気高き魂

「そのひと、どこにいるの!?」

「……っ、待って。待ちなさい! 何をそんなに慌てているか知らないけど、先に私の仕事を済ませてからにしてくれる?」

「んっ……仕事?」


 肩を掴んでいたフィノの手を振りほどいて、彼女は倒れたケイヴベアへと近付く。

 ピクリとも動かないそれは、気絶しているようだ。ただ矢を射ただけのはずだけど……もしかしてあれに毒でも仕込んでいたのか。

 薬草学の知識を習得したフィノには、それが不可能でないことは自ずと知れていた。


「そうだ。助けたんだから、あなたも手伝ってくれても良いんじゃない?」

「いいよ。なにするの?」

「まず、息の根を止めてから……肉に毒が回らないように矢を抜いて、それから毛皮を剥ぐ。それが済んだら肉を解体して……この大きさだから、かなり掛かるだろうね」


 品定めをしながら彼女は倒れたケイヴベアの体躯へと登っていく。そうして頭上へと足を掛けると短刀を抜いて、刀身に赤い魔鉱石を打ち付けた。

 途端に、刀身は煌々と赤みを帯びる。あれは武器へのエンチャントと同じ原理だ。ある程度魔力を有していないと出来ないと思っていたが、彼女は何の苦労もなくやってのけた。


 それに驚いていると、焼けた刀身をケイヴベアの頭に突き刺す。

 脳に損傷を与えて息の根を止めると、短刀は元の状態に戻った。今のエンチャントもどきの持続時間は二十秒程度。どうやら長期使用出来る方法ではなさそうだ。


 見とれていると、彼女は体躯の上から飛び降りると前足に刺さっていた矢を、周りの肉ごと抉って捨てる。

 そこまでして、ふう、と息を吐いて額を拭った。


「あなた、獲物の解体は出来る?」

「うん、できるよ」

「それじゃあ、反対側お願いね。こういうのは鮮度が命だから、ぱぱっと済ませちゃいましょう」

「うん」


 成り行きで手伝うことになったけれど、彼女の手際も相当なものだ。

 おそらく魔物や動物を狩って生計を立てている狩人なのだろう。


「そういえば名乗ってなかったわね。私はライエ」

「フィノだよ」


 死骸の反対側で聞こえてくる声に応えて、手を動かす。


「ライエはここで狩りしてるの?」

「ええ、山の麓で狩人をしてる。ここは私の狩り場で、たまにこうして獲物を狩りにくるってわけ」

「へえぇ」


 とはいえ、ライエの話は今ひとつ疑問の残るものだった。

 地図を見てもここからアルディアの帝都ゴルガまで、道中に街はない。狩った獲物を売りに行くとしても帝都まで行かなければならないし不便である。


 訝しむフィノだったが、解体が終わり彼女の隠れていた顔を見たらその疑問はすぐに解けてしまった。


「う……それ」


 ライエは金髪のハーフエルフだった。

 けれど彼女の瞳を隠すように、右目が焼け爛れている。


 彼女の容姿を見てしまって、口籠もったフィノにライエは慣れたように微笑んだ。


「ああ、見ちゃったか。これね、子供の頃に焼かれたんだ」


 彼女の告げた真実は、他者に意図的にやられたという胸クソの悪いものだった。

 けれど、それをライエは気にする素振りもなく続ける。


「本当は片目だけじゃなく、両目を焼くつもりだったんだろうね。でも寸前で止められて、私はこうして人目につかないように暮らしてるってわけ」

「ど、どうしてそんなこと」


 例え奴隷であっても、そんな仕打ちはするものではない。傷物になると買い手もつかなくなるし、損を被るからだ。

 手を止めて尋ねると、ライエは少しだけ昔話をしてくれた。


 彼女の父親が帝国内でも名のあるエルフの貴族で、ある時使用人の人間との間に子を成してしまった。しかもそれが正妻を差し置いての懐妊だったため、さらに話は拗れて――


「ハーフエルフといっても目の色が分からなければバレないって考えたみたいでね。本当、ろくな事しかしないクソ野郎だよ」

「……そうだったんだ」


 嫌な話をさせてしまった。その事を謝ろうと口を開こうとすれば、彼女はフィノの落ち込んだ顔を見て笑い出した。


「そんな死にそうな顔なんかするもんじゃないよ。私は気にしていないし、自分から話したことなんだから」

「う……、なんでフィノに話してくれたの?」


 ライエとはたったいま会ったばかりの初対面。そんな人物にペラペラと自分の事を話すのは少しおかしい、なんてことはフィノにだって分かることだ。


「同胞に会うのは本当に久しぶりなんだ。だからかな」

「……同胞」


 彼女の言葉に、フィノは複雑な思いになる。


 ライエのような苦労をフィノは体験していない。昔は奴隷であったが、ユルグと出会ってからは何の不自由もなかったのだ。それは彼が傍に居てくれたからに他ならない。

 フィノがどうしても着いていくと我儘を言い続けたからではあるが……本当に出会った頃は、ユルグはフィノを奴隷商に売りつけてお別れしようとしていた。

 売られなかった後もほっぽり出したりはせずに、なんだかんだで面倒を見てくれた。恩返しをしろなんていう条件付きだったが……だから、本当にフィノはハーフエルフであるからといって彼らが受けるような差別や迫害とは無縁に生きてこられたのだ。


「フィノは、ライエみたいに……みんなみたいに嫌な事されなかった。だから」

「――どうしてそんな顔をするの」


 足元を見つめていると、フィノの傍にいつの間にかライエが立っていた。

 彼女は少しだけ怒ったような声音で、フィノに詰め寄る。


「あなたの傍にはちゃんと守ってくれる人が居た。それはとても良いことでしょう? 何も引け目を感じる事なんてないわよ。それに他人の幸福に目くじら立てて羨むなんて馬鹿みたいなこと、私はしないからね」


 ――そこ、勘違いしないで。


 腕を組んで仁王立ちする彼女の言葉に、フィノは黙って頷く。

 すると、途端にライエは笑顔になってフィノの頭を乱暴に撫でた。


「さっ、解体も終わったし早く運んでしまいましょう。それから少し休んで……あなたの話を聞いてあげる」


 菖蒲あやめ色の片目でウインクをして、ライエは柔和に告げるのだった。

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