3.継続
第4話 魔法少女は友達想いで。(1)
◆4月5日 午前6時30分◆
目が覚めると、見慣れない天井が視界に飛び込んできた。
上体を起こして周囲を見回してみると、だだっ広い部屋にアンティーク物らしき煌びやかな家具が並べられた、豪華な室内の大きなベッドの上に私はいた。
(そういえば、そうだった……)
身長の二倍ほどはあるベッドを降り、壁に掛けてあった制服に手早く着替え、窓のカーテンを開け、白いバルコニーから眼下に広がる庭園とプールを眺める。
「高級ホテル……それとも貴族の屋敷……?」
――コン、コン。
「春希さん、起きてらっしゃいますか?」
扉の外から突然声を掛けられ、私は一瞬驚きながらも返事を返す。
「ど、どうぞ……」
開いた扉から現れたのは、
「おはようございますの。お体の調子はいかがですか?」
昨日の疲労感が多少残ってはいるものの、日常生活であればこの程度は普通なことだろうと、私は肯定するように小さく頷く。
「もう制服に着替えられてしまったのですね……」
恐らく、
「まだ顔色が優れないようですの。今日はお休みになられたほうが良いのでは……?」
当然ながら、私には休んでいる時間などこれっぽちもないため、私は首を横に振る。
「そうですの……。では、せめて朝食だけでも召し上がって下さい」
………
赤い絨毯が伸びる大きな階段を下り、長い廊下の先にある大きな両開きの扉の前まで案内される。
扉を開けるとそこには、白いテーブルクロスに覆われた長いテーブルに、銀色に輝く蜀台が置かれた、西洋貴族の食卓をそのまま描いたような空間があった。
その光景に唖然としていると、リアル執事に促され、高めの椅子に座らされ、それを皮切りにメイドたちが次々と私の前に料理を並べていった。
そんな、見慣れない光景にあたふたしながらも、私はなんとか朝食を済ませた。
「食事はいかがでしたか? お口に合いませんでしたか?」
私や母が作る手料理などとは比べ物にならないほど美味しかった――などと正直に言えれば苦労はしないのだろうが、私の口はそんなことをサラリと言えるようには出来ていなかったため、私にとって精一杯の感謝の言葉を返す。
「ご馳走様でした」
「あ、あの……! 春希さん!」
席を立とうとする私を
(相変わらず、この子の仕草は可愛いな……)
「今日は一緒に学校に行きませんか?」
私は少しだけ考えたあと、首を縦に振った。
「あ、ありがとうございますの! すぐに準備いたしますの! あっ!? その間、食後のお茶を召し上がっていてくださいの!」
輝くような満開の笑顔を見せると、世話しなく部屋を出て行く様を見送った。
その様子はまるで、犬のようだった。
(そんなに嬉しいのか……。けど、こんなことは今回限りだけど……)
普段の私ならすぐに拒否って終わりではあるが、一宿一飯の恩がある以上、無下にはできず、私は出された紅茶を啜りながら、彼女を待つことになった。
(そんなことより……)
今、私は
なぜ、こんなことになったかというと、半日ほど前に遡ることになる。
その時の私は
色々なことがあって混乱していたし、子猫の件も片付いていなかったため、そのまま家に帰ることも出来ず、呆然としながら道端で
そんなときに、たまたま彼女から電話があった。
ハッキリとは覚えてはいないが、どうやら私は彼女に今夜泊めてくれないかと頼んだらしい。
彼女はその申し出を断ることもなく受け入れ、私はこの家に招かれることとなった。
冷静に考えればストーカーの家に泊まらせてくれと言っているのだから正直、正気の沙汰ではない――だが、きっとその時の私は本当に正気を失っていたのだろう。
雨と一緒に友人宅でお泊り会をしているという嘘の連絡を母に入れた後、極度の疲労によって私の意識は途絶え、一夜明けて今に至る。
(この嘘もいつまで持つかわからない……。時間がない……。なんとしても、
◇◇◇
◆4月4日 午後4時◆
闇が公園を包みこむように広がり、周囲は瞬く間に夜のような暗がりに包まれ、
先程まで渦巻いていた黒い胞子は次第に勢いを弱め、私の
「エゾヒ……!」
私がその名を口に出すと、雨は眉を歪め、表情をいっそう強張らせた。
それもその筈で、ここに居て欲しくない――いや、居るはずのない人物が、今、再び自分達の目の前に現れたのだから、それも致し方のないことだろう。
「信じたくないケド、パッと見はアイツまんまだわ……。そっくりさん……なんてオチが一番良いんだけどね……」
