第5話 魔法少女は奔走中で。(4)
◆4月6日 午後5時◆
「ただいま」
「あ。お姉ちゃん、おかえりー。私のほうは準備は出来てるよー……って、そのメガネどうしたの!? イメチェン?」
「ん……? これ……? まあ……そんなとこ」
妹には“泊り込みで明日の映画撮影の件の打ち合わせがしたい”と先程連絡を入れておいた。
ものの数秒で「オーケー」の返事が返ってきたこともそうだが、既に準備を済ませていることも含めて、即断即決でやることが早い妹だった。
「ところで、何……その荷物の量」
一日泊まるにしては大きすぎると私が不思議に思っていると、夏那は大きなリュックにスナック菓子をどんどん詰め込んでいる最中だった。
「え? だって、これから合宿でしょ? 合宿にはお菓子が必要でしょ?」
合宿ではなくて映画撮影の打ち合わせなのだが……などと言ってしまうと実際は映画撮影の打ち合わせですらなく、明日の戦いのための戦略会議だということになるので、私は野暮なことは言うまいと口を噤んだ。
「持っていく分には構わないけど、遊びに行くんじゃないから……というか、その合宿先は徒歩10分くらいだし……」
「えっ!? 近い! あっ、でも近いならそのほうが楽でいいかも?」
(事の重要さを知らないとはいえ、まったく気楽なものだな……)
私がこうして普段どおりに振舞っていられるのも、妹や私のことを理解してくれる人達がそばに居たからかもしれないが、出来ることなら、妹には事件のことを隠し通せれば良いと思っていた。
「夏那」
「なに? お姉ちゃん?」
「真面目に訊くけど……本当にやるの? ものすごい運動してキツイかもしれないし、もしかしたら失敗して大怪我するかもしれない。怪我したとしても全部自己責任。それでも――」
エゾヒが再び現れ、雨が攫われ、孤独の私を芽衣が支えてくれた――ここ数日で起きたことの殆どが、私の想像を超えた出来事ばかりだったと言えるが、言い換えるのなら、それはこれから何が起こってもおかしくはないし、明日の作戦が上手くいく保証はどこにもないとも言えた。
妹に限って最悪の事態など起こるはずはないと信じたい自分もいるが、未来予知でもしないかぎり、どんなことにも100パーセントなどありえはしない――そんなことは判りきっているというのに、私は妹や芽衣といった魔法少女とは無関係の人たちを戦いに巻き込み、わざわざ危険に晒そうとしている。
それが本当に正しい選択だと言えるのか……私の思考はそこに至り、私の心は唐突な不安に駆られていた。
(皆を巻き込んで本当に良いのか? そうしなければ雨は助けられない? 本当にそうなのか? まだ、別の方法が残されているんじゃないのか? じゃあ、別の方法や他の人を今から探すのか? そんな時間は私に残されているのか? この作戦は無謀だったんじゃないのか? 約束をすっぽかして、隠れていたほうが懸命な判断なのではないのか?)
思考が渦巻き、堂々巡りを繰り返し、瓶に溜まった水が溢れ出るように、次々と不安要素が湧いて出る――そうしているうちに、私の思考回路は巨大な迷路の中を迷い彷徨うように、出口を見失っていった。
「――心配いらないよ! お姉ちゃんが一緒だから心配ナッシングだよ♪」
「夏那……」
妹は太陽のような笑顔を私に向けてそう答えた。
そして、その笑顔は、私が抱いていた不安や疑念を綺麗さっぱり吹き飛ばした。
「そうか……。わかった」
(やっぱり、妹には敵わないな……)
私は妹を危険に晒そうとしているというのに、妹はそんな私を信頼しきっている。
それならば、私が妹に返せるものはなんなのか――その答えは一つしか思い浮かばなかった。
「じゃあ、私も準備してくるから。ちょっと待ってて」
(夏那は私が絶対に守る。それが、
◇◇◇
◆4月6日 午後5時20分
「お姉ちゃんの友達の家って、ココ? おっきい建物だねー。お姉ちゃん、こんなところに住んでる人と知り合いなんだー。すごいねー」
「まあね……」
(知り合いとはいっても、まだ知り合ってから数日だけど……)
私が小さく頷くと、夏那は塀の向こうに見える建物を見ようと、ピョコピョコと飛んでは跳ねを繰り返す。
「あ! これ、カワイイー! 猫だ! 猫のインターフォンだよ、お姉ちゃん!!」
夏那は雄雄しいライオンのような装飾のインターフォンを指差し、そう断言した。
(これは猫……なのか?)
