第4話 魔法少女は友達想いで。(5)

 ◆4月5日 午後3時35分◆


 私は以前と同様の手口で危険な天使デンジャラスエンジェルを屋上前の階段の踊り場へと連れ出し、校門前の一件から今の今まで沈黙を貫き通している彼女は、緊張感の満ちたこの場の静寂に一役買っている。


「き……聞きたいことがあるんだけど」


 あの後、学級委員の選考は続いたものの、当然のことながら私に他の票が入ることはなく、《仮称・文科系眼鏡ガリベン女子》が学級委員に決まり、私としては結果オーライという形に終わった。

 だが、私には


「……」


 私が訊ねようと、彼女は答えない。

 一向に動きが無く、痺れを切らして私が顔を上げると、口を両手で塞いで話す気ゼロの顔がそこにあった。


(……そういえばそうだった)

「今は、その……喋っていい、から……」


 私のその一声を待っていましたとばかりに、危険な天使デンジャラスエンジェルはぷはぁーと大きく息を吐き、大きな深呼吸を何度か繰り返した。


「何も息を止めなくても……。そ、れより……さっきのは……その……どういうこと?」


 彼女は眉を曲げて、困ったように首を傾げる。


「どういう……? えっと……? 春希さんを学級委員に推薦したこと……ですの?」


 私は首を横に振った。


(私が聞きたかったのはそこではない)


 これから私が彼女にしようとしていることは、であり、それほどに覚悟が必要だった。

 それ故に、私は一度大きく深呼吸し、呼吸を整えてから口を開く。


「さっき言ってた、私が辛くて苦しそうだった瞬間って……いつ?」

「……入学式の日や、体力テストのとき……でしょうか? 春希さん、体調が優れないようでしたので……」

「ふ~ん……。じゃあ、私はどんな動物に優しくしていたの?」

「そ、それは……。こ、子猫さんに……でしょうか?」

「じゃあ、私のって誰のこと?」


 その時、彼女は一瞬だけ何かを考えるように、私から視線を逸らした。

 私の知る限り、それは初めてのことだった。


「それ……は……」


 私は危険な天使デンジャラスエンジェル

 なぜなら、彼女は彼女が知り得るはずのない情報を知っていたからだった。


「私が友達想いだって……どうしてそう思った?」


 入学してからの三日間、私が他者と接触する機会はほぼ無く、彼女の他に校内で関わったのは雨と金髪王子パツキンショタくらいだった。

 そのいずれも、端から見れば友達同士どころか関係性すら見えなかったはずで、もし偶然にも校舎裏で雨とのやりとりを見掛けていたとしても、友達想いなどという表現にはならないし、喧嘩別れにしか見えないだろう。

 だとすると、どうして私が“友達想いである”などという発想に彼女が至ったのかが疑問になる。


「ずっと、見てたんでしょ? 昨日のこと、全部」


 私がこの結論に至った根拠は幾つかあった。


 一つ目はエゾヒが雨に対して言い放った「お前たち外野は黙っていろ」という発言で、状況を見る限り、私以外であの場にいた人間に対して言われたものであることは間違いなく、雨を普通の人間だと勘違いしていたことを考えても、雨だけを指すのであれば「お前は」が正しい表現だと言えるのだろうが、エゾヒはなぜかその言葉を選んだ。

 あの場に隠れていた黒幼女ゴスロリを指して言われたものかとも考えたが、確証は無いものの、あの子に対してではない可能性は高い――そうなると、私と雨以外の可能性が生まれてくる。


 二つ目は、私が黒幼女ゴスロリと別れた直後、タイミングを見計らったかのように電話も掛けたことのない相手にいきなり電話をしたうえ、突然頼まれたからといって成り行きで家に泊め、その後もその理由すら聞いてこないばかりか、私がこれ以上関わらないで欲しいと直接伝えたにもかかわらず、彼女は私が“友達想い”なのだとクラスメイト全員の前で堂々と言い放った――彼女の行動は、どれをとっても不可解だった。

 だがもしも、


 昨日の電話は、私の様子を近くで見ていた彼女が機を見計らって助け舟を出し、今の今まで私に何も聞いてこなかったのは、事の顛末を彼女は既に知っていたからで訊く必要が無かったから。

 そして、私が彼女に対して「関わらないで欲しい」と告げた言葉の真意が、「事件に関わらせたくない」という想いから来ているものだと、その時の彼女に理解出来ていたのであれば、「」という言葉にも真実味が生まれる。

 なぜならば、今朝、登校する道中で「友達と喋りながら登校するのが夢だった」と彼女が語ったように、彼女にとって私は既に“友達”という認識であり、他でもない彼女自信のに私がそう映ったのではないだろうか、と。


