第54話 世界樹の根元にある聖なる泉について
東京でも屈指の大きなビルである六本木ツリーズビルには、つねに多くの人々が行きかっている。それは深夜を過ぎてショッピングモールやオフィスエリアから灯りが消えた後もそうだ。ビルっていうのは常にメンテナンスをする必要がある。多くの場合オフィスの工事っていうのは、深夜に行われるものだ。俺とマリリンは脅迫して協力者に仕立て上げた当原が率いる20名ほどの電気工事チームに潜り込んだ。こういった作業員へのチェックっていうのはあくまで形式的なものでしかない。作業服を着た俺とマリリンは全く疑われることなく、ラタトスク社のオフィスまでたどり着くことが出来た。当原の工事チームはオフィスの床板を剥がして、電気配線を弄るのがお仕事だ。当然俺たちはそれには参加しない。狙いはあくまでもサーバールーム。
「あんたたちが何をするのかは知らないが、上手くやってくれよ。撤収は朝の五時だ。それまでに終わらせろ」
「わかってるよ。んじゃ朝になったらよろしくぅ」
俺たちは当原に声をかけて、電気工事チームから離脱し、オフィス内を悠々と歩いてサーバールームへと向かう。オフィスには社員が全然いなかった。すでに深夜を過ぎている以上、社員が残っていることはあり得ない。ラタトスク社は癪なことだが、労働状況はかなりいいので、残業で社員が残ることはほぼない。だから警戒を恐れる必要はなかった。サーバールームへはいくつかのゲートをくぐる必要がある。だがそれらは福永から奪ったIDですべて簡単に突破できた。ラタトスク社のオフィス内部には監視カメラがない。火威はオフィスの監視までは行っていない。むしろ監視カメラに映像を残して、なんらかの証拠になることを恐れているのかも知れない。そこら辺は事前に雲竜刑事が情報を仕入れてきてくれたおかげである。俺たちは最後にサーバールームの扉をIDカードで開けて、中に入った。
「さて。案外簡単についてしまったね。サーバールーム」
「ええ、早く終わらせましょう。この部屋は寒すぎるもの」
サーバールームはかなり広く、その上ひんやりとしていた。PCサーバーっていうのは常に放熱している関係で、空調を使って上手いこと冷やし続けないとすぐに壊れてしまうからだ。サーバールームの中心にコンソールモニターが固まっておいてある作業机があった。そこには社員たちのであろうのーとPCが雑然と置いてあった。俺たちはその作業スペースの席についた。そしてラタトスク社の業務サーバーの管理コンソールPCに、持ってきたハッキング用のノートPCを繋いで、ハックを始める。
「ここがあの世界最大の異能スキル術式取引マーケットアプリ『ラタトレ』のサーバーも兼ねているのよね。ねぇイツキ…その割には…」
ハッキングツールそのものは事前にプログラムを組んでおいた。必要な情報のみを抜き取って、持ってきたポーダブルのHDDにコピーするようにしてある。だから俺たちは警戒しつつも、おしゃべりに興じる余裕がそこそこあったのだ。
「ああ、思った以上にサーバーの規模が小さい」
「アルゴリズムを効率化して使用するサーバーの量を減らしてるのかしら?」
事前の情報では、このサーバールームにラタトスク社のアプリサーバーと社内業務用のサーバーがあることがわかっていた。いくつか存在している畳一台分くらいの床面積と1mくらいの高さのある大きな棺桶型サーバーが多分『ラタトレ』のサーバーだと思うのだが。『ラタトレ』は異能力スキルのマイニングアシストも行うアプリだ。異能力スキル術式のマイニングは人間がデバイスを使って人類の集合無意識にアクセスることで行うことが出来る。デバイス経由で人間が知覚した情報を各種アルゴリズムを駆使して、スキルの術式に変換するのだが。それには莫大な計算量が必要なのだ。異能デバイスでは絶対に計算し尽くせないので、こういった大規模サーバーにネット経由で接続し、サーバーに演算をやらせるのが一般的だ。このサーバー規模で、世界一アクセス数が多いマイニングツールを運営できるのかどうかは果てしなく疑問なのだ。
「…わからない。けど興味は湧く。ちょっと調べてみようか」
俺とマリリンは、ラタトレのアプリサーバーの管理コンソールPCに、予備のノートpcを繋いでハックする。
「すごいわね。めちゃくちゃ硬いプロテクト…というかここのPCって管理コンソールのくせにちっともアクセス権限が高くないわね?どういうこと?アプリは確かにここから提供されてるはずなのに…」
