第73話 与えられない男
俺の前で動画を見る火威の顔がどんどんと険しいものになっていく。
「こんなものが残っていたのか…?…いやそれよりも…枢の声が…ああ…」
だけど同時に枢の声を久しぶりに来たからだろう。どこかうっとりと陶酔した様子にも見えた。本当に気持ち悪い男だ。
「お前、特許権を揺るがしうる映像を前にしてもブレないんだな…」
特許権をひっくり返すことは出来るだろう。裁判での争点は映像の真正性になるだろうが、雲龍刑事は当時あの場にいた人の証言を掴んできてくれている。裁判には勝てる。だけど特許権そのものを取り戻すことそのものは、今やそこまで重要ではない。もっと重要なのは、動画の後半。火威と枢が二人きりで話している部分。俺も異能デバイスを使って、網膜に動画を投影する。再生速度は火威が見ているものに合わせる。動画の中の二人は校舎の踊り場にいた。枢の姿が火威の後ろの鏡に映っていた。
『待ってくれ枢!さっきの話、真剣に検討してくれ!!』
『さっきも言ったけど、私はビジネスには興味がないの。この世界の真理の探究と、後進の育成と、スピンオフ技術を使った社会への貢献と、あとは適度に啓蒙活動ができればそれでいいの』
『まだ誰も気づいていない!あのアルゴリズムがあれば巨万の富が得られる!その金を使ってやりたいことをやればいい!2人で会社を興そう!大丈夫だ!おれになら出来る!任せてくれ!やっとチャンスが来た!おれが成り上がるチャンスが!枢をおれの手でこの世界の高みへと連れて行くチャンスが!』
『ねぇ火威君。あなたはなんでそんなにお金に、いいえ、権力を志向するの?』
興奮気味に身勝手な野望を語る火威に、枢はどこかやるせなさげにしていた。
『権力があればなんだって自由にできるからだ!馬鹿どもを跪かせるも良し!美食を堪能するもよし!この世の悦楽は権力があって初めて味わえる!枢!あの技術を使って権力を掴もう!そして二人でこの世界を愉しみつくそう!枢!俺がこの世界の楽しみを枢に全て教えてやるから!だから!だから!』
『だからあなたの手を握れってことかな?私にはもう大事な人がいる。火威君。あなたの手を握ることは私には出来ないよ』
『そんなの間違ってる!枢!そいつとおれと比べてみろ!おれに勝る男などこの世界にはいやしない!枢は騙されてるんだよ!』
『私は好きな人になら騙されてもいいよ。だって愛しているんだからね。それでもいい。ねぇ火威君。私は権力には興味がないんだ。そんなもので得られる幸福は、きっと何か別のものと交換できるようなものばかりだよ。私はなにものにも代えがたいものだけが欲しい』
『代えがたいもの?それはなんだ?欲しいものがあるならおれが必ず与えてみせるよ!言ってくれ!』
『わたしが欲しいの愛だけ』
『おれは枢を愛してる!』
『あなたのそれは愛ではない。だってあなたのそれは他人から何かを奪うだけだから。私が欲しいのは与える愛だよ。あなたは他人に何も与えられない男だ。他人から奪ってばかり』
『他人から奪うことの何が悪い?この世界は奪い合いだろう?居場所も金も異性も。すべては奪い合いの果てに得られるものだ。もちろんおれは奪い取って来たものは全て枢と分かち合う!だって愛しているから!』
『私は他人から奪ったもので、心や体を満たしたいとは思えない。それはきっと気持ちのいいものではない。そんなもので腹を満たしてばかりだと、いつか心がボロボロになってしまうよ。火威君。あなたの活動はよく知ってる。イベントサークル活動で成果を出しているね。テレビ局すら注目するようなチャリティーイベントを興行してみせたね。でもそのために世間知らずの女子大生たちを騙して大人の男に体を売らせた。それで企業のスポンサーを稼いだね?いったい何をやってるんだ君は?』
『だからなんだ?体しか価値がない女たちだよ。枢。役に立たない奴を役に立つなりに使おうとすればそれくらいしか仕事がないのは当たり前だろう?おれはあいつらの何かしたいというやる気を満たす仕事を与えてやっただけだ』
