雪山の狩人

 シュネー山を越えてアルディア帝国へと入るには一度頂上まで登って、そこから下山する必要がある。

 もちろん正規のルートでは無い為、道も険しくここから国境を越えようといえば、自殺願望があるのかといわれるほどだ。


 そして、今の時期の雪山は油断ならない敵が潜んでいる。


「ブオオオオオォォオオオォ!!!」


 背後から迫ってくる雄叫びに、フィノは雪の積もった斜面を駆け下りていた。


「んぅ、しつこい!!」


 彼女を追いかけているものは、洞穴熊――ケイヴベアである。


 一度対峙したことのある魔物だが、この時期の彼は恐ろしく凶暴なのだ。彼らは冬場に冬眠する生態が無い。だから外に出て狩りをする必要があるのだが……冬は獲物の数が減る。その為、何日も食べられない日が続いて、いつも空腹状態である。

 体躯が大きいから餓死はしないが、ひとたび獲物を見つければ地の果てまで追いかけてくるのだ。


 しかも今しがたフィノを追いかけてきているこれは、以前倒したものよりも巨体である。

 ドシンドシンと足音を響かせて追ってくるケイヴベアに、先に痺れを切らしたのはフィノだった。


「追ってくる、なっ!」


 斜面を駆け下りながら剣を抜くと、そこに風魔法をエンチャント。

 風の刃を纏わせたそれを巨木の幹に横薙ぎに振るい、蹴り上げると倒された巨木を背後に残して、フィノはさらに走る。


 これで足止めは出来たはずだ。でも――


「うえぇ、やっぱり!」


 ケイヴベアは倒れた巨木をはじき飛ばして尚もフィノを追ってきた。

 そもそも追いかけてきていた時も生えている木を悉く押しつぶして向かってきたのだ。あんなものでは足止めにもならない。


 しかし、このままいつまでも追いかけっこをするわけにはいかない。

 覚悟を決めて、魔物と対峙しようとフィノが足を止めた。その瞬間――


「横に飛んでっ!」


 突如、背後から誰かの声が聞こえてきた。

 それに振り返って確認する前に、フィノは指示通りに地面を蹴って飛ぶ。


 すると、ちょうどフィノの真後ろ。そこに向かってくるケイヴベアの正面を取るようにして、誰かが立っていた。


 謎の人物は腕と肩で支えたクロスボウの照準を、眼前の魔物へと合わせる。

 そして気圧されることなく、射られた矢はケイヴベアの前足に命中した。


 しかし、あんなもので倒せるわけがない。あんな巨体にはかすり傷にもならないはず。

 そう思って、下げていた剣先を上げたフィノの面前では……獲物を追いかけていたケイヴベアが、まるで足が縺れたかのように転げたのだ。


 傾斜もあり、その回転はすぐには止まらない。フィノを追い越してゴロゴロと球を転がすように落下すると、進行方向にあった岩にぶつかってやっとの事で止まった。


「いまの……なんだろ」


 呆然として、目の前で起こった状況に追いつけないでいると件の人物がフィノへと近付いてくる。


「大丈夫?」

「う、うん。ありがとう」


 獣の毛皮を外套代わりに着込んでいるその人物は、女性だった。顔が見えないが声音が少し高いので、フィノはそう断じることにした。


「どうやら怪我はないみたいね」

「追いかけられてただけだから」

「それなら良かった。この時期はみんな気が立っているからね。一度目を付けられると、どこまでも追いかけてくるの」


 ――大変だったね。


 そう言った彼女は、そそくさとケイヴベアの元へ向かう。


「……どうしてこんな場所にいるの?」

「それはこっちの台詞。あなたこそ、山を越えて国境越えなんて自殺行為だよ」

「うっ、……ごめんなさい」


 叱られてしょんぼりと肩を落としたフィノに、彼女は口元を緩めた。


「まあ、あなたみたいな自殺願望者は二人目だから、もう慣れたもんだけど」

「二人目?」

「うん、数日前かな。同じように独りで山を越えようとしていた人がいてね。狩りで外に出ていた時に偶然見つけて保護したんだけど」

「――っ、それ!」


 いきなり大声を上げたフィノに、彼女は驚いたように肩を揺らした。

 けれどそれに構うことなく、フィノは両肩を掴んで詰め寄る。


「それ! 男の人じゃなかった!?」

「う、うん……そうだけど。なに? もしかして知り合いだったの?」

「……っ、やっぱり、ユルグもここ通ってたんだ!」


 向けられる怪訝な気配に気づくことなく、フィノは一人で頷く。


 もし、ラガレットの公王を殺したのがユルグで、その後にまだ何かしらの目的があって戻ってこないのならば、きっとラガレット国内にはいないはず。

 となれば移動時間はどうしても短縮したい、そう考える。


 フィノを助けてくれた彼女の証言では、数日前に保護したという彼はユルグである可能性は高いはずだ。

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