それに関してはまったくもって同感ではあったものの、私を知っているような言動や人間離れした復讐心を持っていることからしても、そっくりさんである可能性は非常に残念ながら低いと言えた。
何よりも、魔法少女として戦っていた私たちの前に立ちはだかった“ツキノワ”率いる悪の組織ダイアクウマ――その幹部の一人であり、過去に何度となく
『我が名を覚えていたとは、光栄に思うぞ。シャイニー・レム』
見た目だけで言えば、三、四十くらいの中年男性で、上は白いTシャツに下はジーンズスニーカーという至って普通の格好だが、そのニメートルを超すであろう巨躯と筋肉質ボディのため、服はパツパツになっている。
しかしながら、それは人間の世界で目立たないよう、人に擬態している時の姿であって、本来の姿ではないのだが、それはそれで十分に目立っている。
「そ、そっちこそ、私のことがよく判ったね……?」
向こうの威圧感に
『お主はあのときのままであるが故、すぐに判った』
(
「さっそくで悪いんだけど、聞きたいことがある」
『良いだろう。再会の記念だ。何でも聞くが良い』
「なんで、
『それは我が答えずとも、察しがついているのではないのか?』
「なるほど……。復讐ってこと……」
エゾヒを取り巻いている負の感情は全て“復讐心”であり、私たちを恨んで……というのは納得の理由だった。
“復讐心”が完全な“殺意”に変わっていないだけ幾分かマシな状況ではあるが、アレが全て殺意の胞子に変わったときのことを考えると、正直ゾッとする。
「じゃあ、もう一つ。今まで何をしていたの?」
『そのようなことが聞きたいのか? まあいい。
「ふ~ん……それで? どうやってここにきたの?」
『……それは我にも判らぬ。気が付けば、この姿で近くの町に居た』
(どういうこと……? 本人にもわからない……?)
自発的に再覚醒して復活したのではなく、外部から
『ただ、その時の我はシャイニー・レムリィへの怒りで支配されていた。それ故、本能の赴くまま、主等が使う“魔法の力”とやらの痕跡を捜し歩いていた』
「それで、今に至るってワケ、か……」
“怒り”というワードが気にはなったが、今は考えても答えが出ないだろうと割り切り、もう少し情報を引き出すことを試みる。
「それじゃ――」
「ちょ、ちょっと!? 私抜きで話進めんなし!!」
私とエゾヒの会話に割り込んだのは、雨だった。
正直、それまですっかり雨の存在を忘れていたが、雨は今やこの状況を打破するための鍵となりうる存在であり、ここで出しゃばってボロを出されても困るので、私としてはもう少しばかり黙っていて欲しかった。
『五月蝿い。
エゾヒはその太い左腕を、高々と天に向けて突き上げ、それを一気に振り下ろした。
「待っ――」
ブオンという空を裂く鈍い音が聞こえたかと思った次の瞬間、猛烈な突風が突如発生し、私のすぐ横を過ぎ去った。
その瞬間に何が起きたのかは理解出来なかったが、そぐ傍に居たはずの雨の姿が消えていた。
「あぐ……!」
「……!? あーちゃん!?」
風圧によって大きく吹き飛ばされたのか、雨は私のすぐ後ろの木の根本で横たわっていた。
私が慌てて近寄ると、雨は横倒れになって悶えていた。
見たところ、背中を打ち付けた衝撃で呼吸困難に陥っているようだったが、背中に目立った傷は無く、生い茂った草木がクッションになって多少なりとも衝撃が和らげられたようだった。
「お、おい!? しっかり!?」
「しん……ぱい……すん……な。この子も無事……だ……」
雨は何かを抱えるような態勢で横たわっていたが、その腕の隙間からクマゴローが顔を覗かせた。
どうやら、あの一瞬の出来事の間に子猫を庇うように抱き抱え、両手が塞がっていながらも衝撃を和らげるよう受身を取ったようだった。
(さすがあーちゃん……。咄嗟の状況判断能力は以前と変わってないな……)
『悪い。久々に力を振るったからか、手加減を誤ったようだ』
今の一瞬で、私は改めて今の私達とエゾヒに大きな実力差が存在することをまざまざと実感させられた。
それは大人と子供といった程度の問題ではなく、単純な力や小手先の技術だけでは埋めようもない次元――マシンガンを持った相手にナイフで戦うならまだ易しく、戦闘機相手に弓矢で応戦とか、生身で巨大ロボットに挑むとか、それほどまでに次元が違った。
ようするに、今の私達にはエゾヒに対抗する術はない。
なぜなら、
「……」