目の前の管理コンソールPCは順調にハックしているのだが、不自然に硬いプロテクトが張ってあった。ここからアプリの根幹プログラムに触れないようになっているのだ。調べた限りできるのは、アプリケーションのUIやUXを弄ったり、顧客情報に触れるくらいのものだった。DBにハックしてデータを吹っ飛ばしてやりたい欲求にかられるが、どうせ火威の性格上、ここを吹っ飛ばしてもバックアップがあるだろうし、それ以上に俺がここでハッキングしたことがバレて逮捕されかねない。
「マリリン…これ見て…。ここのサーバーはユーザーのアクセスをさらに何処かに投げてるんだよ。MVCモデルに例えるとすると、ここのサーバールームがやっているのは、ただのViewなんだ。異能術式のマイニングやトレードの処理はさらに別のところでやってる。サーバー構成の概略図はこれか…サーバーの物理的場所は…あった!え…?このビルの地下…?」
アプリ管理コンソールにあったサーバー構成のファイルを見たが、そこには基幹サーバーの物理的座標にこのビルの地下にある空間だと記されていた。
「地下?でもラタトスク社のオフィスはこの階だけでしょ?地下はツリーズビルの管理会社の所有空間じゃないの?」
「だけど表示が正しければ、アプリの根幹サーバーは間違いなく地下にある。謎のサーバー室のコードネームは『ウルザブルン』。どういう意味?」
「ウルザブルンは北欧神話に描かれる世界樹ユグドラシルの根元にあると言われる泉の事ね」
「何それ…?ラタトスクも北欧神話だったな。肖ってるのかな?中二病?ねぇマリリン。透視と遠見で地下を見てくれないかな?」
「わかった。やってみる」
透視スキルはかなりレアだし、市販のデバイスでは法的規制がかかって起動できないので世間ではそこまで積極的に対策がとられていないケースが多い。壁に透視を妨害できる異能スキル術式を定期的に人力でかけて対策するくらいだ。このラタトスク社のオフィスは古典魔術を用いて、透視をカットするのではなく、モザイクや靄がかかるように情報定義を歪めるっていう工夫をしていた。マリリンの透視は軍用なので超強力だ。だから近づけられれば妨害を超えて綺麗に覗けるのだが、そもそもラタトスク社は俺たちの接近に常に警戒をしているので近づけないから覗きようがない。だけど今はビルの中に侵入することが出来た。地下のサーバールームまでは直線距離で300mもないのだ。覗けるはず。
「…嘘…何…どうして…なんで何も見えないの?!」
マリリンが驚きで目を見開いている。
「イツキ。あたしの目でもサーバールームのある空間を覗けない…!モザイクや靄がかかるような透視への妨害じゃないの!覗いているのよ!なのにそこには『何もない』って判定が返ってくるの!意味が解らないわ!透視の目を透明になって誤魔化すような矛盾を感じる。意味わかんない…イツキ。Nullよ。Nullがあるの。あたしの邪眼にはそう見える。Nullが見える。そうとしか言えないの…気味が悪い…」
「確かマリリンの目は魔術系統だっけ?つまり概念操作みたいな抽象概念に依存する防護がとられてるってことなのかい?」
「そうね。そういう理解でいいわ。もうなんていうか言葉にしづらいわ。何もないということがそこに存在している。Nullがそこにある。そうとしか言えないの」
マリリンは床を睨みつけている。俺たちITエンジニアにとってNULLっていうのは嫌われ者の代名詞だ。プログラム組んでてこの言葉が出てくるときには、俺なら一瞬身構えてしまう。
「取り合えずこれ以上は放置しようか。どちらにせよ。俺たちにとって重要なのは、『ラタトレ』ではなく火威を追い詰める情報だ」
「そうね。とりあえずラタトレをぶっ壊すのはいつかの楽しみにとっておきましょう。そろそろ業務データの吸出しは完了…」
『くっそ…なんで忘れ物しちゃうかねぇ。はぁ…明日から出張なのに…』
その時だった。サーバールームの外から人の声が聞こえた。俺とマリリンはさっと身構える。
「くそ!オフィスには誰もいなかったのに?!」
マリリンが邪眼を発動させて、外を透視している。
「イツキ。ヤバいわ…。なんか探し物してるみたいよ。ねぇ。もしかして探してるのってノートPCじゃないかしら?」
俺とマリリンはコンソール前に雑然と置いてある、ノートPCたちに目を向ける。これの中のどれかの可能性が高い。つまりこのままだとこの部屋に社員が入ってきてしまう!
「くっそ!マリリン!データの抜き取りは?!」
「あと5分はかかる!」
計画にはなかったトラブルの発生に俺たちはピンチを迎えてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます