第9話 禊ぎの時、そして運命はまだ彼を望んでいた



「…どうして拘束を解いたの…。言ったでしょう?あんたを殺すって…」


 マリリンはベットの上から俺に銃を向ける。その顔には何処か戸惑いのようなものが見え隠れしている。


「お前の復讐は…正当なものだと思う。少なくとも気持ちはわかるよ」


「あんたがやったのに?!なのに気持ちがわかるって何よ!馬鹿にしてんの!?ねぇ!!」


「馬鹿になんてしてない。お前に比べれば俺の不幸はちっぽけだけど、それでも自分の力の及ばないことで、積み上げた物を全部失う気持ちはわかるんだ」


「ふざけないでよ!ふざけんな!わかるわけない!あたしのことなんてあんたにわかるわけない!わかられてたまるか!!」


 怒りと悲しさと寂しさとがないまぜになった顔で、マリリンはボロボロと涙を流し続ける。彼女のことが俺には少しわかる。俺は誰かの告発によって冤罪を被せられた。異能力実験で被験者からの実験データの取得に倫理違反があったと訴えられた。俺は不正なんてやっていなかった。だけど研究に使用したデータの中に、適切な取得方法が行われていない被験者の実験データが混ざっていたのだ。だけど俺はそのデータに身に覚えがなかった。誰かがわざと混ぜたのだ。だけどそれをいくら主張しても誰も信じてくれなかった。俺の指導教官だった一人だけを除いて。結果的にこのことは大事になってしまい、倫理違反を非難されて学会を除名処分、大学は退学に追い込まれた。友人も失い、恋人もいなくなり、俺は一人ぼっちになった。その後も研究不正のレッテルが尾を引いてしまったせいで、普通に就職するのも難しかった。俺はこれでもこの国で一番偏差値の高い大学にいたのに、ロクでもない会社にしか入れなかった。大学の同期たちが順調に出世していくのを横目に、安い給料でこき使われる日々。スキルを身に着けてフリーランスに転身してやっとまともな生活を遅れるようになった。だけどあの冤罪をかけられて社会から弾かれた日々から感じる寂しさは今も消えてくれない。いまでもこの世界が怖くておっかなびっくり生きている。どうなってもいいって思う自業自得な考えに支配される日もあって、そういう日は脅迫まがいのことで金を荒稼ぎして巻き上げて自分を慰めてみたりするんだ。


「なあ、聞いてくれないかな?」


「なに?命乞い?いいわよ!見っとも無く無様になんでも話しなさいよ!ちゃんと聞いてあげるわ!だってあんたのことをぶっ殺したいんだからぁ!!」


「論文をダークウェブに投下したのは俺じゃない。でも論文を書いたのは間違いなく俺だ。だから正直に言うよ。俺の論文が正しかったって10年越しだけど知れて、すごく嬉しいんだ…」


 俺の言葉にマリリンは奥歯を噛み締めている。今にも引き金を弾きそうなくらいに怒り狂ってるのがわかる。でも続ける。この子には俺の最後の言葉をちゃんと聞いて欲しいから。


「世間の人が勘違いしてることがある。科学的真理ってやつは特定の誰かにしか見つけられなかったり、思いつけないものではないんだ。誰かがいつかは辿り着いてしまう答えでしかないんだ。遅いか早いかだけ。俺が見つけた新しい異能の公式も、たまたま俺が一番早かっただけでいつか誰かが見つけてたはずなんだ」


「だから自分は悪くないと言いたいの?」


「いいや。見つけた俺が一番悪いんだよ。それが一番いいと思うんだ」


「どういうこと…。何が言いたいの?命乞いはまだなの?」


「マリリン。俺が一番悪いんだ。だから俺を殺したら、ちゃんと気持ちを切り替えて、楽しく生きろ」


「はあ?!何言ってんの!!あんたは何を言ってるの!!わかんない!全然わかんない!!」


 マリリンの持つ銃が震えてる。


「お前は今日ここで復讐をきっちりと終わらせるんだ。そして明日からは嫌なことをすべて忘れて楽しく生きろ。学校へ行ったり、友達を作ったり、恋人を作ったり、誰かと遊んだり。そういう普通の生活をちゃんと送るんだ。そして幸せになって、ちゃんと生き抜いて、死んでくれ」


「何馬鹿言ってんの?大切な人みんなもう死んでるの!あんたが殺した!なのにあたしだけ生き延びて!幸せになれるわけが!」


「なるんだ!!お前は生き延びたんだ!だからここで腐らないで幸せになるんだ!!俺を殺せばすっきりできるんだろう!こんなくそみたいな世界だけど俺を殺せばお前は少しでも正しいことが成せたって誇れるはずだ!そうしたら幸せになれるんだ!復讐を果たすんなら幸せになれ!絶対になれ!幸せになるって俺と約束してから!俺を殺せ!」


「黙れ!黙れ黙れ黙れ!だまれぇえええええええええええええええ!命乞いをしろ!死にたくないって喚け!あたしの兄弟たちが生きられなかった分を埋められるくらいに、生きることに執着しろ!そうしたら殺す!いっぱい殺す!喚けよ!命乞いをしなさい!死にたくないってあたしに泣いて縋れ!」


