憂愁の旅立ち

 口元に笑みを浮かべていると、不意に耳元に喧騒が届いた。

 聞こえてくる方向に顔を向けると、どうやら村の入り口で何かあったみたいだ。


「んぅ、なんだろ」

「そういえば、今日は外から商人が来るって話だったね。行ってみるかあ」


 気怠げに腰を上げたカルロと共に連れ立って向かうと、予想は的中。

 たまに村に寄ってくれるヒトの商人の荷馬車が村の門扉近くに置かれていた。


「お兄さん、久しぶり。何かあったの?」


 顔なじみの商人の男にカルロが声を掛ける。すると彼は少し興奮した様子で答えてくれた。


「聞いて驚くなよ! なんと……数日前に公王様が亡くなられたんだ」

「え!? すごい急な話だね。病死?」

「俺も噂で聞いたっきりだが……病死なんかじゃない。殺されたって話だ」

「……マジで? そりゃあ、物騒な」

「だろ? でもまだ話の続きはあってな……それをやったのが、魔王って話だ」


「……え?」


 男の言葉に、フィノは息を止めて固まった。


 ――公王が殺されて、それをやったのが魔王?


 にわかには信じられない話に、カルロを押し退けて男に詰め寄る。


「それ、ほんとう!?」

「ぐッ――わ、わからねえよ。噂で出回ってるんだ! 魔王が殺したってな! サノワに行けばそれで持ちきりだ! だから……離してくれ!」


 手を離すと男は咳き込んだ。しばらくして落ち着くと驚愕の表情を浮かべるフィノを見遣って、同意を込めて頷く。


「まあ、信じられねえっていうのは俺も同感だよ。今までどこに居るかも知れなかった魔王が表に出てきて、あまつさえ国の王様を殺しちまったんだ。驚かない奴なんていないわな」


 男がすぐ傍で何かを言っている。

 しかしフィノの耳には何も入ってこなかった。


「ちがう……おししょうは、そんなことしない」


 どう考えてもフィノには信じられなかった。

 だって、彼には大事なものがまた一つ出来るのだ。それを投げ打つような行いは、絶対にしない。フィノが彼と出会った昔ならいざ知らず……今のユルグならば、絶対にそんなことはしない。


