第5話 魔法少女は奔走中で。(2)

 ◆4月6日 午前7時◆


 一時間ほど早く家を出た私は今、芽衣の自宅の門前に立っていた。


「あー……」


 昨日、一昨日と周囲を気にする余裕がなかったためか、まったく気にも留めていなかったが、改めて外観を見渡してみると、高い外壁は終わりが見えないほど続き、門の隙間から見える邸宅は広大な庭園に囲まれ、まるでヨーロッパにあるどこぞのお城が絵から飛び出したようなとんでもない豪邸だった。

 なんの取り柄もない普通の町にどうしてこんなものがと疑いたくなるほど、現実味のない光景ではあったが、私はその現実味の無い光景とやらに立ち向かわざるをえない状況に立たされていた。


「あれを押すのか……」


 学校まではここから徒歩10分程度であり、学校に向かうにはまだ早い時間だったが、芽衣に電話を入れてみたものの繋がることはなく、家から出てくるのを待つか、インターフォンを押すかしか私の選択肢は残されていなかった。

 わざわざ早く家を出たというのに、出待ちするというのはなんだか本末転倒な気もするし、いきなり距離を詰めすぎている気がして正直恥ずかしい――そうなると必然的にインターフォンを押すことになるが、“インターフォンを押す”という行為に慣れていない私にとっては、それ自体のハードルがそもそも高かった。

 と、ここまでハードルを上げておきながらなお、それ以前に解決すべき最大の問題が私の前に立ち塞がっていた。


「んーーー!!!」


 城門のような入り口の横に備え付けらた、仰々しいというか、雄雄しいライオンのようなものを象った装飾がインターフォンであり、思いっきり背伸びをしながらそれに手を伸ばしてみても、私の指先はインターフォンの下部――つまり、顎の部分になんとか届く程度で、その口の中ボタンにまでは到達していなかった。


(ちょっとコレ、インターフォンの位置が高すぎるだろ!? というか、そもそもライオンの口の中にインターフォンのボタンを作るなって!! )

「あら? 春希さん……?」


 声がした方を振り向くと、そこには制服姿ではなく、運動着に身を包んだ姿の芽衣がいた。


「お、おは……よう」


 恐らく、その時の私の姿はピンポンダッシュをしようとしている子供の姿と一致していたことだろう。



◇◇◇



 ◆4月6日 午前7時10分◆


「お電話を頂いたのに気が付かなくてすみませんでしたの。私、朝のジョギングが毎日の日課で、朝はいつもこうしてジョギングをしているのですけど、走っている間はどうしても気がつけなくて」


 芽衣に連れられて屋敷の応接間らしき一室に通された私は、出された紅茶をすすりながら、タオルで汗を拭う芽衣の姿を一瞥する。


(それにしても、意外だったな……)


 テニスとかゴルフとか、貴族や金持ちが趣味でやりそうなことならすぐに納得出来たのだろうが、しっかり汗を流すような運動を芽衣が日常的に行っているとは想像もできなかったし、そもそも運動といったものには縁が無さそうだと勝手に思っていた。


(やっぱり、ダイエットとか健康を意識してのものなのか……?)

「少しお待ち頂けますか?」


 そう言って部屋を出ていったかと思うと、芽衣はその言葉通り、数秒も経たずに戻ってきた。

 その腕には黒い毛玉の塊が抱き抱えられていた。


 ………


「クマゴロー、元気にしてたかー」


 クマゴローは私の振るう猫じゃらしにじゃれついて遊んでいる。

 見たところ足の怪我も完治しており、思っていたよりも元気そうなどころか、一日しか経過していないのにどことなく大きくなったような気さえする。


「それはもう元気でしたの。部屋中の置物という置物を壊して回っていましたの♪」

(そ……それは結構な一大事なのではなかろうか……私のふところ的に……)


 芽衣はにこやかに笑みを浮かべていて、負の感情も出ていないので然程気にした様子がないのはわかるのだが、弁償とかそっちの話になると私の小遣い程度で賄うことには限界があるため、私はクマゴローにおとなしくしているようにと強く念を送る。

 しかしながら、私の心境も露知らず、クマゴローは必死に猫じゃらしを追い回していた。


「それに、昨日はうちのコックが用意した食事をたくさん召し上がられてましたの」

(――って、おい。猫にコックの料理ってどういうことだ? もしかしなくても、確実に私より良い物食べてるだろ、それ……。急にでかくなったのも、それが原因か……)

