第74話 暴かれる素顔



 そして動画は廊下を歩く枢の視点がしばらく続いていた。そして。


『あ!磐座先生!どこ行ってたの!?今日の発表会の打ち上げの店の話出てたよ!みんな先生の好みを知りたがってるんだよ!ほんと人気だよね。ははは。ところで俺今日は鍋食べたい気分だから、先生からそれとなく幹事に伝えてくれないかな?ははは!』


 廊下の向こうから現れたのは学生時代の俺だった。能天気でヘラヘラした態度。若かりし頃の傲慢そうな笑み。


『私を顎で使おうとするのって君くらいだよね。ほんと…君だけだよ…』


『…どうしたの?なにかあった?』


 動画の中の俺は心配そうな顔をしていた。そして画面に向かって手を伸ばしてた。枢はその手を払わなかった。


『誰か見てたらどうするの?』


『別にばれてもいいよ。そん時はそん時だよ。それより今の枢の方が大事だから』


『…ありがとう…好きだよ…』


 そして画面が俺の方へと寄っていった。何をしているかは画面には写っていない。だけどちゅっというくぐもった音が響いていたのだ。


『いいの?他の人たちにバレちゃっても?』


『いいよ。私も他人に見られてもいいって思う日があるんだ。むしろそうだね。見せてやりたい…愛してるんだって。愛されてるんだって。見せてやりたい…ちゅ…』


 よく覚えてる。珍しく枢からキスしてきたんだ。枢は慎ましいというか、奥手というか、人前でいちゃいちゃするのをさけているところがあったし、自分から俺に求めるようなことはあまりなかった。でもその日は違った。


『…ちゅ…ん…。ねぇ打ち上げなんだけど…二人きりがいい…』


『…ふふ。俺は望むところだけど。珍しいね。なんか悪い子みたいだよ』


『今日はいい。悪い子になりたい気分だから。見せつけてやりたい。私だってこんなことできるんだってね…ちゅ…』


 そして動画はそこでフェードアウトした。火威はガタガタと体を震わせてる。たぶん10年越しの失恋だ。きっとさっきの踊り場の光景はあいつの痛い思い出だったはず。そしてそれにはもっと痛い続きがあった。自分がやろうとして拒絶したことと同じことをやっている男がいた。それはどれほどの苦痛だろうか。だからちゃんととどめを刺してやらないといけない。俺は他人の恋をきちんと終わらせられるいい奴になってやろうと思うんだ(笑)。俺は火威と目を合わせて、にっこりと微笑んだ。


「その日は燃えたよ。枢はベットの上でも慎ましい女でね。いつも俺のぎゅっと首筋に抱き着いて、顔を見せないようとしない女だったんだ。でもその日は違った。枢は俺に跨って腰振ってた!」


「やめろ!言うな!」


「もう一度言ってやる!枢はまるで淫乱な夢魔みたいに俺の上で腰を振ってた!まるで貪るように!あの赤い瞳が熱で濡れていた!いつも理知的で優しい色は欠片もなかった!自分が気持ち良くなるためだけに腰を振り続けてた!ひゃははははは!!なあ!どうせ心の片隅では現実を認めてなかったんだろう?枢はきっと男と寝ても楽しんではいなかったなんて馬鹿げた言い訳を考えてた!ばーか!枢は気持ち良くなるために舌を絡めることが出来る女だった!枢は俺を求めて腰を振れる女だった!幻想は捨てろ!枢は色を知っている!!あーはははははははははははは!俺が教えたんだよ!あはははははははは!ひーひーははははひゃあはははははぎゃはははっはははははは!!!!」


「もう黙れぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 火威の怨嗟に満ちた声が俺の耳に響いた。そして同時にひどく嫌な予感が俺の首筋を震わせた。