「ううん、私も今の話は信じられないかな。まあ、あくまでも噂だからね。でも……公王が死んだってことは変わらないからなあ。他に誰がやるって話だよ」


 どうやらカルロもいまの話には半信半疑らしい。

 けれど、こんな噂が出回るくらいだ。確実に何かしらがあった。それは誰の目で見ても明らかだ。


「確かめなきゃ」


 決意を言葉にしたフィノに、カルロは満足げに頷いた。


「じゃあ私も準備しなきゃなあ。と言っても荷物なんて殆どないけどね」

「え、カルロも着いてくるの?」

「あったりまえよ! 私も気になって仕方ないんだから! それに、一人より二人の方が心強いでしょ?」


 トン、と胸を叩いてにっこりと笑った彼女に、胸の内に積もっていた不安が消えていく。

 今ここで、こうして悩んでいても何も解決はしない。自分の足で真実を掴み取るしか無いのだ。




 ===




 そうと決まれば、フィノは急いでレルフ宅へとカルロと共に戻る。

 血相を変えて戻ってきたフィノに、彼は驚きに瞠目しながら尋ねた。


「そんなに慌てて、どうしたのですか?」

「お師匠のところに行く。たぶん、すぐには戻らない」

「なっ……なりません!」


 止めようと手を伸ばしたレルフの腕を、カルロが掴んで阻止する。


「ほらあ、おじいちゃんは余計な口挟まない!」

「離さんか、カルロ!」

「フィノは誰が止めても行くって言ってんだから、何言っても無駄だよ」

「ぐっ……」


 カルロがレルフを止めてくれている間に、フィノは旅の支度をする。まずはシュネー山の麓の街、メイユに辿り着くのが先決。荷物は最小限に留める。

 背嚢には携行食、水。地図に寝袋や毛布。魔鉱石ランタンにそれの補充用の魔鉱石数個。その他諸々。そして、解読途中の石版の写し。


 先ほどはレルフにああ言ったが、お師匠に何かあったらフィノはここには戻ってこないだろう。だから大事を取って、これは持ち出す。

 解読ならば古代語を教えてもらったおかげで、道中でも少しずつ出来るし問題はない。


 服装は軽装で、厚手の外套の下は凍えないように服を何着か着込む。以前使っていた革鎧は、寒い地域ではお荷物になってしまうからと、長いこと仕舞い込んでそれっきりだ。

 以前だったら魔物の相手も慣れていない頃で、怪我防止の為に来ていたが今はそんな心配も殆ど無い。


 ということで、装備らしい装備は腰に差してある短刀と雑嚢。それと愛用の剣に手袋と防寒着である厚手の外套。

 それと伸びきった髪を一本に纏めて結って、首元には鮮やかな紺碧こんぺき色の襟巻きをする。


「準備出来たよ!」

「りょーかい! そんじゃ、おじいちゃん。じゃあね!」

「ぐっ、待たんか!」


 拘束していたレルフを放ると、カルロは先に外に出て行ったフィノを追いかける。


「――っ、門衛! 白麗様を止めろッ!!」


 レルフはどうあってもフィノをここに留めておきたいらしい。老体に鞭打って二人を追いかけながら声を張り上げる。

 それを聞いて、もう少しで村の外へと出られるといったところで、フィノの前に二人の門衛が立ち塞がった。


「お戻りください!」

「――っ、邪魔しないで!」


 槍先を向けて妨害する二人に、フィノは空手くうしゅで迫る。

 走る速度は落とさずに、手のひらに纏わせた風の魔力を触れた槍の穂へと流し込む。力の向きは下方。後はそれを発散させれば――


「――うわっ!」


 見えない何かに押し出されたかのように、門衛が構えていた槍の穂先がグンッ――と下がって地面へとめり込んだ。


「クッ、なんだこれは!?」


 いきなりのことに柄から手を離す間もなく、慌てふためいている二人の合間を縫ってフィノは駆けていく。


「じゃあね、お二人さん! あのクソ爺宥めるの頑張って!!」


 それに続いてカルロもフィノの後に続く。


 ちらりと背後を確認すると、門衛は追ってくるのを諦めたのか。村の門扉から動いていない。そりゃあ、門衛なのだから村を死守するのが先決である。

 ひとまず、フィノが連れ戻される心配は無くなったようだ。


 ある程度離れたところで、フィノとカルロは立ち止まった。


「ふう、なんとかなったみたい」

「そうだね」

「でも、さっきの凄かったよ。手で触れただけであんなこと出来るの?」

「んぅ……お師匠もやってたから、フィノもやってみた」


 先ほどの空手は、以前に海で魔物を相手取った時のユルグを見て閃いたものだ。

 今まで攻撃魔法の使用は質量を持たせて形作った物を放出させるか、武器へと付与するか。それしかないものだと思っていた。もちろん、罠などの応用もあるが……基本がそれで、フィノもそうだと思っていたのだ。


 けれどユルグはあの時、手のひらで海面へ触れて氷柱を生み出していた。ということは、他の魔法でも可能で、尚且つそれはフィノの十八番である風魔法と相性が良いのではないかと気づいたのだ。


 と言ってもユルグにも言われていた通り、フィノは魔法の才はあるが近接戦闘のスキルはそれほど高くはない。前衛で身体を張っている相手には敵わないだろう。それを補うために魔法で対抗するのだが……だから、先ほどのように空手で挑むのは相手の意表を突くときに限るのだ。


「……それで、こっからどうするの?」

「ん、まずはベルゴアに行く」

「ここからシュネーの方へ行くとなるとそこを通らなきゃだから、まあ、妥当だろうね」


 ベルゴアまでは一日半。そこからメイユまでは三日。約五日でユルグの元へと辿り着ける予定だ。


「といっても、あの噂も気になるし。道中、可能なら情報集めながら向かおうか」


 外套のフードを目深に被りカルロは、フィノの隣に並んで歩き出す。

 それに肯首して、フィノも歩みを進める。


 ――憂愁に閉ざされた、旅の始まりだ。

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