『私はあのイベントのおかげで恵まれない子供たちへの寄付をたくさん集められた。あなたには感謝してたよ…。感謝してたんだ…!』
『そうか!よかった!ああ!頑張った甲斐があったよ!枢が喜んでくれるならまたすぐにやるよ!今度はもっともっと寄付を掻き集めてやる!枢はそれを使っていくらでも人を救えばいい!おれは枢が人を助ける姿を見ると心が温かくなるんだから!』
『あなたには私の気持ちが全然わかってない!わかってない!わかってない!あなたは本当に他人から奪うだけ!…沢山の寄付金で救われる人たちが沢山いた。でもその金を集めるためのイベントをやるために、心と体を傷つけられて女の子たちが沢山いた…!なんなのその理不尽!全然釣り合ってない!何も釣り合ってない!誰かを助けるために、誰かが傷ついてた!そんなのおかしいよ…。私は知らなかったとはいえ、あなたに感謝してしまったの…。それがあまりにも…悲しいよ…ああっ…!』
鏡に映る枢の瞳には涙が浮いていた。
『火威君…!あなたは悲しい人だよ…何もわかってない…あなたは私を聖女か何かのように扱ってる…』
『おれは枢がこの世界で一番清らかな人だと知っているだけだ』
『あなたは私のことを何も知らない。知らないなら知らないでもいい。でもじゃあなんで、清らかな私が好きだというならば、この世界にあなたは汚辱をばら撒くの?どうして他人からそんなに簡単に何かを奪えるの?どうして奪ったものを私に捧げようとするの?いやよ…そんなのいや…いや…』
『枢…泣くな…悲しいならおれがそばにいる…』
火威は心配そうな顔で枢に手を伸ばした。だがその手を枢は払ったのだ。
『触らないで!!あなたに触れられたくない!あなたの手は人から奪う手だ!』
『おれは枢からは何も奪わない!おれは枢が望むものならなんでも与えるから!!』
『じゃあいますぐに誰かに何かを与えてみせなさい!!今すぐに!私以外の誰かに!愛を与えなさい!!』
枢は涙で滲んだ目で火威を睨んで怒鳴りつけた。火威は顔を青ざめさせて狼狽えていた。
『…ほら…出来ないんでしょ…。だってそういうことをしてこなかったから。あなたは人に与えてこなかった。何もかも奪ってここまで来てしまった。…私が愛している人は与えられる人だよ。…だからその人を選んだ。彼は人に何かいいものを与えられる人。この世界に足りないものを与えてくれる人。私はね、他者に何かを与えて、そして返ってくるもので生きていたいの』
『枢。それは間違ってる。この世界は競争だけだ。他人に何かを与えたって、何も返ってこない』
『違うよ火威君。あなたには見えてないだけ。ちゃんと与えたら返ってきてるんだよ。この世界の何処かにいる神様はちゃんと見てるよ。火威君。ごめんね』
『何で謝る?枢はおれにわるいことなんてしてないだろう?』
『私はあなたに与えてあげたかったよ。あなたに欠けているものを埋めてあげる何かを与えてあげたかった。でもごめんね。私はもう愛してる人がいるから。残念だけど私ではあなたのかけている部分は埋めてあげられないんだ。…火威君。もう私には執着しちゃ駄目。あなたはあなたの欠落を自覚しないといけない。でなければ永遠に奪い続けるだけの寂しい人のままだよ。だから私のことをあなたは忘れなきゃ駄目。忘れて私のことを。そして自覚してね。あなたの欠落を。それを埋められる何かを…頑張って探しなさい』
枢は手の甲で涙を拭きとって、火威に背中を向けて階段を降りていく。画面からは火威の姿が消えたが、焦っている声は聞こえた。
『枢!待ってくれ!』
『追いかけてこないで火威君。私はこれから愛する人の所へ行くの。貴方に耐えられる?私に与えて満たしてくれる男と比べられたい?それでもいいならいいよ。私を追いかけてきなさい』
『うっ…!枢!待ってくれ…行かないで…!』
枢は火威の声を無視して、歩いていく。
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