「残念だけど、俺の人生。お前が思ってるほど充実してないんだよ。だけどせめてお前がすっきりして、ちゃんと生きられるって言うならば、俺はお前にこの命をあげる」


「…馬鹿に…しないで…あたしは…あたしは…!」


「だから復讐が終わったら、もう泣くんじゃないぞ」


 俺は目を瞑って、深く息を吐いて、ソファに深く体を沈めた。死ぬならばせめて楽な体勢がいい。


「ああっ…あああ…っ!いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」


 そしてマリリンは引き金を弾いた。銃声が響き渡るのが聞こえた。ああこれで俺も死んだのか。だけどちっとも痛みが体にはしらなかった。それとも一瞬で死んだのか。でも体の感覚はちゃんとあった。目を開けると、そこには目を見開いて荒く息を吐くマリリンの顔が見えた。


「はぁ…はぁ…なんで…外れた…?!あたしが外した…?そんな…ならもう一発」


 俺の頭のすぐ右横の背もたれに少し穴が開いていた。どうやら弾はギリギリで外れてしまったらしい。そしてすぐにマリリンは再度引き金を弾いた。だけどそれはなぜか不発に終わった。


「…嘘…ジャムってる…なんで…どうして…なの…?神様が守ってるの?…あたしにはこいつを殺せないってことなの…そんなぁ…」


 マリリンの手から銃がポロりとベットに落ちた。するとその落下の衝撃で詰まっていた薬莢が銃から外れた。そして銃は暴発して、天井のライトを撃ち抜いたのだ。部屋はいきなり薄暗くなる。窓から差す日の光だけがマリリンの顔を照らした。


「…あー。その…どうする?もう一回撃ってみる?今度は当たるんじゃないかな?」


 我ながら間抜けな提案をしてみる。マリリンは涙をセーラー服の袖で拭いながら言った。


「もうそんな気持ちになれないよぅ。だってあんたマジで馬鹿だもの!大バカ者だもん!そんな奴殺して何になるのよ!そんな奴殺して!あたしが報われるわけないでしょ!!!気持ちよくなれるわけない!くそ…ちくしょう…!!」


 ぐずぐずとベットの上で泣きじゃくり続けるマリリンにどうにもこうにも居た堪れない気持ちでいっぱいになった。慰めの言葉なんてちっとも思いつかない。そんな時だ。部屋のドアの向こう側に微かだが足音が聞こえた。俺はドアの方に振り向く。そしてマリリンも俺が部屋の片隅に置いておいた、彼女のタクティカルベストの方へささっと移動し、それを素早く着込んだ。すぐにライフルやショットガンやナイフ類などの装備品の確認を始める。そしてベットのハンドガンを俺に手渡してくる。


「ドアの向こうに殺気を感じる。あたし以外の誰かがあんたを殺しに来たんだわ」


「じゃあそいつに俺の事投げちゃう?」


「冗談じゃない。あたしはあんたを殺せなかったのに、他の誰かが殺したらあたしが間抜けみたいじゃない。そんなのは嫌。あたしは米軍最強の兵士よ。他の誰かに獲物を横取りされるなんて絶対にいや。プライドが許さない」


「左様でござるか。…ところでさ。お前以外に誰が俺の事狙ってるの?」


「そんなの腐るほどいるわ。でも一番熱心なところを一つ知ってる。ラタトスク・インフォメーションって会社。あたしも軍から脱走したばかりで手持ちが少ない。殺しをするにも先立つ生活費用が必要。だからそこから殺しの為の活動費を貰ったわ。手付金だけで1万ドル。成功したら1000万ドル貰えることになってた」


「まじかよ。俺の首って1000万ドルかかってるのかよ」


「ええ、だからあたし以外にも依頼を受けた奴は沢山いるはずよ」

 

 今日行った会社からふんだくったのが1000万円、単純計算で100倍くらいである。あの会社を100回も救える金額って考えるとすごく多い。だけど100回も倒産の危機を迎える会社てやばいな。そして何よりも…。


「へぇ。そんなはした金にみんな釣られてるのかよ。殺し屋ってダセェ連中なんだな」


「1000万ドルは大金じゃないかしら?」


「は?俺の命の値段はもっともっと高いんだよ。だってお前にくれてやるっていったろう?お前の寂しさを晴らせるくらいの価値があるんだ。1000万ドルなんて安すぎるね!」


 マリリンは目を真ん丸にして俺の顔を見ている。しばらくぽけーッと俺を見つめて。


「…あんたってまじで馬鹿なのね…。あはは…。こんな奴殺そうとしてたんだ…ほんとバカみたい…ふふふ…」


 微かに笑みを浮かべた。俺のジョークはこの子を笑わせてやるくらいはできたらしい。


「でもいつまでも馬鹿は言ってられないわ。たぶんすぐに突入してくる。外にいるのはあたしの感知によるとたった一人みたい。だからこそ油断できない。チームを組んで殺しに来ないってことは、そうとう腕に自信があるってことよ」


「なるほどね。じゃあどうする?逃げる?」


「ここで始末するわ。追いかけられるのは鬱陶しいもの」


 ライフルをドアに向かって構えるマリリンは遥かに年下なのに、なんか頼もしく見えた。米軍最強はマジっぽい。俺もまたドアに向かってハンドガンを構える。そしてドアノブが動き、ドアがゆっくりと開いていった。


 



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