「……」


 私は無表情で、彼女の瞳を真っ直ぐ見つめ続ける。

 すると、彼女は長い沈黙の末、小さい溜め息を漏らしながら、ポケットから何かを取り出した。


「……シャイニー・パクト!? どうして……」


 何の変哲も無い、子供用のおもちゃにしか見えないものの、それは私たち魔法少女がシャイニー・レムリィに変身するための大切な道具である。

 今となってはウンともスンとも言わない骨董品ではあるが、今でもお守りのように鞄に入れて持ち歩いているものだった。

 いつの間に落としたのかと私は頭を傾けたものの、今という状況においてそれは然程重要なことではなかった。


「拾ってくれてたの……。でも……」


 彼女がそれを所持していた事実と、それを今この場で取り出し、私に差し出したという一連の行動そのものが、私の仮説が正しかったことを証明していた。


「昨日、あの公園で落ちていたものを拾いましたの……」


 手を出すように促され私が手を差し出すと、その手ひらの上にシャイニー・パクトが乗せられた。


「私、あの殿方と春希さんのやりとりを、ずっと見てしまいましたの……。ごめんなさい……」


 俯いた彼女の頬を、涙の粒が一つだけ走った。


「……!? なんで……泣くの?」

「あの時……恐怖で一歩も動けませんでしたの。あの方を助けられなかったのは……私も同罪なんですの……。でも、言えませんでしたの……」


 何故このタイミングで彼女が涙を流すのかと、私は理解に苦しんだ。

 その時の恐怖を思い出してのことなのか、それとも自責の念によるものなのかとも考えたが、その理由はどうにも腑に落ちなかった。


「でも、春希さんは友達が目の前でさらわれたというのに、周囲に悟られないよう、気丈に振る舞っていましたの……。私はそれを昨日からずっと見ていましたの……」

(私のために……泣いてくれていた……)


 彼女の涙の理由が自分のことではなく、私を憂いてのものだったことに私は正直に驚いた。

 何よりも、彼女が私に語るその言葉には一切の負の感情が無い――つまり、一つの嘘も見られなかった。


「私には詳しいことは判りません……。ですが、きっと昨日の出来事は他人には言えないこと、だったのですよね……」

(――違う。私にそんなつもりはなかったし、他人を頼ろうとすれば出来た。ただ、私が他人と関わるのが苦手だった……。それだけ)

「そして、誰にも相談できずに、一人で全てを背負って、一人で全部解決しようとしていたんですよね……?」

(――違う……! これは私のミスであり、私の責任だった……。だから、私が一人で解決しなくちゃいけない。それが魔法少女である私に課せられた責任であり、使命――)

「――!?」


 彼女は突然、私を包み込むように強く抱きしめ、私の顔は彼女の胸に埋もれる形になった。


「条約……違反。今、私に抱きついたら、私の友達になれない……ぞ……」

「そんなこと構いませんの……! 目の前で泣いている友達を放っておくなんて、私には出来ませんの!」

「私が……泣いて……?」


 ――「そういう考えになること自体がおかしいって言ってんの!!」


 雨の言葉が脳裏を過ぎり、私はようやくその言葉の意味を理解した。


(――そうか……そういうことだったのか。私は間違っていたんだ。“他人を頼ってはいけない”と思い込んでしまっていた。それが間違い……)


 魔法少女は弱い人々を守ることが使命であり、誰かの助けを借りることなんて出来なかった。

 しかし、私はもう魔法少女ではない――だから、人間に戻った私は誰かを頼っても良い……そんな単純なことを、雨は私に伝えようとしていたのだろう。


「私は春希さんを友達だと思っていますの……っ! 春希さんになんと言われようと、私は春希さんの友達ですの……っ!! ですから――」


 人間同士の関係は、相手がどう思っているかどうかはそれほど重要ではない。

 私が雨から嫌われようと、今でも友達だと思っているように、彼女もまた、私にどれだけ拒否されようとも友達だと思っている――ようするに、人の想いを変えることは簡単には出来ない。

 だが、相手が好きであれ嫌いであれ、人と人との関係は天気のように時と状況によって変化する。

 重要なのは、だ。


「――春希さん。私に、春希さんのお手伝いをさせて頂けませんか? 絶対にご迷惑は掛けませんの」


 長い間、孤独という時間を過ごしてきた私は今という状況に慣れ、一人ではないということがこんなにも心強く、心地良く、穏やかな気持ちになれるということをすっかり忘れていた。


(こんなにスッキリした気分になったのは、いつ以来だろうな……)


 私は彼女に聞こえないくらいの、とても小さな声で呟いた。


「……ありがとう。芽衣」

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