「それでは春希さん。私、シャワーを浴びてきますので、この子のことを少しお願いできますか?」


 私が小さく頷きつつ横目で合図すると、芽衣は部屋の扉まで向かっていった。


「さて、と……」

クマゴローコイツにはダイエットと称したしつけが必要である。よって、私の猫じゃらし超絶テクニックでヒーヒー……もといニャーニャー言わせてやるとしよう)


 私が使命感に駆られてねこじゃらしを強く握り締めたところで、退室しようとしていた芽衣が、何かを思い出したように振り返る。


「あ……。 それとも一緒にシャワー浴びますか!?」

「遠慮しとく」


 私は、条件反射的にそう答えた。


 ………


「お待たせしましたの」


 暫くしてから制服姿になった芽衣が姿を現し、私はじゃれあいタイムを名残惜しみながら、少し重くなったクマゴローを抱き抱える。


「そうだ。さっき、ジョギングが日課って言った?」

「はい? そうですが?」

「こういうの、持ってない?」


 私はポケットからスマホを取り出し、ブックマークしておいたページを芽衣に見せると、芽衣は不思議そうな顔をしながら首を傾げた。


「これは……? えっと、確か知り合いから譲り受けたものがあったと思いますの」

「それ、ちょっと見せて」


 ………


 《○ーのかがみ》の実証が済み、次なる課題はそれを実用できるものにすることだったのだが、意外にもその答えはネット上の至る所に転がっていた。


「まあ! お似合いですの!」


 マジックミラー同様、反射膜をレンズの表面に形成し、それを眼鏡の形状にしたもの――それが、ハーフミラーレンズのサングラスだった。

 このサングラスは、スポーツや車の運転などで利用されることが多いためか、大半はオシャレ眼鏡の部類に入るようなカッコイイ系デザインが大半を占めており、私もそういったものが出てくるのだと覚悟をしていた。

 しかしながら、芽衣の用意したそれは、私が常時着用している眼鏡とほぼ同じデザインでありながら、レンズだけがハーフミラー仕様になっているという、まるで今の私のために用意していたのかと思うほどに、私にピッタリの眼鏡だった。

 そんな上手く出来た話は無いだろうと、私が芽衣に疑いの眼差しを向けると、疑念を悟った当人が自らが釈明をはじめた。


「そ、それはある方から譲り受けたものですの! 決して、春希さんのために用立てたわけではないです! これは本当ですの!!」


 そもそも私がこんなものを欲しがっていることを、当然ながら彼女は知らないはずであり、疑いをかけること自体が見当違いも甚だしいのだが、「こんなこともあろうかと、春希さんのためにご用意致しましたの!」とか言い出す可能性も考慮して、念のため確認したに過ぎなかった。


(まあさすがに嘘を吐く理由も無いか……)

「譲り受けた……ってことは、大事なもの?」


 彼女にとって大切なものであるのなら、万が一にも壊した場合には申し訳が立たないし、そんな理由を押し切ってまで借りるほど私も悪魔ではない。

 そんなことを考えていると、芽衣は首を横に振った。


「……大事なものではありますの。でも、春希さんが使ってください。その眼鏡も、私が持っているよりは春希さんに使っていただいたほうが喜ぶと思いますの」

「そう。それじゃあ、お言葉に甘えて借りておく」


 私としても、ギラギラのオシャレ眼鏡をして外を出歩くのは少々気が引けるし、この眼鏡であれば日常生活でも問題なく使えそうだったため、元の持ち主に人知れず感謝の意を送る。


「では、春希さん。そろそろ出ましょうか?」

「もうそんな時間か……。迷惑掛けて悪いけど、もうしばらくこの子をお願い」

「迷惑だなんてお気になさらずに。私は構わないですから」


 寂しいのかどうかは判らないが、必死ににゃあにゃあ鳴いているクマゴローの様子に後ろ髪を引かれながらも、私は近くにいたメイドにクマゴローを受け渡し、軽く別れを告げる。


「じゃあな。良い子にしてるんだぞ?」

「それでは、行って参りますの」



◇◇◇



 ◆4月6日 午前7時15分◆


 桜並木を彩る桜の花弁は少しばかり散り始めているものの、未だ坂道をピンク色に彩っている。

 恐らく、それは普通の人から見れば普段どおりの光景なのだろうが、私にはそれが今までとはまるで違って見えていた。


(これが……本来の……景色……)


 新しい眼鏡の効果なのか、負の感情はパタリと視えなくなり、常に薄暗く曇っていた空はテレビや写真に映るような清々しい青色で、道端の至るところから噴出していた黒い胞子は、視界のどこにも存在していなかった。

 負の感情が視えることが日常となっていた私の目には、その光景が新鮮で美しく映り、それはまるで、苦労の末に辿り着いた場所で絶景を目にした時のような気分だった。


「春希さん? どうかなされましたの?」

「あ……いや……なんでも」


 突然話しかけられ、私はドギマギしながら適当な相槌を打つ。


(こういうときは……何を話せばいいんだ……?)