静寂を掻き消すように唐突に小雨が降り始め、辺りは数秒も経たないうちに雨音に包まれた。
「あ……アンタの狙いは私だけのハズでしょ……っ!? 他の人間には手を出さないで……っ!!」
『違うな。我の目的は、シャイニー・レムリィに復讐することだ』
エゾヒのその発言で、この茶番がバレていたのだろうかと私は内心ながらに焦った。
だが、それは杞憂のようだった。
『……今のお前を倒しても……我のこの憤りは治まらない……のだ……! 他の奴等を連れて来い……! そして、その時が決着の時……だ……!!』
「……?」
復讐心の胞子が再び渦を巻き、エゾヒへと収束してゆく様を眺めながら、私は少しばかり安堵していた。
(これでハッキリした……。エゾヒは、あーちゃんがシャイニー・リインだと認識していない……)
「……わかった。他の二人を連れてくるから時間をくれない?」
私のことは一目でシャイニー・レムであると判り、雨のことがわからないとなると、やはり見た目が以前と違いすぎるからなのだろうと考えられるが、兎にも角にもこの状況は上手く利用できるだろう。
(今は時間を稼いで、エゾヒへの対応策を考えるのが最優先……。あーちゃんの存在がバレていないのなら、巻き込まずに済むかもしれない……)
『良いだろう。だが、長くは待てんぞ』
「え~っと、二人とも遠くに居るから三日はかかりそうなんだけど?」
苦しい嘘ではあるが、半分は本当だった。
雨はこの場に居るものの、祈莉は海外に留学中であり、いきなり呼び戻して三日で戻ってこれるか――というと、現実的には難しくないだろう。
では、私はなぜ敢えて三日と提示したのかというと、それには理由があった。
『それならば、仕方あるまい。三日くらいなら待ってやる』
相手を怒らせない範囲かつ、こちらがそれ相応の準備を整えるのに十分な時間を目算し、提示した。
明日や明後日だとこちらの準備が中途半端になる可能性があったし、一週間だと相手を怒らせて状況を不利にしてしまう危険性も少なからずあった。
戦うにしても、身を隠すにしても、最低でも三日は欲しいところだと考えてのことだったが、そんな私の思惑を悟ってなのか、相手も一枚上手だった。
『しかし、お前たちが逃げることも考えられるからな。コイツは預からせてもらう』
「なっ……!?」
そう告げると、エゾヒはその場で大きく跳躍、そして一瞬で私たちに接近すると、倒れていた雨を肩に担ぎ上げた。
例えるのなら、猛獣と対峙してしまったときの危機感と恐怖と言うべきか、そんな境遇を経験したこともないというのに、そう錯覚させてしまうほどの心理的恐怖に、心臓が張り裂けそうなほど早く鼓動しているのが感じとれる。
なんとしてでも、その行動を阻止しないといけない状況なのに、私の体はピクリとも動かなかった。
『他の二人を連れて、三日後にこの場所に来い。そうすればこの
そのまま背を向けて歩き出し、雨を連れて行こうとすれ違うエゾヒを、私はただ俯きながら目を逸らすことしか出来なかった。
――パリィーン!
『何の……真似だ?』
エゾヒの大きな背中に小瓶は見事命中し、砕け散った。
「ダメ……! 今すぐ、その子を離して!!」
私は恐怖を振り払い、カバンから取り出した小瓶をエゾヒに向かって投げつけた。
しかし、投げつけた聖水はまったく効いている様子は無く、雨水に流されて威力が半減しているのか、それとも今の私が精製した程度の聖水では少しのダメージも与えられないのか――いずれにしても、状況が好転することはなかった。
『お主が約束を守れば、必ずこの娘は返すと約束する。だが、お主がその気なら、今すぐ相手になっても良いぞ』
「っ……!」
(――ダメだ。今エゾヒと戦っても、まるで勝ち目は無い……。だけど、このままではあーちゃんが連れ去られる……。そうなったら、三日後にあーちゃんが無事だったとしても戦いは避けられない……。考えろ……考えるんだ……。今、私がするべきこと……とるべき行動……。きっと、何かあるはず――)
――ガサッ!!
結論が出ないまま思考を巡らせ続けていると、突如、草むらから現れた影に腕を掴まれ、私の体は草むらに引き摺り込まれた。
「――こっち!!」
「なっ!? 待っ……!? あーちゃんが!? あーちゃん!!」
何が起きたのか理解できぬまま、私は手を引っ張られるままにその場を立ち去る形になった。
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