………
夏那がインターフォンを押すように誘導し、それから暫くして執事が出迎えにやって来た。
庭園に挟まれた長い道を執事に連れられながら歩き、それを抜けた先で城のような邸宅に辿り着くと、私たち姉妹は執事からメイドに引き継がれ、以前通された客間とは別の部屋へと案内された。
促されるままに恐る恐る扉を開けると、広いというほどではないが、私の部屋の倍以上はあるであろう空間に、所狭しと並べられたドレスなどの衣類が並んでおり、ここが衣裳部屋であることは一目でわかった。
「お待たせ」
部屋を見渡すと、メイドが数人と、芽衣の姿がひとつ、そしてそのメイドに囲まれた小さな影がもうひとつ視界に入った。
「……お邪魔しまーす」
私に続いて夏那も入室したものの、こういった場所に慣れていないのか、私の影に隠れながら恐る恐るといった様子で付いてきていた。
「あっ! 春希さん! 今、衣装合わせをしていましたの!」
「衣装合わせ……? なるほど……。それはナイスタイミング」
「じゃじゃーん!! 見てください!! どうです!? 良い出来に仕上がりましたの!」
正面に回りこみ、それを見た瞬間、私は思わず声を失った。
(うわっ……マジか……)
青色の衣装は雨のために仕立て上げられた衣装であり、当時の私と雨には身長にそれほど差はなかったので、
衣装こそ魔法少女服ではあるが、その姿は以前出会った
「あ、あんまり見ないでよ……これ、恥ずかしいんだから……。スカートも短くて、なんかスースーするし……」
スカートを引っ張って恥じらう姿は、どこからどう見ても女の子にしか見えず、世に言う“男の娘”というものを生で拝むことになり、私は人知れず好奇心を掻き立てられていた。
「あとは、ウィッグを付けてお化粧すれば完璧ですのっ!!」
「わー! カワイー!! この人がもう一人の役者さん!? お人形さんみたーい!」
芽衣が自慢するように胸を張り、その横で
「ええっ!? な、ナニ!? だ、誰!?」
「あっ!? 姉がいつもお世話になってます。私、花咲夏那って言いますー。明日は宜しくお願いしますー」
「あ、花咲さんの妹さんですか。これはご丁寧にどうも。僕は――」
私は遂に好奇心を抑えることが出来ず、
「……中はこうなってるのか」
「わー!? ちょ、ちょ、ちょっと!? な、なにやってるんですか!?」
「いや……どうなってるのか確認。衣装チェック」
確認したところ、下着はさすがに女物ではなかったが、強烈に食い込んだ黒いブーメランパンツのようなものが一瞬だけ見え、下着のラインが出ないよう強制的に履かされたものであることが窺えた。
「もー。お姉ちゃん、またそういうことしてー。そういうのは身内だけにしなよー。失礼だよー?」
妹のスカートをめくるのは日常茶飯事だが、それは妹の風紀の乱れをパンツの柄でチェックするという、私なりの家族コミュニケーションの一環であるので、決してやましい感情があってのことなどではないし、誰彼構わずやったりはしていないと、私は心の中で自分の行為を正当化する。
「うちのお姉ちゃんがゴメンネー? たまに変なことしちゃうクセがあるから」
そういうと、夏那は
「あ……」
人に失礼だと言っておきながら、年上に対して失礼な態度を――私は一瞬そう思ったが、それは間違いであることに気が付く。
普通の人から見れば、
それならばと、私にちょっとした悪戯心が芽生えた。
「その子はハーマイオニー。イギリス人の祖母を持つクォーターで、現在小学5年生。演技に定評のある期待の若手新人役者さんだ」
「へっ? 花咲さん……? 何を言って……」
「ハーマイオニーちゃん!? イギリス人!? どおりで美人さんだと思ったー!」
「だが男だ!」と声を大にして言ってみたかったものの、隠しておくのもそれはそれで面白そうだと思った私は、火種だけばら撒いて黙することにし、動向を見守ることにした。
「ね! 写真撮らせてー!」
「だだ、ダメです!」
「えー!? なんで!? あっ! もしかして、事務所のNGとか!?」
「じ、事務所……? そ、そういうのじゃないですけど……。しゃ、写真には二度と写らないようにするって心に誓ったんです!!」
「……?」
どう考えても、
動画なら良いというのか、それとも雨を助け出すことがそれ以上に重要なことなのかは定かではないものの、いずれにしても私は二人の関係性がますます気になっていた。
「あ、あの~……。春希さん……」
背中をポンポンと叩かれて振り返ると、今まで見たことの無い表情――まるで、信じられないものを見たというか、敢えて形容するなら無表情の芽衣が居て、私は少しばかり驚く。
「何……?」
「あの方がもしかして……というか、まさかというか……春希さんの妹さん……ですの……?」
私が肯定するように無言で頷くと、芽衣はなぜかショックを受けているような反応を見せたため、私は首を傾げる。
ハーマイオニーと仲良さそうにじゃれあっている夏那に手招くように合図を出して召集すると、私は手早く互いを紹介する。
「これが妹の夏那。で、こっちが芽衣」
「あ。宜しくお願いしますー。いつも、お姉ちゃんがお世話になっていますー」
「あ、ええっと……。宜しくお願いします、の……」
夏那は芽衣のことを知ったような素振りではなかったため、どうやら互いに知り合いという可能性はなさそうだったものの、芽衣の見せた不自然な様子が少しばかり引っ掛かり、私は芽衣の挙動に注視する。
(胞子は出てない……か……。ん……いや、待て……? これは
その可能性に気が付いて私が慌てて眼鏡を外すと、案の定、芽衣からは確かに胞子が発生していた。
(“失って初めて、その大切さを知る”とはまさにこのことか……。いざ無くなってみると、これはこれで不便かも……)
負の感情が視えていることが私にとっての日常風景であり、私のようなコミュ障にとってはかなり有用であると、その状況を利用していた節は少なからずあった。
芽衣の眼鏡は必要な時だけ掛けることに決め、持っていたメガネケースから自分の眼鏡を取り出して交換する。
眼鏡を掛け直しているほんの一瞬の間に、芽衣は私の前から忽然と姿を消しており、私はキョロキョロと周囲を見回す。
「芽衣さん探してるの? それなら今外に出て行ったよ?」
「そう……?」
先ほど芽衣から出ていたのは、青黒い感情の胞子――つまり、“悲しみ”の胞子だったように私の目には映っていた。
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