言葉はやけに刺々しいものだった。それにマモンは元よりミアも揃って目を円くして瞠目する。


「ちょっと、どうしたのよ」

『いつまでと言われても……ミアが離してくれなければずっとこのままになるな』


 これに関してはマモンの言う通りだ。そもそも彼をこうして抱きしめているのはミアの仕業なのだ。マモンに目くじらを立てるのは間違っている。

 それを指摘すると、ユルグは反論もなしに言葉に詰まった。


「いいから、離れてくれ」

「別に少しくらい良いじゃない」

「お、……俺がいやなんだよ」


 絞り出すような声音に、そこでようやくミアは何が起きたのか理解出来た。


「なあんだ。ただのやきもちじゃない」


 やれやれと首を振って、ミアは抱きしめていたマモンを椅子の上に置いた。

 図星だったのだろう。ユルグはそれに何も言わずに、誤魔化すようにお茶を一気飲みする。


『何なのだ、いったい』

「ユルグは私とマモンが仲良しなのが気に入らないのよ」

『ううむ……それは以前からではないか?』

「今は特にってこと!」


 説明するがマモンはいまいちよく分かっていなかった。不思議そうに首を傾げると、二人を交互に見遣る。


「私があなた以外に目移りするわけないじゃない。どこにだって行かないし、目を離すと無茶な事ばっかりするんだから。そんな人の傍から離れられるわけないでしょ?」

「ご、ごめん……」


 しょんぼりと肩を落としたユルグは素直に謝った。

 どうしていきなり自分が説教されているのか。わからないが、色々と迷惑をかけているのは自覚しているのだ。

 謝意を述べると、ミアは「手がかかるんだから」と笑顔で文句を言う。どうやら怒っているわけでは無さそうだ。


 それにほっと胸を撫で下ろしていると、一連の出来事を眺めていたマモンがごほんと咳払いをした。


『仲が良いのはいいことだが……そろそろ本題に入ってくれぬか?』


 フリフリと尻尾を振ってマモンは宣言する。

 何をするでもないだろうとユルグが思っていると、ミアも同じ思いだったのだろう。


「何か用事があるの?」

『昼過ぎからアルベリクのおつかいの手伝いを頼まれている。なにぶん、居候の身なのでな』


 どういうわけか、マモンはアルベリクに懐かれているのだ。度々一緒に居るところを目撃しているし、子供の遊び相手になっているのだろう。


 そういう事情ならばユルグも願ったりだ。さっさと厄介者には退場してもらって、ミアと二人でゆっくり過ごしたいと思っていたところだ。


「席外した方がいい?」


 大事な話なら、とミアが気を利かせてくれた。

 とはいえ、この間打ち明けたばかりだ。聞かれてマズいことなどない。


「いいや、大丈夫」

「そっか。それで、何の話をするの?」


 尋ねられて、ユルグは少し悩みあぐねる。

 例の女神の丘については、昔エルリレオに聞いたものだ。だから必然的に――


「昔話かな。俺が村を出て旅を始めたころの」

「それ、初めて聞くやつ!?」

「ああ……うん。今まで誰にも話したことないかもしれない」


 それにミアは人一倍興奮していた。

 というのも、ユルグの冒険の話を聞くのがミアは好きなのだ。彼が仲間と共に旅をしていた時だって……たまにしか村に戻ってこなかったけれど、その度に話してくれる冒険譚にミアは心躍らせたものだ。


 なんたって小さな村にいては一生体験できないようなことを、おもしろおかしく話してくれるのだ。

 あの時はよく土産話をせがんだものだ。もちろん今も、そういった話はどんな物語よりも刺激的で、ミアの心を掴んで離さない。


 ユルグの話を聞いた途端、ミアは瞳を輝かせた。

 昔と変わらない姿に苦笑して、ユルグは昔話を始める。

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