第69話 魔女の影

 闘技場がある芝生の広場には、洒落たデザインの小さなビルが建っていた。そこにはハイセンスなカフェやバーが入っており、観客の一部はここで飲食を楽しみながら試合を観戦していた。そのビルの屋上には洒落たバーレストランがあり、今日は火威が貸切っていた。闘技大会イベントの応援パーティーという名目だった。ラタトスク社社員たちが豪華な食事と酒を愉しみながら、これらか行われるであろう決勝を今今かと待ち望んでいた。


「よかったですね。神実殿が参加してくれて。ぶっちゃけスルーされると思ってましたよ。彼らは戦いそのものにはうんざりしている感じでしたしね」


 匕口あいくちらんは会場でマスコミに囲まれている樹の事を見ながら楽し気な笑みを浮かべている。彼には一つ予感があったのだ。今日ここで彼は何かを起こしてくれる。その流れに乗れば、匕口は間違いなく愉快な闘争に身を委ねることができるであろうと。


「まあな。このイベントはあいつを殺す前に、公衆の面前で辱めるいい機会だ。神実樹は学生時代異能格闘の学生チャンプだったから腕自慢だろう。それを堂々と倒す。プライドが傷ついて仕方がないだろう。あの金髪の女も自分が選んだ男が、別の男に負けるのを見て幻滅するだろう。想像するだけでも愉しいじゃないか…くくく」


 火威ひおどし陽飛はるとはソファ席から会場を睥睨して、一人嗜虐的な笑みを浮かべている。成功者らしくシャンパンで満たされたグラスを片手に掲げている。そして周囲にはモデルや芸能人の美女たちを侍らせていた。この絵に描いたような成金趣味は武芸者である匕口には好ましいものではなかったが、この様に自分の権勢に酔いしれて、樹相手に幼稚な逆恨みをぶつけてくれたからこそ、こうして戦う機会が巡ってきた。それには感謝していた。


「まずはうちの社員たちの力を示してやろう。おれが育てたラタトスクの力をあいつに見せつけやるんだ。あいつの会社にはあの金髪の女以外の正社員がいない。社員の数こそが会社の力なのに、憐れな奴め!そうだな。まずは取り囲んでぼこぼこに…」


「量より質の方がずっと大事ではないでしょうかねぇ?わたしはそう思いますよ。火威さん!」


 いつの間にか火威の席の近くに、桜色の髪の女がいた。相変わらずの女子高生のブレザー制服を身にまとっている。


「っち!お前たちとは手を切ったはずなんだがな。何しに来た?」


 桜色の髪の女は金色の瞳をどこか悪戯っ子のように歪めている。火威の周りにいる美女たちにしっしと手を振ってどかした。そして火威の目の前に座る。


「あなたの敗北を見届けに来ました」


「ほう?おれが負けると?ありえない話だな!神実樹ごとき小物ではおれは絶対に倒せん!」


ごとき・・・?はは!笑えるジョークですね!磐座枢はその神実樹ごとき・・・と結婚の約束までしていたんですけどね!ははは!」


「…枢は無垢だったから騙されてしまったんだ。過ちは誰にでもあるものだ。だがその穢れは必ず掃えるものだ。おれはこれから神実樹を殺してそれを証明してみせるとも」


「あなたのくだらない妄言は聞き飽きましたよ。あんな女の何処がいいのやら…はぁ…彼も彼です。救いがたいほど愚かです。磐座枢に咥えこまれるなんて悪夢以外の何物でもないのにね」


 どこか寂し気に声を震わせながら、桜色の髪の女はそう呟いた。その視線の先には樹の姿があった。


「どんな男も枢と共にありたいと願うに決まっている。…おや?お前は何処を見ている?…お前まさか…はは!なんだ!?お前もそうか!ははは!そうかそうか!お前は枢に嫉妬を…」


『挑戦?違うよ。俺はハルトくうううぅんにわからせに来てあげただけだよ。お前の夢はそもそも前提からして間違っているってね』


 会場の方からマイクで響く樹の声が聞こえてきた。三人は樹に視線を向けた。樹はマスコミからマイクを奪って、近くに準備してあった表彰台に勝手に上ってしまった。


『ハルトくぅううううん!聞こえてるかい?!何処にいるかわからんからとりあえず叫んじゃうぜ!うーーーーーーーーーらーーーーーーーーーーーー!』


 マイクで思い切り叫んだせいで、周囲一帯にハウリングが響き渡った。


『ハルトくぅううううううん!きっと上級国民らしくどっかから俺の事をにやにやと熱い目で見下してるんだろうけど、そんな羨ましい生活は今日限りだ!俺はお前をぶちのめす!その玉座からお前を引きづり落としやるんだ!うーーーーーーーーーーーらーーーーーーーー!!』


『『『うーーーーーーーーーらーーーーーーーーーーーーーー!!!』』』


 樹の不思議なカリスマが、会場の観客の心を掴んでいた。彼が叫ぶと、観客たちもまた楽し気に叫ぶ。


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