朝陽の客人

 窓から差し込む朝陽に目を覚ましたユルグは、ベッドから身体を起こすこともなくぼんやりと天井を眺めていた。

 徒然と思い起こされる昨夜の出来事に、無表情のままかけてあった毛布に顔半分を埋める。


 こんなことになるのならば、一度だけでもグランツと娼館に通っておけば良かった。流石にぼんやりとした知識だけでは限度があるのだ。

 彼もテクニックがどうたらと言っていたし……しかし、今更そんなとこに通うわけにも行くまい。


 自身の不甲斐なさに意気消沈していると、寝室のドアが勢いよく開かれた。


「朝ご飯出来たよ」

「ああ、うん。いまいく」


 ベッドから出たユルグは手早く着替えると、部屋を後にする。

 未だ覚醒していない頭でテーブルに着くと、ミアが朝食を並べて隣に座った。


「体調はどう?」

「昨日よりは全然、問題ないよ」

「だからってあまり無理しちゃ駄目だからね」


 ミアの言葉に頷いて、軽い朝食を摂りながら今日は何をしようかと考えているときだった。

 いきなりユルグの影から黒犬のマモンが飛び出してきた。

 ――それも、テーブルの上にだ。


「わっ――びっくりしたあ」


 食後のお茶を飲んでいたミアは、目を円くしている。

 ユルグも多少は驚きはしたが……それよりも、マモンがわざわざこうして現われたのだ。何か問題があったのだと考えた方が良いだろう。

 つまり、厄介事の匂いがプンプンと漂ってきている。


『ミア、こいつを借りて行きたいのだが、良いか?』

「良いけど……行儀悪いから早く降りなさい」

『うぐっ……すまない』


 無駄に怒られたマモンはしょんぼりと犬耳を垂れて従う。


「それにしてもいきなりだな」

『それはお互い様だろう。こちらも朝から押しかけられて迷惑しているのだ』


 マモンのぼやきにユルグは首を傾げながら、彼に従って街まで赴く。

 その道中――


「マモン」

『なんだ?』

「……昨日は、その。少し俺も言いすぎた」

『……どうしたというのだ。らしくない台詞だな』


 ユルグのしおらしい態度にマモンは驚きに足を止めた。


「お前に言われるのは正直癪だが……別に間違ったことは言ってないと思ってな」

『お主、一言多いぞ』


 苦言を零してマモンは再び歩き出した。

 ユルグの足元をポテポテと着いてきながらポツポツと話し出す。


『あのようなことは、初めて言われたわけではない。気にするな』

「まあ、そうだろうな」

『やはり一言……まあいい。今回お主を連れ出した理由だが、朝から来客が押しかけてきてな』

「客?」


 思ってもみないマモンの発言に、ユルグは目を見張る。

 来客と言われて思い当たる節は……残念ながらすぐには思い浮かばない。


『今は飯屋で食事をしている。エルリレオが接待しているが……あれの相手は御老体には堪えるはずだ』

「それは俺が知っている相手か?」

『会えば分かる』


 端的なマモンの言葉にこれは会った方が早いとユルグは歩調を早めた。


 案内された街の飯屋に入ると、奥のテーブル席にはエルリレオの姿が見えた。

 彼と対面している人物は――


「あっ、お兄さん! ひっさしぶり!」


 琥珀色の瞳をしたハーフエルフ……カルロだった。


「どうしてお前がここに……一人で来たのか?」


 半信半疑で尋ねると、彼女は皿の上に置かれたソーセージを肉叉にくさで突き刺すと、豪快に齧り付く。良い食いっぷりである。


「んっ……、ヒトの貿易商にここまで運んでもらったんだよ。流石に私一人でここまで来るのは無謀だからね」

「フィノはどうしたんだ。一緒じゃないのか?」

「うん……まあね」


 どうしてか、カルロは素っ気ない物言いをする。

 それに訝しんだユルグに、目を伏せて彼女はおずおずと話し出した。


「実は、あの子……」

「まさか……何かあったのか?」


 先ほどまでとは打って変わり、暗い表情をするカルロに嫌な予感が脳裏を過ぎる。


 ラガレットの公王が追放処分に追い込んだ一族の末裔だ。どこかからその情報を手に入れて危害を加える可能性だって有り得る。全くない話でもないのだ。

 あの村の計画にフィノは必要不可欠な存在だから、そんな杜撰ずさんな状況を招くとは思いたくはないが……。


 焦りを滲ませて詰め寄ったユルグに、カルロは俯いて肩を震わせた。

 直後――







「ぶっ――あひゃひゃひゃ!! いひひひいぃ!! おっかしい!!」


「……あ?」


 なぜかカルロはバシバシとテーブルを叩きながら爆笑し出す。

 それを呆然と見つめるユルグ。彼女と対面していたエルリレオは深い溜息を吐き出して、マモンは呆れている。


「はああ……あー、可笑しい。こうもあっさり騙されるとは私も思わなかったよ」


 目尻に浮かんだ涙を拭って、ひとしきり笑ったカルロはマグをあおる。

 未だ呆然と見つめるユルグに、カルロはいつもの調子で真実を答えた。


「フィノはとっても元気。ずっとお師匠に会いたいって言ってたよ。来られなくて残念がって……いたたたっ、耳引っ張らないでよ!」

「このっ……お前なあ!」


 苛立ちをぶつけると、エルリレオがやれやれと肩を竦めた。


「カルラと容姿は似ているが……こんな所まで似なくても良いだろうに」

「ちょっと、おじいちゃん! アイツの話はしないでよ!」

「だったらもう少し目上の者に敬意を払うことだ。お主と違ってカルラはそこはきっちりとしていたぞ」

「だからあ――」


 次第にヒートアップしていく二人を置き去りにして、ユルグは心労を抱えてテーブルに着く。隣の椅子にはマモンが飛び乗ってきた。


「あいつ、何しに来たんだ?」

『さあな、それを聞き出したいのにいつまでもあの調子だ』

「まあ、元気そうだってのは分かるが……少し元気すぎるんじゃないか?」

『同感だ』


 言い争いが収まるまで静観していると、やがて二人は静かになった。

 どうやらエルリレオが大人の対応で引いたようだ。大方、このまま争っていても何にもならないと気づいたのだろう。


「ユルグよ……儂は疲れたよ」

「俺も……」

『己もだ』

「もう帰っても良いかのう」


 心を一つにしているとそんな三人を見て、カルロは慌てて引き止めようとしてくる。


「ま、まって! ここで帰られたら私が来た意味なくなっちゃうから!」

「だったらこんなことしてないでさっさと本題に入れ」


 ユルグの指摘に彼女はいそいそと懐を漁ると、ある物を取り出した。

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