「分子間力否定。心停止。生体電流停止。人体発火。超振動」


 火威が俺を睨みながら、物騒な単語をぶつぶつと呟いている。俺の体にはマリリン特製のタリスマン魔術防壁が刻んである。このタリスマンは暗示や幻術への抵抗性の獲得。さらには人体への分子間力否定や人体の超高速振動やパイロキネシスや臓器運動の停止の呪い等々を含めた様々な殺傷性が高すぎる異能力の直接作用への防御フィールドなどを提供している。今そのタリスマンからいくつかの超危険スキル術式が俺の体へ直接作用してきて、タリスマンがそれを防いだことを伝えるアラートが俺の脳内に響いてきた。それらをかけてきているのは、目の前の火威だ。探知スキルによれば、火威の競技用デバイスは作動していない。枢のメッセージ通りだ。今の火威は超危険術式を現在進行形でマイニングしながら俺に向かって使用してきている。つまり殺す気満々ってことだ。


「駄目だな…どれもこれも防がれてる…忌々しい早く殺させろ!!…ならば…対象のタリスマン『鑑定』…『解析』…『検索』…あった!穴があった!はは!『超高速マイニング』…術式構成!発動!『重力否定』!!!」


 そして火威が俺に向かって異能スキルを発動させた。すると俺の足がふわりと地面から離れた。そしてそのまま体はぷかぷかと浮き続ける。そしてその速度はどんどんと上がっていく。地面の観客たちから悲鳴が起き上がっているのが聞こえる。テレビカメラや動画配信のカメラもバッチ俺を撮っている。


「…ははは!行けよ!そのまま飛んでいけ!枢を抱ける男は遥か高みに行く資格があるんだ!だからそのまま、空に向かって飛び続けて帰って来るなぁ!!ははあはあああ!!」


 火威はまさしく狂気の笑みで顔を歪めている。俺にかけられた異能スキル術式の『重力否定』は対象にかかっている重力を否定するスキルだ。これがかかると徐々に重力が弱まっていき、地球の遠心力の影響をもろに受けるようになる。そしてはるか上空まで飛ばされてしまうのだ。俺の体は飛んでいく。だけど何処かに捕まるところなんてない。そしてタリスマンでは対策に漏れがありこのスキルの効果をカットできていない。このままだと俺は遥か彼方に吹っ飛ばされて死ぬだろう。だけどね。


「あいにくだが火威君。俺はマリリンと結婚したから地に足がついた立派な大人になったんよ。こんな術式じゃ俺は倒せん!とぅ!」


 ツリーズビルより少し高いくらいの場所まで飛ばされたころに、俺は空中で少し体を捻った。そして地面に向けて顔を向けるようにした。空に向かって足を延ばす。俺は地面にいる火威を睨みつける。


「はっ!死ぬ前に地上の事を目に焼き付けたいのか?!ははは!せめてそのくらいのセンチメンタルは許してや…あれ?空の上に立ってる?それに浮遊が止まってる?馬鹿な…何のスキルも使用してないのに?!なんで空中で止まっているだ?!」


 そう俺の体は空中で止まっていた。だけど異能スキルは使っていない。


「調月学長もいいこと言うよね。不思議なことが起きてもそれは異能スキルのせいとは限らないってね…!雲竜刑事!偽装解除!!」


『了解!!』


 雲竜刑事のマイク越しの声が響き渡る。そして俺の足元に突然ヘリの姿が現れる。ヘリは異能スキルの光学迷彩でその姿をずっと隠していたのだ。同時にローター音もスキルで漏れないようにしていた。ヘリは夜の闇の中に完全に溶け込んでいたのだ。全部俺たちの作戦だ。火威に『重力否定』を使用させるための準備だった。


「なっ?!ヘリだと?!」


 俺が足を止めていたのは、空中で待機していたヘリの底面だったのだ。俺が浮遊する力は遠心力に過ぎない。だからヘリに着地してしまえばそれ以上は進まない。ただそれだけのこと。


「さて!いい空の旅だった!お前にも味合わせてやるよ!火威!!」


 俺は袖に隠していたワイヤーのついたアンカーを異能スキルの力を使って火威に向かって飛ばす。

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