 思えば、数日前の私は“友達と呼んでくれる人”と並んで登校している様なんて想像すら出来なかったし、昨日と同じように道を歩いているはずなのに、昨日とはまるで違い、嬉しさと気恥ずかしさと期待と不安をごちゃ混ぜにしたような感情が私を満たしていた。

 たった一日だというのに、私たち二人の関係はそれほどまでに変化していたし、そもそも会話を拒絶していた相手と話す話題がすぐに見つかるわけもなかった。


「えっと……。あ……そ、そうだ! 代理人の話だけど、一人は妹にやってもらうことにした」

「妹さん……ですか……? それは春希さんの……? ということはつまり……」


 芽衣は眉間にしわを寄せて、目をキョロキョロさせながら少し考え込んでいた。

 私はその挙動不審な様子を不自然に思い、芽衣が何を考えていたのかを推測する。


「先に言っておくけど、夏那は私より身長が高い」

「へっ!? そ、そうですの……。そ、それは残念ですの……。それでは、あと一人……。私がその一人になれれば良かったのですけれど……」


 私はすかさず首を横に降る。


「あの時、あの場所に居なかった人間が良い」


 一昨日おととい対峙したときも変わっていないと思われるが、エゾヒは以前から野生動物並みに鼻が効くということが判っている。

 ニセモノを用意したところで勘付かれてしまっては元も子もないと考えた私は、とりあえずあの場に居なかった人間という条件を、ニセモノ役選定の条件付け加えておいた。


「あとはこの衣装が着れる人だけど……。これが一番大変そうだな……」


 私の右手には紙袋が下げられており、その中には昨日クローゼットから引っ張り出された魔法少女服が収められている。

 不可抗力で映画撮影ということになってしまったが、そうすることで変な詮索もされにくく、衣装や小物が用意されていることで話に真実味も増し、一概に悪い事ばかりではないと言えるが、代わりに私があの衣装を着ることが確定し、これを着ることの出来る人間を選ばなくてはいけなくなったのは、手痛い代償だった。


「残念ですの。それに、もう少し時間に余裕がありましたら、特注の衣装をご用意出来ましたのに……」


 芽衣は残念そうに呟いたが、現実的に考えて衣装を用意するには時間がかかるし、私たちには幾許の猶予も残されていないため、衣装が着れる人を探すほうが圧倒的に手っ取り早かった。


「春希さんに色々な衣装を作って、着せてみたかったですの……」

(残念だったのはそっちかよ!? まったく、本当に祈莉が居るみたい……。もしかして、私と雨と芽衣が揃ったら、あの頃みたいな関係になったりするのか……?)


 衣装を私に着せたがったりするところや、黒めの感情がすぐ表に出てしまうところがかつての祈莉に似ていたため、芽衣のそんな様子に既視感を覚えた私は、ふと二人が揃った状況を想像してしまった。


「春希さん……? なんだか嬉しそうですの?」

「……っ!? な、なんでもない!! と、とりま芽衣には大事な仕事があるから! そっちを頑張れ!」

「そうでしたの! 私には映画監督という名誉ある役割がありますの! 頑張らせていただきますの!」

「あ……。そうだった。昨日伝えておいたものは用意できそう?」


 芽衣の家にわざわざ立ち寄ったのには理由があったのだが、私はすっかりそのことを忘れていた。


「撮影関連の機材に関しては、今夜までには一通り揃えられそうですの。照明機材も本日の夜に設置する予定ですの」

(さ……さすが、お嬢様……。財力も手際も半端ない……)

「ただ、に関しては私だけでは判断がつきませんでしたの。一通り手配はしてみたのですが、どれが良いというところまでは……。詳しい方がいらっしゃれば良いのですが……」


 私は芽衣のスマホ画面に映っているものを見て、眉間に皺を寄せる。


「なるほど……。誰かその手のことに詳しそうな人……か……」

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