第70話 愚かなる雄たちに捧げる盃



 樹の独演にみんなが夢中になっていた。


『ハルトくうううううううううぅぅぅんんん!!お前をぶん殴る前に、まず一つお前の間違いを正しておこうと思う!というかお前だけじゃねぇ!磐座枢の祈りと願いに翻弄される全員に俺は言いたいことがある!どいつもこいつも枢の言葉を曲解して自分のエゴにすり合わせるのはやめろ!!!不愉快なんだよ!!!うーーーーーーーーーらーーーーーーーーーーーー!!!』


『『『『『うーーーーーーーーーらーーーーーーーーーーーーー!!!』』』』』


『枢は確かに世の為に、人の為になることをしたがる女だった!まるで聖女のように人々に施し、教え諭し、導き労った!俺もその一人だった!長い迷いのトンネルの中で足掻いていて、彼女に自分の傲慢と蒙昧を祓ってもらい、未来を照らしてもらった者の一人だ!だけどな!枢は!枢は!そんなんじゃなかった!お前たちが考えるような聖女じゃなかった!…お前らは彼女のことが!枢の事が何にも見えてない!お前らは彼女の涙を知らない!彼女の嘆きを知らない!彼女の悲しみを知らない…!!うーーーーーらーーーーーーーーー!!』


『『『『『『うーーーーーーーーーーーーーらーーーーーーーーーーーーー!!!』』』』』』


『枢は優しかった。優しすぎた。俺はそれが嫌いだった!大嫌いだった!いつも誰かに優しくする事ばかりを考えている彼女の事が大嫌いだった!でも違った!違った!彼女はいつも俺の隣にいたんだ!いてくれたんだよ!!お前らは枢のすべてを知りもしないくせに、彼女の上っ面ばかりを見て知った気になってる!お前の事だ!火威陽飛!お前の事だ!上っ面ばかり!枢の上っ面ばかりを追いかけ続けている!それは枢ではない!お前は何も知らない!枢の事を何も知らない!知ろうとしないから、いつまでたっても執着し続けてる!くだらない!お前は枢を抱けたわけでもないのに、自分のものであるかのように思い込んでる!そう語っては自分を慰めようとしてる!その身勝手なエゴを貫くためだけに他人を生贄にして傷つける!ゴミカスストーカー野郎!これを聴け!!うーーーーーーーーらーーーーーーーー!!』


 樹はスマホを出して、それにマイクを近づけた。するとそこから女の声が響いた。


『樹君。ずっと愛してます』


 それは枢の声だった。火威の顔が凍り付く。合成で作られた不自然な声ではなかった。それは異能者であれば本物だとわかるような、愛の籠った優しい声だった。


『わかったか!わかったかこの野郎!枢は俺の女だ!お前のもんじゃない!お前の一方的な思いにはうんざりなんだよ!!だからこれは挑戦じゃない!俺はお前を討伐しに来た。枢はもうこの世界の何処にもいない!だけど彼女の愛だけは俺の心に残ってる!だから枢は俺の女だ!永遠に俺だけの女だ!誰にも文句は言わせない!だからお前にわからせてやる!お前の愛は偽物だ!うーーーーーーーーーーらーーーーーーーーーーーーーーーー!!』


『『『『『『うーーーーーーーーーーーーーーーーーーらーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!』』』』』』


 樹は表彰台から降りて、闘技場に昇る。その中心に立って思い切り叫ぶ。


『かかって来い!火威陽飛!お前のすべてを俺が否定してやる!決闘だ!誰の邪魔もなく!みんなの前でお前を否定し尽くしてやる!うーーーーーーーーーらーーーーーーーーーーーーー!!!』


「望むところだ!!!神実樹いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」


 繰り返される挑発にキレてしまった火威はビルの屋上から叫びながら飛び降りた。そして念動力を駆使して、華麗に飛んで闘技場にいる樹の目の前に降り立った。


「…うわぁ…男ってマジで馬鹿なんですね…ああ…もう…昔から全然変わらないなぁ…ふふふ…全然変わってないんだね…」


 桜色の女は樹の事を微笑みながら見詰めていた。


「お知合いですか?」


「それはハゲには関係ないことですね。さて匕口さん。あなたが火威さんの護衛なのはわかっていますが、この状況です。あの二人はこれから水入らずでたった一匹の、とうの昔に死んだメスをかけて決闘するわけです。その決闘に他の者が割り込む要素はありません」


「くくく、確かにその通りだ。つまり僕もあなたも手が空いてしまったわけだ」


「そうです。そして神実樹の書類上の妻であるマリリン・ハートフォードは極めて優秀な異能力兵士です」


「マリリンちゃんが書類上の妻?彼女はちゃんと奥さんやってますよ」


 匕口の突っ込みに、桜色の髪の女は舌打ちをする。


「っち。肉体関係のない妻がヴァージンのままである白い結婚は本物ではありませんよ。だから書類上の妻という言葉は間違っていない。そんなことよりも大事なのはハートフォードさんの姿が見えないことです。もうわかりますね。これは罠です。あの決闘の目的はこの際どうでもいい。火威さんがあそこで負けようが勝とうがどっちでもいい。社長には替えがききます。ですが事業には替えがきかないのです。地下のウルザブルンサーバーにハートフォードさんを決して近づけないでください」


「おや?つまりマリリンちゃんと戦ってもいいと?」


「ええ。どうぞお好きに。殺してくれても構いませんよ。むしろ今後のラタトレ事業の展開を考えるならば、ハードフォードさんはとてもとても邪魔になりそうですしね。ここで後顧の憂いを絶っておくのもいいでしょう。火威さんもこの状況ならハートフォードさんを殺しちゃっても文句は言わないでしょう」


「くくく。わかりました。ウルザブルンサーバーは火威社長も大事にしてましたしね。この匕口魁。神実マリリン・・・・・・の暗殺を実行しましょう!」


 匕口はニヤニヤとした笑みを浮かべながら、マリリンのフルネームをわざと間違えた。


「神実マリリン?違うでしょう?マリリン・ハートフォードでしょう?言葉は正しく使いなさい。それはビジネスの鉄則ですからね」


 笑みを浮かべてはいたが、女の口からは酷く冷たい声が漏れた。匕口はその女の様子に震えるほどの愉しさを感じてしまった。


「これは失礼しました。ところで一つご忠告を」


「なんですか?」


「素直な女が最後に勝つものですよ」


「とっととその禿頭の如く綺麗にわたしの前から消えなさい。次に会う時は任務完了の報告を期待します」


「これは失礼しました。ではまた」


 匕口はその場からふっと姿を消した。そして女だけがその場に残された。女は近くにいるウェイトレスを呼びつけて。


「ロングアイランド・アイスティーを一つ。つまみはチーズをお願いします」


「あのお客様。未成年の方にはお酒はお出しできないんですよ」


 ウェイトレスはブレザー制服を着ている女に怪訝な視線を向けていた。


「ご安心を。この恰好はただの…そうね…ただの若かりし頃の未練のコスプレに過ぎません。わたしは見た目通りの年齢じゃないです。あなたよりもずっとずっと上です」


 桜色の髪の女は免許証を取りだして、ウェイトレスに見せつける。


「え…?!うそ?!30超えてるんですか?!全然見えない!全然老けてないんですね!羨ましい!」


 そしてウェイトレスは注文通り、カクテルとつまみを持ってきた。そして女は闘技場で睨み合う男2人を見ながらひとりグラスを掲げて。


「黄金の林檎を投げた不和の魔女、そして愚かなる魔王と、愛しき勇者に…。乾杯」


 そして闘争の夜がはじまった。

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