身勝手な押し付け

 エルリレオが街で暮らしたら良いと話を持ちかけた、次の日の早朝。

 まっしろな朝靄が立ち込める時間帯に、突然ユルグが訪ねてきたのだ。


 朝早くから薬の仕込みをしていたエルリレオが出ると、彼は全身血まみれの状態で玄関先に突っ立っていた。

 誰の物かも分からない血飛沫を浴びて、怪我をしているのか。身体から血を流しながら、エルリレオにあるものを押し付けてきた。


「……これは?」

「ヨエルだ」


 ――この子を頼む。


 それだけを言い残して、ユルグは踵を返した。


「――っ、まて! どういうことか説明せんか!」


 腕を掴んで引き止めると、意外なほどにあっさりとユルグはそれに従った。

 けれど、口を噤んだまま。何も話さない。


 椅子に座らせると、エルリレオはとりあえず彼の傷の手当てをすることにした。


「何があった?」


 左目に雑に巻かれている布きれを取ると、そこにはあるはずの目玉が存在しなかった。刃物で突かれたのか。潰れた左目に、清潔な包帯を巻いて簡易的な止血をする。

 それから、一番傷が深い右腕。まるで剣撃を腕で受け止めたかのように、裂傷が肉を抉って骨を覗かせている。目を覆いたくなるような大怪我にエルリレオは息を呑んで縫合糸で縫い合わせていく。


 弟子の様子をまじまじと観察しても、彼にしては不自然な怪我であることは一目瞭然だった。

 グランツに滅法しごかれたユルグならば、相手が人間でも遅れを取ることは無いはず。ましてや、こんな……捨て身で突っ込んだかのような怪我を負うなど、そんな戦い方をする弟子ではないことは師匠であるエルリレオにはすぐに分かった。


 師匠の心配を余所に……痛みに眉一つ動かさずに、ユルグは死人のように生気の抜けた声で呟いた。


「……話したくない」


 ユルグは掠れた声でそれだけを言う。


「ミアはどうした?」

「……エルなら聞かなくても分かるだろ」


 ユルグの指摘にエルリレオは言葉に詰まった。彼の言う通り、この状況を見れば予測は出来る。けれど、認めたくない事実だ。


「――っ、馬鹿な事を言うな! そっ……そんなことが、あるわけ」

「はははっ」


 分かり易い動揺にユルグは淀んだ声音で笑い上げる。


「馬鹿だよなあ。おれ、すっかり忘れてたんだよ。いつだって、間に合った試しなんて一度もないのにな」


 嘲るように吐き捨てて、彼の視線がテーブルの上に寝かされている赤子に注がれる。


「この子には……父親はいないって伝えてくれ」

「何を……戻ってこないつもりか!? どこに行くというんだ!?」

「殺さなきゃならない奴がいるんだ」


 ユルグの言葉には、腹の底からの憎悪が溢れていた。

 それを聞いて、エルリレオは確信する。何を言ったところで、彼を止めることは出来ないのだと。


「復讐のつもりか? そんなことをしてもミアは」

「喜ばないってか? これはミアの為じゃない。俺が許せないからやるんだ」

「それだって同じだ。たった一人の親が産まれたばかりの赤子の傍に居てやらんでどうする」

「エル……もう決めたことなんだ」


 どれだけ口説こうとも、ユルグは頑なだった。

 彼はこれ以上話すことはないとでも言うように立ち上がると、最後にあることを言い残していった。


「……もし、フィノが訪ねてくることがあったら、こいつを渡してくれ」




 ===




「それがこれだ」


 言って、エルリレオは懐から手記を取り出した。


「これ……」


 ヨエルを腕に抱きながら片手で頁を捲る。そこにはユルグが今まで調べ上げた事柄が記されていた。

 大穴の底に居る四災というモノのこと。女神について。マモンから聞いた話。そこに自らの考察も交えられている。


「……っ、なんで、こんなの」


 これを渡されたということは、ユルグはフィノに託したのだ。

 それ即ち……彼は自分の命の使い所を決めてしまったということ。フィノとの約束を反故にしても構わないと、そういうことだ。


「バカお師匠! 勝手なことするなっ!!」


 怒りに叫び出すと、うとうとしていたヨエルが大声にびくっとして目を見開いた。愚図る数秒前というところで、気配を察知したエルリレオにひょいと奪われる。


「こんな身体でなければ儂が連れ戻したいが……もう歳だ。そんなことも出来ん。だから、頼まれてくれるか?」

「簀巻きにして連れ帰ってあげるから、心配しないで!」

「ふはは、それは頼もしいな」


 啖呵を切って、そこでやっとフィノは立ち上がった。もう足はちゃんと動く。震えていない。向き合って、前を向いて。しっかりしないと。

 それが出来なきゃ、あの人を連れ戻すことなんて出来っこないのだ。


「エルはお師匠の行き先、心当たりある?」

「いいや、なにも。どこに行くかは、ユルグは話していかなかった」


 となれば……彼の行きそうな場所に目星を付けるところからだ。

 腕を組んで悩みあぐねていると、不意にカルロが口を開いた。


「ねえ、おじいちゃんのさっきの話っていつのこと?」

「ふむ……ちょうど一月前の話だのう」

「ううーん、ちょっとおかしいかなあ」


 エルリレオの答えを聞いて、カルロは唸り声を上げた。


「どういうこと?」

「お兄さんは誰かを殺しに行ったんだよね? だったら、あの噂って本当なんじゃない?」

「王様が殺されたってやつ?」

「そうそう」


 そういえば、元々その真偽を確かめるためにユルグの元を訪ねたのだ。

 カルロの言う通り、彼の復讐対象が公王ならば辻褄は合う。


「でもそれだとちょっとおかしいんだよ」

「……なんで?」

「だって公王サマが殺されたのは数日前だよ? 怒り狂って、殺してやるって殺気立ってる人間が、報復に一月も時間かけると思う?」


 ……確かに、言われてみれば彼女の意見は的を射ている。

 あのユルグがうだうだ時間をかけるなどあり得ない。彼は目的が決まっているならば、途中に何があろうともまっすぐ突き進む人間だ。


「じゃあお師匠はどこに行ったの?」


 再度、振り出しに戻る。何をするにしても情報が足りていない。

 そういえば――


「ねえ、マモンは?」

「彼ならユルグが出て行った後に追いかけていったよ。おそらく共にいるはずだ」

「……そっか」


 マモンも事情は知っているはず。彼がユルグの復讐に同意するとは思えない。もっともユルグもマモンの言葉を鵜呑みにして従うことだってないだろうけど……ユルグ一人だけの旅路ではないと聞いて、フィノは少し安堵した。


 とはいえ、状況は好転せず。

 やはり、一から全てを見つめ直さないと解決の糸口は見えない。


「エルとカルロは戻っていいよ」

「フィノはどうするのだ?」

「たぶん、何か見落としてると思う」


 手掛かりは、この場にあるはずだと直感が告げている。


「あまり無理をするでないぞ」

「うん、大丈夫」


 エルリレオとカルロ、そしてヨエルを見送ってから、フィノは再び向き合う。

 本当ならば直視したくない。けれど、ここを探らなければユルグに追いつくことなど出来ないのだ。

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