運命の岐路

 窓から差し込む朝日に、フィノは疲れ目を擦って大きく伸びをした。


「んぅ、もうこんな時間……」


 ふああ、と大きな欠伸を零すと今までにらめっこしていた古代語の群れを机上に放り出して、椅子の背にかけてあった外套を引っ掴む。部屋の隅に立て掛けてあった剣を取って、向かったのは寒々しい外だ。



 フィノがユルグと別れてから、十一ヶ月……もうすぐ一年が経とうとしていた。


 彼女の一日は、住まいとしているレルフの家の裏で、剣の素振りを行うことから始まる。

 既に日課となっているこの習慣は、今までのフィノには必要の無いものだった。旅をしていた時は長距離の移動が当たり前、一月ほどシュネー山の山小屋へ滞在していた時だって毎日のように冒険者ギルドで依頼をこなしていた。


 けれど、今の刺激の無い生活では身体が鈍って仕方ないのだ。

 それを解消するために早朝、こうして剣の素振りをしている。


「ん、こんなもんかな」


 ある程度汗をかいたら、そこで終了。

 家へと戻ると、住人のレルフが朝食を用意してくれていた。これも毎朝のことである。


 けれど、今日はその食卓に見知った人影が一つ。


「朝から元気だねえ」

「おはよう、カルロ」


 朝飯をたかりに来たのか。なぜかカルロが我が物顔で村長宅に上がり込んでいた。

 それにレルフは眉間に皺を寄せて嫌そうに睨み付けているが、当の本人は素知らぬ顔である。

 彼が強く言い出さないのは、フィノが追い出さないでと嘆願したからだ。彼はフィノにはどうしても甘くならざるを得ない。ハーフエルフの地位を向上するという大願の為に、フィノを必要としているからどうしても下手に出なければならないのだ。


 しかし、共に生活してきてレルフが悪い人ではないことはフィノにも分かってきた。彼を都合良く利用するのは少し良心が痛むが……それは相手も同じである。

 気にしないと決めて、フィノも食卓に着く。


「……カルロよ。朝飯を食べに来るのはまだ良い。だが、もう少し行儀良く食べられないのか!?」


 けれど、彼にも我慢の限界というものがあるみたいだ。

 カリカリに焼いたパンに、木の実で作ったジャムと羊の乳で作ったバター。それをたっぷりと塗って大口を開けて齧り付く。とっても美味しそうな食べ方だ。

 けれど、レルフはそれが気に食わないらしい。

 ポロポロとパン屑を零してテーブルを汚しながら食べるのだから、彼がこうして怒る気持ちもフィノにも少しは分かってしまう。


「うっさいな。そんなに怒ってると早死にしちゃうよ?」

「……っ、誰の所為だと思っとるんだ!?」

「爺の小言ほど煩いものはないよ」


 ぎゃあぎゃあと喚く声を聞きながら、既に見慣れた光景に、特に気にすることなくフィノも食事を摂る。

 レルフの作る食事は美味しい。けれど、たまにどうしても食べたくなるものがあった。


「……ミアのご飯、食べたいなあ」


 フィノは彼女の作る料理が好きだった。素朴な家庭の味というのだろうか。こうして食べている朝飯も美味いのだが……やはり懐かしくなってしまう。


 けれど、結局はそんなのは建前だ。

 ユルグと別れてから、フィノは一度も会いに行けていないのだ。そんなのでは、どうしても恋しくなってしまう。


 ぽつりと呟いた声を聞いて、言い争っていた両者は途端に静かになる。

 しんみりとした雰囲気を醸し出すフィノを見て、カルロはレルフを睨み付けた。


「ねえ、これ見て可哀想って思わないわけ?」

「……だが、外は危険だ。素性がバレて危害を加えられる可能性もある」

「だぁかぁらぁ!! そんな心配しなくてもフィノは強いから大丈夫なんだって! 何回言えば分かるのかなあ!?」


 レルフはフィノに対して過保護すぎるのだ。ここまでする必要が無いと幾らカルロが説こうが、彼は聞く耳を持たない。

 本来なら一人旅が難しいカルロが言伝でユルグの元へ行くことはないのだ。それよりも旅慣れているフィノを向かわせた方が余計な手間も掛からず最短で戻ってこられる。

 それを阻止しているのが、この老害である。


「挙げ句に余計なものまで押し付けて縛り付けて……そーいうところが私は嫌いで出て行ったんだよ!」

「し、仕方ないだろう。こうでもしなければ我らの未来は無いのだ!」

「他人に頼っていれば手に入るんだからさぞ楽だろうね!」


 怒りが治まる様子の無いカルロを宥めようとしたフィノだったが、彼女は怒りに任せて荒々しく立ち上がると、フィノの手を取った。


「今日は余計な勉強は無し! ほら、行くよ!」

「え、……ええ!?」


 ずるずると引きずられていくフィノは成されるがまま、カルロに連行されていく。

 そうして向かった場所は人気の無い村の端。

 大木の下に腰を落ち着けると、二人揃って溜息を吐き出す。


「カルロ……怒ってるの?」

「あたりまえでしょーが! ほんとあのクソ爺、ムカつくったらないわ! あんな奴の言うこと、ホイホイ聞く必要なんてないんだからね」


 彼女はそんなことを言うが、レルフにはそこまで横暴な態度を取られているわけではない。

 むしろ彼はフィノの為に色々と世話を焼いてくれている。


 当初は石版の解読だけだったが、やがて上に立つのだからと一般的な教養に加えて、今まで不完全だった発音も付きっきりでみてくれた。

 おかげで誰が聞いても違和感無く喋ることが出来るようになったのだ。自分ではあまり気付けないけど、それでも聞いている方には分かるらしい。

 だから、フィノはレルフには感謝しているのだ。故に、少しだけこの村にも愛着のようなものが湧いてきてしまった。


「そもそも、あいつから古代語の読み方は習ったんでしょ? だったら写しだけ取ってこんな所、出てけば良いじゃん!」


 カルロの言い分ももっともだが、それに即決できるほど冷徹にはなれないのだ。


 それに、フィノはユルグと約束した。恩返しできるまでは、と。

 古代語の習得は出来たが、それでも未だ解読は不十分なのだ。一日中それに付きっきりで居られたわけではないので、進捗は少し遅れてしまっている。

 そんな状態では、フィノが会いに行っても彼だって肩透かしを食らうだけ。


「ううーん……でも、お師匠と約束したから」

「だからって」

「それに、フィノが戻ったら邪魔しちゃうし……やっぱりいいよ」


 ユルグと別れて以来、カルロに頼んで彼の元へと行ってもらう事があった。最近では……二ヶ月前だ。

 彼女の話では敬愛するお師匠は元気にしていたそうで、しかも近々子供も産まれると言うではないか。

 それを知ってしまったら、フィノはやはり邪魔者でしかない。そう思ってしまう。


「フィノは本当にそれでいいの!?」

「……う、うん。もう少しだけまって」


 ユルグに会うならば、ちゃんと祝ってあげたい。きっと今のフィノでは難しいから、心が落ち着いてくれるまで。それまで待ってから……会いに行くのはその後にしたい。

 カルロにその旨を伝えると、彼女はわかったよと頷いた。


「そーいえば、フィノはお兄さんのことが好きだったか……そりゃあ、気まずいわ」


 でも――とカルロは続ける。


「私が向こうに行くと、必ずフィノはどうしてるって聞かれるんだ。だから、あれでも自分の弟子のことはちゃんと心配してるんだよ」

「うん……」


 カルロの言葉に、フィノは胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。人伝だけど、それでも思ってくれているのだ。その事実だけで嬉しくなる。

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